第25話 話す勇気
俺はメアリスの背中に回した腕を離し、聖母のように優しい笑みを浮かべるメアリスの顔を見つめる。
彼女の顔はまだ月明りに照らされていて、蒼い瞳がキラキラと輝いていて……なんだか頭がぼーっとする。
「落ち着いた?」
「あぁ……ごめん」
「私が聞きたいのはそっちじゃないわ」
「……ありがとう、胸貸してくれて」
「えぇ、どういたしまして♪」
俺がお礼を言うと、メアリスは満足気に笑った。
少し朱色に染まった彼女の頬と細くなった目は……純粋に綺麗だと思う。
「……メアリス、昔の話……聞いてほしい」
「えぇ、話してちょうだいな」
「俺は、昔……田舎で細々、家族と一緒に暮らしてたんだ。裕福じゃないし、今と違って便利な魔道具だってない……それでも、これ以上ないくらい幸せだったんだ」
木の香る暖かな家、寒い夜にぱちぱちと鳴る暖炉、眠るまで子守歌を歌ってくれる母さんの透き通った声、笑顔で俺の気持ちを全て受け止めてくれる父さんの強さ……
思い出すだけで心が暖かくなるのを感じる。
でも……それと同時に……
「その幸せも、長くは続かなかったんだけどな」
俺の全てが壊れた、あの日が思い出される。
◆◆◆◆◆
「襲撃っ!! 襲撃だぁっ!!」
座り込んでぱちぱちと燃える暖炉の前で手を翳していたら、必死そうな声と震える鐘の音が聞こえてきた。
襲撃……って、誰かが襲いにきたってこと?
突然のことに動けないでいる俺の耳に、明らかに暖炉のものではない火が燃える音が聞こえた。
ぱちぱちという穏やかな音ではなくて、火の粉が弾けてなにかがガラガラと崩れる不穏なもの。
それに混じって飛び込んでくるのは……
「……ひめい…………」
悲鳴なんて、聞いたことがない。
なんて……嫌な音なんだろう。
甲高くて、がなって、その場面が目に写っているわけでもないのに苦しさが、悔しさが、痛みがありありと伝わってくる。
頭に響き続ける悲鳴と、少しずつ迫ってくる火の音は、俺の力を黒い恐怖で塗りつぶした。
体育座りで膝の間に顔を埋めて震えることしかできない、怖い……。
早く外に出て、みんなを助けたいのに……身体の震えが止まらない……
吐き出す息の音も震えていて、それを聞く度に心臓の鼓動が加速する。
耳を塞いでも、頭を埋めても、聞こえてくる、響き続ける。
俺はもう、息の仕方も忘れそうだった。
そんな時だった、家のドアが勢いよく吹き飛んだのは。
本来なら驚いてうわっ、とか声を出しちゃうんだろうけど。
俺はもう半ば諦めていたのか、身体に力が入ることはなかったんだ。
あぁ……このまま、殺さ、れるのかな。
死んじゃう、のかな。
嫌だな……
そう思っても、やっぱり身体は動かないままだった。
弱いなぁ……俺って。
「エルッ!! 無事か!?」
その声は、嘘みたいに身体の震えを止めた。
「オーエン!! 扉がエルに当たったらどうするつもりなんですか!? このばか!!」
「痛ってぇ!?」
その声は、嘘みたいに俺の心を優しい色に染めてくれた。
「あ、うあ……」
俺は顔を上げた。
いつも通り、父さんを叱っている母さんという構図が見える。
怖かったよ、助けて、熱い、苦しい、言いたいことはたくさんあるはずなのに、言葉になって出てこない。
さっきまで出なかった涙は突然床を濡らすくらいにぽたぽたと零れ落ちて……
力が入らないままの身体は、さっきとは別の意味で震えて止まらない。
ただ手を、父さんと母さんの方へ伸ばすことしかできない。
父さんはその手を取ってぐいっと引っ張り……そのまま抱っこする。
身体がふわりと地面を離れ、父さんの胸の鼓動が頭を撫でる。
「ごめんな……! もっと早く、助けに来れなくて……!!」
「あ、う……あぁ……」
「汝に再び立ち上がる力を与えん。キュアハート」
母さんが両手を結び、目を閉じてそう唱える。
羽のように柔らかく、優しい光が全身を包む。
でたらめだった呼吸が、だんだんと落ち着いてくる、頭に木霊する嫌な音も遠のいていく。
母さんはそのまま俺の方に歩いてきて、前髪を優しく手でどけ……おでこに口づけをした。
「よくがんばりました。後は母さんたちに任せなさい」
なにも……頑張っていない。
俺は……なにもできていない。
それでも母さんの言葉は俺の心を、ベールのように包んでくれた。
「父さん、母さん……たすけてくれて、ありがとう……」
父さんはそれを聞いて俺をより強く抱きしめて、母さんは俺の背中から父さんごと俺を抱きしめてくれた。
ずっと……こうしていたい……
「……アメリア、そろそろ行くぞ」
「……えぇ、もう覚悟はできています」
……?
なんの、話をしているのだろう。
分からないけど、すごく嫌な予感がした。
ここで、じっとしていたらいけない気がした。
だから、ぎゅっと父さんの服を握った。
「いかないで……」
「エル……」
絶対に……離さない、離してはいけない。
ここで離せば……もう、父さんとは会えない。
なぜか、そう思った。
けれど、まさかの方法で父さんはそんな俺の硬く握った手を簡単に振り切った。
「ふんっ」
父さんは俺が掴んだ部分の生地を破って俺を地面に立たせた。
そんなことをするとは思わなくて、目が点になる。
母さんも同じような顔をしている。
父さんはそれを気にもとめず、俺と同じ目線までしゃがむ。
「エル、俺は言ったはずだ。俺は強い。強い人間が力を持つ理由はなにか、覚えているか?」
俺は破れた父さんの服を握ったまま答える。
「えっと……だいじなだれかを、まもるため」
「そうだ。この力は、仲間を守るためにあるもの。大事な人を守るためにあるもの。だから……父さんたちは残らなきゃならない」
「なら、おれものこる。おれは父さんのしゅぎょうでつよくなった」
「そうだな。だが、今回エルがすることは戦うことじゃないんだ。さっき、力は大事な人を守るためにあると言ったがな……そこには、大事な人の想いも含まれているんだ」
「……よく、わからないよ」
「はは、そうだな。じゃあまぁ、簡潔に言ってやる。エル。お前は逃げろ。それが、今回エルがすべきことだ」
父さんは、優しく俺の頭を撫でた。




