童話『召喚士の母娘』
アリッサは王立図書館に通って、一郎を異世界である日本に帰す方法を探しているが、召喚魔法の魔導書を読み漁っても、やはり紅い水銀を触媒として、異空間を漂う霊素から幻獣を呼び出す方法しか見つからない。
そもそも異世界人を召喚するには、魔力の液体結晶である紅い水銀を大量に消費して、異空間から霊素ではなく、特定の座標にある異世界から人間を呼び出す禁忌魔法である。
一郎を召喚したアリッサは、カルバン王がサザーランドの間者から手に入れた座標を魔法陣に描いて、彼を召喚したものの、そもそも禁忌魔法である異世界人の召喚に関連する魔導書や書籍は、ほとんど存在していなかった。
「アリッサ姉様は、サザーランドの『召喚士の母娘』という話を知っている?」
本を読んでいたアリッサに声をかけたのは、一郎の同僚であるクエスト管理者のマリーダだった。
「いいえ、知りません」
「子供向けの童話集に書かれた物語なんだけど、これってヒントにならないかな?」
エリアロスに師事しているクエスト管理者シャルネ・マリーダは、シャルネ・アリッサの妹である。
一郎はクエスト管理の仕事を片手間にしているマリーダを煙たがっているが、マリーダは代々優秀な魔法使いを排出するシャルネ家の次女で、魔力も高ければ、魔法の知識も並外れていた。
マリーダは今、ただ冒険者に年齢が足りてないだけで、クエスト管理者を務めながら冒険者としての振舞いを学んでいるが、いずれアリッサを超える逸材と嘱望されている。
「どんな話なのですか?」
「子供向けの御伽噺だから、どこまでが真実かわからないのだけど、まだ人族の国がサザーランドしかなかった頃、町を襲うドラゴンを退治するために、召喚士の母親が自分の娘を生贄に英雄アインズを召喚した話よ」
「召喚士が人間を生贄にして、異世界人を召喚したのですか?」
アリッサは読みかけの本を読書台に伏せると、マリーダの手にしていた童話集を受取った。
童話の挿絵には、ドラゴンの首を刎ねた騎士と、魔法陣の中心で泣いている召喚士が描かれている。
「娘と引換えに召喚した英雄アインズは、見事にドラゴンを退治するんだけど、娘を犠牲にした母親は、娘を生贄にしたことを後悔して三日三晩泣き暮らしたのね」
「自分の娘を紅い水銀の代用品にするなんて、町を救ったとしても道義的に許されません」
マリーダは『まだ続きがあるから』と、憤っている姉のアリッサを宥めた。
「召喚士の母親は四日目の朝、自分を犠牲にして娘を異世界から連れ戻すことにしました。母親は魔法陣に立つと、英雄アインズを呼び出した方法で、娘をサザーランドに召喚したのです。そして母娘の深い愛情を知った英雄アインズは、母親を失くして悲嘆に暮れる娘を、自分の妻に娶って幸せ暮らしましたとさ−−って、母親の自己犠牲を描いた作品なの」
「生贄になった娘は、何処かで生きていたのでしょうか?」
「そうじゃないと、この物語は成立しないよね。アリッサ姉様、この話のようにイチローさんを元の世界に戻せるかしら?」
アリッサは少し考えてから、首を横に振った。
マリーダの見つけた童話『召喚士の母娘』が実話だとしても、娘は英雄アインズと引換えに異世界で生きていたが、それが彼のいた世界だったとは限らなければ、一郎を紅い水銀の代替品としても、元の世界に戻れるとは限らない。
また紅い水銀の代替品だった娘が、英雄アインズと入替えに彼の世界に転移していても、一郎と引換えにして、誰かをこちらの世界に召喚しなければならない。
御伽噺を信じて、一郎を紅い水銀の代替品に出来ない。
「でもアリッサ姉様、こちらの世界からイチローさんの世界に転移している者がいれば、その人だってこちらに戻りたいかもよ」
アリッサの心情を確かめたマリーダは、悪魔が人間を触媒に異世界転生した魔王を召喚しているならば、こちらの世界の住人が入替えに、一郎のいた世界に転移しているとの仮説を聞かせた。
マリーダの仮説は、人間を紅い水銀の代替品にしたとき、その人間が召喚された異世界人と入替えに異世界で生きていれば、確かに立証できる。
しかし仮説が間違っていれば、紅い水銀の代替品にした人間は、異空間に取り残されて死んでしまう。
「おい、召喚士のシャルネ・アリッサだな。お前には、カルバン国王陛下から出頭命令が出ている」
アリッサの肩を乱暴に引いた憲兵は、高圧的な態度で顔を覗き込んだ。
「王様が、私に何のようですか?」
「お前には、禁忌魔法で異世界から人間を召喚した嫌疑が掛けられている。カルバン国王は、魔女のお前と、召喚された無能者を異端審問で裁くそうだ」
憲兵がアリッサの腕を掴んで立たせると、その手を払ってマリーダが両手を広げる。
「アリッサ姉様は、国王様の命令でイチローさんを召喚したんですよ。それを『魔女』と呼んで侮辱するなんて、あまりに酷いじゃないですか」
「貴様は、国王陛下が禁忌魔法を強要したと言うのか? 貴様こそ侮辱罪で、魔女と一緒に連行するしかないぞ」
「そんなの横暴だわ」
アリッサは『すぐに出頭します』と、マリーダを押し退けて憲兵の前に出る。
そして憲兵に手を引かれて振り向いたアリッサが【一郎を逃がしてください】と唇を動かすと、マリーダは軽く頷いて連行される姉を見送った。




