ガソリンスタンドで三時間待たされた挙げ句何故かハゲたオヤジが泣きながら俺の車を洗車してるんだが誰か説明頼む
見晴らしの良い丁字路の隅に新しく出来たセルフスタンドは、瞬く間に人で溢れかえり、順番待ちが道路まで長く続いていた。
「……あっちは賑わってますねぇ」
油で薄汚れたつば付き帽子でぱたぱたと扇ぎながら、チクリと小言を放つ。隣で静かに佇む中年男性は、店長としての責任を感じつつも、価格競争の敗者レッテルに為す術もなかった。
「すまんな」
少しの沈黙の後に発した一言は、重く、そして短かった。
大手企業の系列店であるセルフスタンドは、安さに物を言わせたやり方で集客を達成すると、周囲のスタンドからは悲鳴しかあがらず、閉店した店も出る騒ぎとなっていた。
「ちぇっ、せっかく家から近いのになぁ」
誰にいうでもなく、愛ちゃんは熱い地面を靴で撫でると、頭の中で就職情報誌をめくるのであった。
「何かアイデアはないかな?」
どうせ誰も来ないから。
そんな理由で突如開かれたミーティングには、店長を筆頭に、サービスの中島、吉本、給油スタッフの女性二人、そして新人の愛ちゃんが並んで椅子に座り思い空気の中意見を交わしていた。
「はーい!」
節電と称してエアコンも入れていないフロアには、うだるような暑さが充満しているが、愛ちゃんは元気に手を挙げた。
「はい愛ちゃんどうぞ」と店長。
「こっちも値下げしてはどーですか?」
「却下」と素早く口を曲げる店長。向こうさんと違って「人件費が違いすぎる」と言葉を続けた。
「はーい!」
頭を抱えるベテランサービス二人は項垂れるが、愛ちゃんはまたしても大きく手を挙げた。
「はい愛ちゃん」と、店長は空元気で愛ちゃんに手を向けた。
「もっと水で薄めてはどうですか?」と禁じ手を放った愛ちゃんに、店長は「シーッ!!」と慌てて手を当てた。
「もっともなにもウチは一滴も薄めておらんわい」
ようやく真面なツッコミを入れたのは、勤続12年目を迎えたばかりのメカニックサービスの中島。中年太りで蓄えたお腹は、計るまでもなくメタボリックだ。汗が噴き出しつなぎは既に色が変わっていた。
「しかし暑い」
店長が自販機でジュースを振る舞うが焼け石に水。既にスタッフの顔色が悪い。熱中症まっしぐらである。目からは生気が消え失せ、今にも倒れそうな気配を見せていた。
「脱いで良いですか?」
愛ちゃんの挙手に、男性陣は鋭い眼光を見せ、一瞬にして目に生気が宿る。
「いっそのこと水着で給油するかー」
それは投げやりな提案だった。
店長としてあるまじき発言にも思えたが、暑さでやられているスタッフに正常な判別も着かず、それは思いもしない反応として現れた。
「それなら時給300円上げてください」
それは女性スタッフの一人、みずほであった。
「私も時給次第なら……」
その隣でそれまで大人しくしていた女性スタッフの麻理も、それに同調した。
「はい、店長決まり! 成果次第でもっと上げてね」
それは捨て身の作戦であった。
翌日、女性スタッフがつなぎの上をお腹の辺りで縛ると、思い思いの水着が真夏のスタンドに姿を現した。
「うーん……いいな」
中島がビールを片手に呟いた。既にやる気は家に置いてきてある。今日は見学気分。そう決めていた。
持参のビーチパラソルが、購入五年目にしてようやく日の目を浴びた瞬間でもある。
反応は直ぐに現れた。
セルフスタンドの長蛇の列に並ぶ車の一台が、こっちに向かってやってくると、窓を開けて出迎えた愛ちゃんをまじまじと見かけた。
「いらっしゃいませ!」
元気よくいつも通りを振る舞うが、客の視線は明らかに別を向いている。
「えっと……レギュラー満タンで」
「レギュラー満タン入りまーす!」
大声で威勢良く声を張ると、それまで人気の無かったスタンドに、次々と客が現れ始めた。当然全て男である。
「店長……!」
焼き鳥を片手に焼酎をあおっていた吉本は、確かな手応えを感じていた。
こちらの価格設定はレギュラー145円。セルフスタンドは121円。それでもこの日、スタンドは閉店まで人で賑わった。
次の日、店長は暴挙に出た。
「えっ!?」
スタッフ全員が驚きの声を上げたが、店長は自信ありげに腰に手を当て息を荒くした。
《レギュラー200円》
流石にやり過ぎでは。と中島がさとそうとするが、既に外には長蛇の列が出来ていた。
悲しい男の性につけ込んだ店長の作戦は、波に乗っていた。
「レギュラー満タン! ついでに空気圧も頼むよ!」
何かにつけて用事を付け加える客が続出したが、水着が三人しかいないので、たまに店長が泣きながら「すみません、すみません」と空気圧の点検や洗車を行う。
「何も泣かなくても……」と、中島が述べたが、店長は「怒られる前に泣いとけば許してもらえる」と独自の展開を主張した。
確かにその通りであった。
この日、人手不足で店長がスタンド内を駆け巡り続けたが、クレームは一切無し。エロ目当ての後ろめたさもあってだろうが、店長のやり方はそれなりに的を得ていたようだ。
「あっちの子がいいな」
そんな要望が入ったのは、水着サービスを始めて四日目の朝のことだった。
既に時給プラス1000円をマークした愛ちゃんは、隣のレーンで乳を揺らしフロントガラスを拭くみずほを見て、心の中で舌打ちをした。
「またのご来店をお待ちしています」
表面上は取り繕って入るが、既に愛ちゃんは三人の中での人気差を、この数日間で嫌と言うほど感じていた。
みずほ、時給プラス1500円。
麻理、時給プラス1600円。
その差は歴然であり、僅かな日数でスタッフとしての戦力差が露骨に現れてしまった。
「店長!」
日焼けした肌を気にするでもなく、薄い小麦色の背中へと声をかけた愛ちゃんは、本題の前に一言聞いた。
「何故店長まで脱いでるんですか?」
「女性蔑視だとザマス系マダムからクレームが……」
中年男の半裸を見て喜ぶ奴がいるかどうかはまだ不明だが、店長からは一切夏を感じない。ただ単に汚いオッサンである。
「それと……」
愛ちゃんが意味ありげな顔で店長に耳打ちした。
「ほう、それは良いかもしれない」
愛ちゃんは「そうでしょ?」と笑った。
愛ちゃんの提案で発売された女性スタッフの写真集は、あっという間に完売した。
既に重版もかけてある。二万円するにもかかわらずだ。
『スタンド娘』と名付けられた三人組が給油所の至る所で笑顔を振り撒いている写真集だ。
キャッチフレーズは『汗と油と笑顔を満タンに──』である。
しかも写真集にはガソリン100円引きのクーポンが100枚ついてくる始末だ。
既にレギュラー300円の超ぼったくり価格をマークしているため、100円値引こうが痛くもかゆくもない。
「やりましたね店長!」
愛ちゃんの時給は直ぐに2000円をマークした。
──みずほが退職届を出したのは、過激なサービスを始めてから一ヶ月後の事だった。
「へ? 芸能界?」
すっかり焦げ茶色になった店長が、泣きながらフロントガラスを拭いている。
「はい、スカウトされまして」
マジで?
店長はドゥンキで買った似合わないサングラスを少し上げた。
直ぐにバイト募集をかける店長。季節は秋になりつつある。
店長は水着サービスの終わりを感じつつ、次なる一手を考えた。
しかも麻里までもが退職届を提出。
客の一人と意気投合し、そのままスピード婚。
相手の写真を見て、店長は嘆息した。
「お金持ってそうな顔だね……」
「はい。上場企業の社長さんですから♪」
まさかスタッフごとお買い上げされるとは。
店長は乾いた笑いをだして、そっと落ち込んだ。
女性スタッフが愛ちゃんだけになると、客足が次第に遠のき始めた。
新たなバイト生は未だ現れない。
──時給1500円からスタート!
──水着サービスあり!
それが可能な容姿を整えた人物は中々に居ない。
来てもオバチャン。それではダメなのである。
そしてついに水着サービスは終わりを迎えた。
木枯らしに愛ちゃんが耐えられなくなったのだ。
「店長寒い!」
「ぐぬぬ……!」
店長は泣く泣くサービスを諦めた。
時給も値段も全てが元に戻り、閑古鳥が鳴く頃に戻ったのだ。
が、閑古鳥は鳴かなかった。
泣いたのは店長だ。
「レギュラー満タンね!」
「こっちも早くしてよ!」
「オッサンはよ!!」
客たちが100円引きのクーポンを手に、店長を急かしている。
レギュラー146円。100円引きで46円/Lである。大赤字だ。
店長の悲鳴で閑古鳥が逃げてゆく。
「愛ちゃんすまない、時給300円でも……」
「あ、可愛いお店見つけたからそっちで働きまーす♪」
愛ちゃんはあっという間に辞めた。
残された中年男三人組が泣きながら給油をする。
やけくそで『スタンド漢』なる写真集を出してみたが、全く売れなかった。
店長は泣きながらガソリンを水で薄めた。