勇者の勘違い
「まてッ、今日は話合いに来たんだ!」
トウヤは、ドアのトラップを作動させようとしたアリッサを止めた。
彼は警戒しているアリッサの背後で、呑気に食事している一郎の横顔を見ている。
「話合いですか?」
「俺がアリッサを攻撃するなら、わざわざ仕掛けのある玄関から訪問しない。俺はあれから、君との付き合い方を考え直した」
聞き耳を立てていた一郎は『アリッサとの付き合い方?』と、二人の様子を気にしている。
しかしアイマスクで人相を隠す前に、トウヤに素顔を晒していれば、アリッサには、マジシャンズブラックの正体を知られたくなかったので、遠巻きに会話を盗み聞きしていた。
「サザーランドの勇者は、あたしの命を狙っているのではないのですか?」
「俺は、これ以上の勇者召喚を阻止したい。だから勇者召喚できる召喚士を殺してしまうのが、最善策だと考えていた」
「勝手な理屈です」
「そう言うな。アリッサは気を失っていたから、あのとき誰が戦闘に介入したのか知らないだろう。驚くかもしれないが、勇者召喚できる君を訪ねてきた男は、無詠唱で魔法を使う悪魔だった」
「なぜ悪魔が、あたしを助けたんですか?」
トウヤは『そんなことも解らないのか』と、ヤレヤレと言った感じで肩を竦める。
「悪魔は、俺がアリッサを守っている勇者だと勘違いしていたのさ。悪魔は、勇者の俺から召喚士を取り上げたに過ぎない」
「あの方は、あたしを助けたのではないのですか? あの方は、トウヤがいなくなった後、顔も見せずに立ち去りました」
「そうだろうね。悪魔は、この魔力1億7千万以上の勇者に、恐れをなして逃げたのだ」
一郎は思わずジュースを吹き出しそうになり、口を手で覆った。
どう都合よく解釈したならば、圧倒していたマジシャンズブラックが、トウヤに臆して逃げたのか。
「その話は本当ですか?」
「アリッサが信じまいと、無詠唱の魔法使いは悪魔で間違いない」
トウヤは『お邪魔するよ』と、一郎の向かい側のテーブルについた。
「君が、アリッサに無理やり召喚された地球人だね。その学ランは、俺と同じ日本人か?」
「はい」
一郎は俯いたまま、軽く首を縦に振る。
正面にいるトウヤに、一郎の正体がマジシャンズブラックだと気付かれたら、横に座ったアリッサに、今まで超能力を隠していたとバレるからだ。
この世界で平凡に暮らすと決意した一郎は、クエスト管理の仕事に就こうと思ったのに、いきなりおじゃんである。
「君とは以前、会ったことがあるような……、どこだったかな?」
「イチローさん、トウヤはサザーランドの召喚士に勇者召喚された勇者なのです」
「へえ、アリッサを襲ったサザーランドの勇者が、僕と同じ日本人だったなんて初耳です」
「お二人は、髪色も目も似ているでしょう?」
そう言われた一郎は、服を買いに中心街を歩いていたとき、東洋人のような容姿の青年とすれ違っていた。
あのときすれ違ったのが、トウヤだったのである。
「君は、一郎と言うのか。悪いが一郎くん、顔をよく見せてくれないか?」
一郎が観念して顔を上げると、トウヤは何かに気付いたようだった。
「もしかして一郎くんは、高崎で暮らしてなかったか!? 君は群馬県高崎市のコンビニで、アルバイトしてたよな!」
「いいえ、都民です」
「えーっ、一郎くんからは、そこはかとなく群馬県民臭が漂っているのだが、そうか都民なのか……。日本じゃないとすると、この世界で出会っているんだな」
一郎は群馬県民だと言えば良かったのだが、都民のプライドが邪魔をした。
目を細めていたトウヤが、椅子に深く触り直すと、顎に手で撫でている。
「喉まで出ているんだけど……、あ、思い出したぜ」
「ちッ」
舌打ちした一郎は、目を吊り上げてトウヤを睨み付ける。
「君とどこで会ったか、ようやく思い出したぜ。どおりで、おかしいと思ったんだが、そういうことか」
固唾を飲んだ一郎は、アリッサに正体を明かされる前に、トウヤの喉をテレキネシスで潰そうと思った。
だがアリッサの目の前で超能力を使えば、超能力バレするし、魔法だと誤魔化したら、悪魔だと誤解されるかもしれない。
「一郎くんが、ここにいるなら得心がいくぜ」
「トウヤさん、それ以上は−−」
超能力バレ、悪魔に間違えられる、どちらにせよ、一郎が超能力を使えば、平凡な生活を手放すことになる。
「君は、学ランで町を歩いていただろう? 俺は先日、町で学ラン見てさ、懐かしいと思ったんだけど、一郎くんが同じ日本から召喚されたなら納得だ!」
胸を撫で下ろした一郎は、トウヤがバカで助かったと思う。
「すみませんが、話を本題に戻して頂けませんか。あたしを訪ねてきた人物が、勇者を見て逃げ出した話と、トウヤが心変わりした話を詳しく聞かせてください」
「そうだな」
トウヤは一郎に、そのうちゆっくり話そうと言って、彼との会話を切り上げる。
「アリッサは、悪魔を見たことがないだろう?」
「はい。冒険者ギルドでは、悪魔について調査クエストを請負いましたが、痕跡すら見つけられませんでした」
「魔王軍と数百年も戦ってきたサザーランドでも、モンスター操る人型のゴブリンやオークを見た者は多いが、魔法を使い知性のある人型の悪魔を見た者がいない。魔族の王様や悪魔なんて、じつは人が作り出した想像の産物とまで言われている」
「トウヤは、あたしを訪ねた人物が悪魔だと考えているのですね」
「俺はこの世界に来て、まだ二年なのに魔法や剣技で劣る連中に、なぜ負け知らずなのか。それは1億7千万以上の高密度の魔力が、あらゆる魔法攻撃や物理攻撃を打ち消しているからだ」
勇者召喚されたトウヤは、この世界の人間より魔法や剣技が稚拙でも、高い魔力が全身に流れているおかげで、どんな攻撃にも無傷でいられた。
「彼は、その俺の指をあっさり折りやがった。顔色一つ変えずに、まるでストローを折り曲げるような顔して、何の躊躇いもなく指の骨を折りやがった。あのパワー、あの非情さ、彼は無詠唱で魔法を使う悪魔で決まりだ」
「彼は、そんなに強かったのですか?」
一郎は『トウヤさんが弱いだけでは?』と、横から口を挟んだがスルーされた。
「今まで存在すら不明だった悪魔が、俺の召喚とともに姿を現した。つまり悪魔こそが、本物の勇者が倒すべき真の敵だ」
「そうだったのですね」
「俺はアリッサを訪ねてきた黒い悪魔、確か『ブラックデビル』と名乗った悪魔を倒す!」
「ブラックデビル……、なんて恐ろしい名前なのでしょう」
一郎は椅子からズッコケた。