幻滅
―とあるバーのカウンター。そこでは女が男二人(うち一人はマスター)と他愛もない会話を楽しんでいた。
マスターと男は古くからの知り合いで歌仲間でもある。女は二人のファンらしい。
―まさか、こんな日が来るなんて。
女は二人との会話を純粋に楽しんでいた。それはもう、舞い上がるほどに。
だが、男は違った。マスターとどちらが女を落とせるか賭けていた。もちろん、会話もそれはそれで楽しんだ。このまま何もせず終わろうかとも思ったりもした。だがやはり、そのままでは終わらなかった。気がつけば、三人の周りは“そういう雰囲気”に変わっていた。
女は気づくのが遅かった。いつもならもっと早く気が付き、かわすこともできたのに、と。それもそのはず、ここに通い始めてからは、いつもマスターがさり気なく助けてくれていたのだ。
だが、今日は違う。マスターも“そっち側”にいた。
女は困惑した後、何が起きているか理解した。途端に幻滅と哀情が女を襲ったが、いつものことじゃないかと、見て見ぬ振りをした。
女はマスターを好いていた。久しぶりの本気の恋だった。だからこそ、逃した魚は大きかったと後悔させてやりたかった。
マスターもまた女を好いていた。女の好意にも気づいていた。正直、賭けには気乗りしなかったが、いつものように振る舞って自分の恋が男にバレるのが嫌だった。変なプライドが邪魔をした。だから賭けに乗ることにした。女は何があっても必ず自分を選ぶはずだと驕っていた。
女は男の手をとった。安堵した男は一度トイレに立った。女は会計を済ませ、とびきりの笑顔で「今まで楽しい時間をありがとう」と伝え、一人、夜の街に消えていった。
トイレから戻った男は唖然とした。女の姿が見えなかったからだ。何があったかマスターに尋ねようとして、理解した。
「馬鹿だなぁ。お前も俺も。」
とつぶやくと、店の片付けを申し出、マスターの背中を押した。
マスターはすまない、とだけ伝え、女を追いかけた。
「結構気に入ってたんだけどな。」と独り言をつぶやいて、男は店仕舞いを始めた。