千里眼
一郎は、アリッサたちが対岸より手前に留まっているかもしれないと、トウヤとシロコロフに進んでみようと提案した。
しかしパーティリーダーのトウヤは、動き回れば行き違いになると、一郎の提案を却下する。
「トウヤさん、向こうのパーティにトラブルがあったんじゃないですか?」
「湖周辺のモンスターならリャーナ一人で楽勝だし、地元のアリッサが道に迷うこともないだろう」
「そうですが、それにしても遅過ぎませんか?」
腕時計を確認した一郎は『もう3時過ぎです』と、腰の重いトウヤに、アリッサたちを捜索しようと促す。
「一郎くんも、シロちゃんを見倣って昼寝でもしたまえ。モンスターと戦った後、弁当を食べたり、草むらに寝転んで英気を養う。これぞ冒険の旅じゃないか」
「冒険の旅じゃなくて、日帰りのピクニックでしょう?」
「便りのないのは良い便り」
一郎は、その例えが場違いに思えた。
アリッサたちが連絡の出来ない状況にあるのかもしれなければ、先に進んで合流した方が良い。
実力者のリャーナが連絡もしないで、予定時刻を大幅に遅れているのに、落ち着き払ったトウヤの態度は、さすがに呑気だと思った。
「わかりました。僕も、少し横になります」
「俺が見張っているから安心しろ」
それでも一郎が引き下がったのは、感知能力を使って彼女たちの居場所や安否を確認しており、とくに慌てた様子がないと解っているからだ。
トウヤに背を向けて草むらに寝転んだ一郎は、透視能力を使うために目を閉じる。
千里眼とも呼ばれる透視能力は、物体を透かして見るだけでなく、遠く離れた場所を見ることもできる。
一郎は感知能力でアリッサたちの居場所を特定すると、その場所に意識を集中して透視した。
「一郎くんは、ずいぶんと疲れているようだ。まあ初めてモンスターと戦って、気疲れもしていたのだろう」
トウヤは横になった一郎が、すぐに寝入ったのを見て呟いている。
ちなみに一郎が、トウヤの前で寝たふりを決め込んだのは、遠く離れた場所に意識を集中するとき、視覚以外の五感も失ってしまうからだ。
無防備になる千里眼は、周囲の安全を確保しなければ使えない超能力である。
【アリッサたちは、湖から離れているようだけど、見た感じだと理由まで解らないか】
一郎は眼下を歩いているリャーナ、アリッサ、タマミの三人を見下ろしているものの、彼女たちの会話が聞こえなければ、状況から察するしかなかった。
彼女たちの目的は、テレパシーを使って心を読めば解るが、一郎にはテレパシーに強いトラウマがあり使いたくなかった。
もしも三人が一郎のいないところで、陰口を叩いたら?
テレパシーを使えば、知りたくないことも解ってしまう。
だから一郎は、アリッサたちの目的を探るために、何処に向かっているのか把握しようと、透視の視野を広げて俯瞰する。
【あれは、なんだ?】
鼻をひくつかせたタマミを先頭にしているパーティは、アイスクリームディッシャーでくり抜いたような、大きな穴がいくつも空いている山裾に向かっていた。
大きな穴は全部で六ヶ所、ゴブリンたちをアンデッド化した悪魔が、岩石からゴーレムを作り出した場所である。
【アリッサたちは僕らと合流しないで、穴のところに寄り道するつもりだろう。しかし見ているだけでは理由が解らないし、テレポートして会話を盗み聞きするか、テレパシーを使うしかないのか】
一郎はタマミの前に回り込むと、緊迫した表情の彼女たちを見て、ただならぬ雰囲気を感じ取った。
※ ※ ※
リャーナとアリッサを先導しているタマミは、腕を水平に挙げると、掌を後続に向けて止まるように指示した。
「モンスターの臭気が濃くなりました」
「ゴブリンは、何体いるのか解りますか?」
タマミは、アリッサの問い掛けに首を横に振る。
普段なら獣人の嗅覚を使えば、生い茂った木々の向こうに隠れるモンスターの種類や、規模を言い当てられるのだが、近付いているモンスターの匂いが異質で、種類どころか規模も解らなかった。
「この先にゴブリンがいることは間違いないのですが、腐臭が漂っているので、もしかすると、誰かに討伐された後かもしれません」
「先ほど倒したゴブリンが、戦闘から逃げてきたのなら辻褄が合いますね」
「討伐が終わっているなら、トウヤ様と合流した方が良いと、リャーナは思うのです」
湖を周回していた彼女たちは、山の方から逃げるように現れた一匹のゴブリンと遭遇して、これを撃退したものの、集団行動するゴブリンが、単独で現れたことを不審に思って、森を捜索することにした。
ゴブリンやオークは、モンスターを操って人家を襲うことができる。
もしもゴブリンがカーネル領内に進軍しているのならば、早急に対処する必要があった。
「でも人とゴブリンが争った匂いは、全くしないのです。それに冒険者が倒したなら、せっかく倒したモンスターの遺体を放置しますか?」
「戦闘から逃げてきたゴブリンなら、仲間の腐敗が進んでいるのも変ですね」
「もしかすると、私が匂い嗅いだことのモンスターかもしれません」
「腐敗臭を放つモンスター……、アンデッド系のゴブリン? だとすると、ますます変です。アンデッド系は悪魔が作り出すと言われるモンスターで、封印された北壁から南側のフィールドで滅多に見掛けません」
封印された北壁は、カーネル王国の隣国サザーランドから遙か北にあり、この世界の神話に書かれた魔族に与えられた領土と、人族の領土を隔つ高い壁である。
アンデッド系のモンスターは、外界と隔絶されたダンジョンを除けば、封印された北壁の向こう側に存在しており、カーネル王国より北壁に近いサザーランド領内では、極稀に遭遇することがあった。
しかしアンデッド系のモンスターがサザーランドを越境して、カーネル領内まで進軍するなど有り得ないと、アリッサは考えている。
「べつに変じゃないと、リャーナは発言しますよ」
「どうしてですか?」
「トウヤ様とリャーナは、カーネル城下周辺で悪魔を探しています。サザーランドで槍大将だった古い友人の話では、彼も無詠唱で空間転移魔法を使うマジシャンズブラックと戦ったそうです」
「リャーナさんは、あたしの家に現れたマジシャンズブラックが、土塊からモンスターを作れる悪魔だと考えているのですね」
「マジシャンズブラックの魔法は、悪魔的だったと、リャーナは考えているのです」
リャーナの言うとおり、マジシャンズブラックこと一郎が悪魔ならば、北壁から遠く離れたカーネルの湖周辺に、アンデッド系のモンスターが出現しても、おかしな話ではない。
事の真相は、悪魔の赤い少女がゴブリンをアンデッド化したのだが、彼女たちは知る由もなかった。
「リャーナさん、アリッサさん、何かが近付いてきます」
タマミは地面に手を当てると、ズシン、ズシンと地響きが伝わってくる。
獣人は嗅覚だけではなく、聴覚も人間より優れていた。
「これは土と苔の匂い、足音が六体分、歩幅から予想すると、体長三メートルを超えるゴーレムです」
ゴーレムは巨人の石像だったり、兵士を象った立像などの大小様々なゴーレムが存在しており、通常ならば、魔王軍との開戦前から存在する古代遺跡に、守護者として配置されている。
「森の中にゴーレム? 遺跡の番人までカーネル領内に現れたのですか」
リャーナは、アリッサとタマミに身を隠すように指示すると、呪文を唱えてパーティの姿と気配を消した。
ゴーレムには魔法攻撃の効き目が薄ければ、リャーナのパーティには、魔法使いと召喚士、そして魔力28万の剣士が一人である。
巨人のゴーレム六体に勝ち目がないと判断したリャーナは、不可視領域を展開して、やり過ごすことにした。
※ ※ ※
アリッサたちを千里眼で俯瞰していた一郎は、彼女たちに迫りくるゴーレムと、その後ろに続いている、足元の覚束ないゴブリンの大軍を見つける。
【なんて数のモンスターだ……、アリッサは隠れたみたいだけど、このまま見過ごすわけにいかない】
一郎は千里眼を解除すると、トウヤとシロコロフから離れて、マジシャンズブラックとして助けに行こうと思った。
「イチローくん、お目覚めかな?」
「はい。ちょっとトイレに行ってきます」
ベタな言い訳だが、トイレだと言えばトウヤたちと離れられる。
「イチロー、ちょっと待つにゃん」
「シロコロフ、僕は急いでるんだけど」
寝起きのシロコロフは、顔を手の甲で洗っている。
「あたいも漏れそうだから、一緒に行くにゃん」
「僕と連れション!?」
「フィールドで単独行動は、危ないにゃん」
「シロコロフは女の子だし、連れションは恥ずかしいよ」
「そうだな。では一郎くんは、俺と連れションするか」
トウヤが聖剣グランドシェイカーを支えに立ち上がるので、一郎は『野グソなんで』と、腹を押えて内股で駆け出した。
「一郎くんッ、待ちたまえ!」
「何なんですかっ、ここで漏らしますよ!」
「俺は、野グソにも付き合うぞ」
「付き合わなくて結構です!」
一郎は慌てて一人になりたいのに、事情を察してくれないトウヤを、いつも以上にバカだと思う。
「まてまて、俺の目は誤魔化せないぜ」
「僕は、何も誤魔化してませんよ」
「一郎くんはアリッサが心配だから、一人で様子を見に行くつもりだろう? シロちゃんも起きたことだし、そろそろ俺も心配になってきた」
眉根を寄せた一郎は『トウヤさん……』と、今更かよ! と心の中で叫んだ。
「俺は、向こうのパーティにトラブルがあったと思う」
トラブルを見てきた一郎は、トウヤとシロコロフの目を盗んで、アリッサのもとにテレポートで駆け付けるつもりだったのに、余計なときに余計なことしかしないトウヤが、皆で向かおうと言い出した。




