マジシャンズブラック
「いてぇーッ、まだ説明の最中だったろうが! いきなり指を折るんじゃねえよ! バカなのか! リャーナっ、早く回復してくれ!」
「リャーナは、手を出しませ〜ん。トウヤ様、セルフケアで頑張ってください」
「クソがッ、俺は魔法使いじゃねえんだよ!」
「何事も経験ですよ」
指を非ぬ方向に折られたトウヤは、もんどりうつように倒れると、リャーナに回復魔法を要求したが、彼女は鼻であしらった。
トウヤにも回復魔法は使えるが、得意とするのは剣を媒介にした魔法攻撃や、身体強化系の魔法である。
「デェ、フィーアキュアメンタル!」
トウヤの折れ曲がっていた人差し指が、真っ直ぐに戻る。
回復魔法に限らず魔法使いの呪文は、体系化されており、覚えるのは難しくない。
しかし呪文それぞれの意味を魔導書で読み解いて、理解しなければ発動しない。
「よし、回復に成功したぜ。俺は回復魔法も使える」
「さすがトウヤ様です」
一郎は『すげえ、本当に魔法だ』と、手をグーパーしながら、回復をアピールするトウヤを見ながら呟いた。
「不意をついて攻撃なんて、君は卑怯な奴だな」
「いいや、僕は卑怯な手を使わない。お前が、不注意なだけだろう」
「まあ不意打ちとは言え、勇者の俺に一発かましたことは褒めてやろう。君は、なんて名前なんだ? 俺の冒険譚に、名前くらいは記してやるぞ」
「僕の名前は−−」
一郎は抱えているアリッサの顔を見る。
アリッサに超能力バレしたくなければ、正体不明の敵に本名を名乗る必要もない。
彼は胸ポケットから取り出した黒いスカーフに視界を確保するために二ヶ所の穴を空けてから、自分に巻いて目元を隠した。
「ぼ、私の名前は、マジシャンズブラックだ」
派手な刺繍の黒衣と黒マント、黒いアイマスクの一郎は、一人称を『私』に変えて、超能力バレを防ぐために敢えて『魔法使い』を名乗った。
「黒いトランプマンだと……」
「私はトランプマンではない」
一郎は『ちょっと待っててね』と、アリッサが戦闘に巻き込まれないように、遠く離れた場所にテレポートする。
「こいつ、無詠唱で空間転移魔法を発動したぞ。無詠唱で魔法を使えるのは、魔王軍の悪魔だけじゃなかったのか? ま、まさか悪魔!」
「アリッサを殺そうとした、お前に言われたくないわ」
「そうか。君が魔王軍の悪魔ならば、魔力1億7千万以上の俺の身体を傷付けた理由にも頷ける」
「お前、さっき不意をつかれたと言わなかったか?」
「ゆくぞッ、悪魔!」
トウヤは聖剣グランドシェイカーの刃を横にして背中に隠すと、一郎に左手を向けた。
「我が欲するは悪魔の命、我が命じる聖剣グランドシェイカーッ、風で斬り裂け! 鎌鼬!」
次の瞬間、トウヤは背中に隠した刃を横一文字に振り抜いて、密度の濃い疾風を一郎に向けて放つ。
一郎はテレキネシスで疾風を逸らそうとしたが、質量のない空気を超能力で操るのが難しかったので、咄嗟に自分の身体を空に飛ばして回避した。
「我が命じる聖剣グランドシェイカーッ、炎で焼き尽くせ! 業火の爪!」
トウヤが剣を上段から振り下ろすと、空中に逃げた一郎の足元から、五本の火柱が燃え上がる。
「やったぜッ、空中では逃げ場がない!」
しかし火柱が消えると、一郎の姿も消えていた。
「今のは、ちょっと焦った」
「悪魔っ、どうやって背後に回り込んだ!?」
「ええと……、空間転移魔法ですか?」
「なぜ俺に聞く!」
トウヤが飛び退ると、一郎はパイロキネシスを使って火の玉を飛ばす。
「俺だけでは、こいつに勝てない。リャーナも手伝ってくれ」
トウヤは火の玉を剣でいなしたが、一人では一郎に勝てないと悟り、静観していたリャーナに加勢するように命令した。
「トウヤ様、マジシャンズブラックという魔法使いと戦うのは、時期尚早かもしれないと、リャーナは思います」
「いいや、リャーナ。たかだか指を一本折られてくらいで逃げ出したと、世間に知れ渡れば、勇者の名前に傷がつく」
「誰にも言わないよ」
「いいやッ、悪魔! 君は、俺に一発かましてやったと、絶対に自慢するだろう。それに、あの召喚士は生かしておけない」
「なんで、アリッサを狙っているんだ?」
トウヤは両手を腰に当てた。
「俺は、曲がりなりにも勇者だからね。世界に害を与える存在は、見過ごしておけないのさ。もしもアリッサが召喚した人間が、俺級の魔力をもった犯罪者やヤクザだったら? 強い人間が善人とは限らない」
「なるほど」
「それに彼女が召喚したのは、魔力がない人間だったらしいが、それだって一人の地球人の人生を狂わせている」
「でもアリッサは、王様の命令がなければ勇者召喚に反対だったし、もう人間の召喚に関わらないと思う」
「問題は、そこにあるんだよ。アリッサの召喚術を利用する者が現れたら? もしかしたら悪魔の君が、彼女を利用するつもりかもしれない。そのとき、俺にも手に負えない悪人が召喚されたら世界はどうなる?」
「お前が手に負えない悪人が来ても、たいした問題じゃない気がする」
一郎はテレキネシスを使って、剣を構え直したトウヤの動きを封じた。
「か、身体が動かない。くそっ、これも君の魔法だな」
「そうだ」
「やはり、君は悪魔−−」
リャーナが杖を向けているので、一郎は超能力を解除した。
一郎が同時に使える超能力は一つ、トウヤとリャーナを相手に戦うのが困難であれば、風を操る魔法も厄介だ。
今はお引取願うのが最善策である。
「トウヤ様、ここは態勢を整えましょうと、リャーナは進言します」
「悪魔と戦うには、まだ力不足か……。しかし悪魔、魔力1億7千万以上の俺が修行すれば、君なんかには、この指一本でも負けやしないぜ」
「負け惜しみは良いから、さっさと帰れ」
トウヤは『覚えてやがれ!』と、捨て台詞を吐いてリャーナと逃げ出した。
「あたしは、いったい?」
林で目を覚ましたアリッサは、トウヤに襲われていた自分が、なぜ家から遠い場所に倒れているのか首を傾げている。
彼女は家に向かってくる人影に、助けを求めたことを思い出したが、それが誰だったのか、見覚えのない服装だった。
「アリッサ、どうしてこんな所にいるの」
「あ、イチローさん」
「家に帰ったらドアは壊れてるし、庭に争った形跡があるから慌てたよ。大丈夫なの?」
「ええ、なんともありません」
アリッサは、学ランに着替えた一郎の手を握って起きると、自分を助けてくれたであろう人物が、まさか魔力ゼロの彼だと思わなかった。