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Nの森殺人事件

作者: 後藤章倫

 そういう施設は大概、山の方にあるもので、木村園も一応山の中にあった。

 一応というのは、麓の道から約二キロメートル程登った辺りにダムがあって、そのダムから更に約八百メートル程登った辺りに建っていて、麓の道から三キロメートル弱という距離であって、一応は山の中という事になるが、さほどの山中では無いという事です。

 木村園は、第一木村園と第二木村園の二棟の建物で構成されていて、第一木村園の横に第二木村園があるのだけれど、横といっても一応山になっているので、第二木村園の方が第一木村園より約十二メートル程標高が高い位置にあるのです。

 そして、その事が木村園を訪れる際に自分を悩ませる原因でもあります。第一、第二と表記された場合どうしても第一の方を上に考えがちになる為に、第一木村園が上にある気がして仕方ないのです。

 ビルの階数等は素直に下から上に行くに従って一階、二階と成っていくのを理解出来るのですが、何とも不思議な感覚でなのです。

 木村園の駐車場へ車を止めたら、必ず車の鍵は抜き取り、車のロックも忘れてはいけません。

 十年程前になるのですが、入所者の方が駐車場の車へ侵入し鍵を抜き取り、木村園の裏山へ投げ捨ててしまった事があり、十数名でその車の鍵を捜したにもかかわらず、とうとう見つける事が出来なかったのです。


 第二木村園に入ると玄関先に何時も居るのが涼太さんです。涼太さんは無表情なのですが、毎回

「コンチワ」

と挨拶をしてスリッパを出してくれます。自分も

「ありがとう」

と言ってスリッパを履き、すぐ横の事務所へ来訪の件を伝えます。

 来訪理由は、ほぼこの施設の設備の修理である為に、先ずは担当職員の山川所長と共に、その箇所の状況確認へ向かいます。

 山川さんと共に長い廊下を歩いて行くと、一旦右に曲がる箇所があって、その少し手前に立って何やら大声を出している人がいる。歌手です。歌手は一日をほぼ其処で歌を歌って過ごしています。低い大きな声で

「オゥーオーウォーオー」

と歌っていて、歌詞は基本的に[オー]という言葉で埋め尽くされていて、メロディーは皆無と言っても差し支えなく、しかしリズムだけは一定に歌われている。

 赤と白のボーダーのポロシャツにダブダブのジーンズを履き、角刈りの歌手。目は異常に鋭く、此方をギロリと睨む。

 山川さんと歌手の前を通り過ぎようとした時、それは起こった。

 何時もの様に

「オゥーオーウォーオー」

と歌ってた歌詞が途中で、明らかに聞こえた。確実にそう歌った。

「カーエーレー」

そう、[帰れ]と歌ったのです。

「カーエーレー」

と二回続けて歌った後はまた

「オーオー」

という歌詞に戻った。歌手の前を通り過ぎた後、廊下を歩きながら後ろを振り返ると、歌手は歌いながら笑みを浮かべていた。歌手からの挑発をはっきり確認した瞬間だった。


 廊下の先は、デイル一ムという部屋になっていて、広い部屋にテーブルや椅子、壁際にはソファー等もあり、テレビを見る事も出来て、入所者の皆さんは作業等が無い時間は、そこで自由にくつろいでいました。もちろん施設の職員も常に四人程一緒に居ました。

 デイル一ムを左に出ると、また廊下になっていて、廊下の左側並びには男子トイレ、女子トイレ、給湯室、風呂があり、右側並びには、小さな教室が何部屋か連なっている。

 山川さんは、その小さな教室の二番目の部屋の鍵を開けて中に入った。

 教室に入って直ぐ右隅に小さな洗面化粧台が設置されていて、その洗面化粧台を修理して欲しいとの事だった。

 洗面化粧台をよく見ると、右斜めに傾いていた。一体どうすれば、こんなに傾くのかと思っていたら、山川さんが口を開いた。

「昨日此処で入所者同士の喧嘩がありまして、私達が止めに入り一旦治まったのですが、その内のお一人がまた暴れだして洗面化粧台を壊してしまって」

 洗面化粧台は右斜めに傾いていて、下の扉を開けてみると、給水の配管も曲がっており、そこから少量ではあるが漏水していて、更に排水管も破損していた。

「ひょっとして岩田さんがやったのですか?」

と訪ねてみたら

「すみません、そうなんです」

と言われた。


 岩田さんは、身体つきが良くて力が強い人で、凄く短気で、皆からちょっと距離をおかれています。その為に複数人居る職員のうち一人は必ず岩田さんに付き添う事になっています。

 修理する道具を取りに車へ行く為に再びデイル一ムへ入ると、坊主頭の体格の良い上下黒色のジャージ姿の岩田さんが一人ソファーに座っていた。

 直ぐ側には、痩せて顔色の悪い銀縁眼鏡の男性職員が申し訳無さそうに立って居た。


 デイル一ムを抜け、長い廊下にさしかかると歌手が

「オーオエーオー」

と歌っていた。先程の挑発を自分は忘れない。そして今度は、担当職員の山川さんは居ない。

 ここぞとばかりに、歌手の前を通り過ぎる時に、歌手みたいな口調で

「オーマーエーワーアーホーダー」

と歌ってやった。すると歌手は一瞬歌が止まった。

 が、通過後振り返ると何事も無かった様にまた

「オーオーウエーオー」

と歌い出した。玄関へ行くと涼太さんが

「サイナラ」

と言った。が車から道具を取って直ぐに来るから

「直ぐ来るから、このままで」

とスリッパを脱いだ。すると涼太さんは、直ぐにスリッパを下駄箱にしまった。

 道具を手に帰って来ると、涼太さんは

「コンチワ」

と言ってスリッパを出してくれたので

「ありがとう」

と言って、それを履いてあの教室へ向かった。

 廊下のあの場所には、居る筈の歌手が居なく成ってた。

 デイル一ムに入った途端に、横から圧を感じた直後に抱きしめられた。抱きしめられたというか抱きつかれた。

 房子さんである。房子さんは入所者や施設職員以外の外部の人間(男性のみ)を発見すると、思いっ切り抱きついてきます。直ぐに何人かいる職員が引き離しに来る。そして房子さんは

「をじちゃん!何しにきたの?」

と聞いてきます。おじちゃんと呼ばれる自分は二十五歳で、房子さんは五十代後半でしょうか?しかし心はティーンなのでしょう。


 デイル一ムを抜け教室へ入るところで、男子トイレから歌手がすっきりした顔で出て来てデイル一ムに消えた。

 きっとそこから、また定位置に向かうのだなと思った。

 教室に入り修理に取りかかる。洗面化粧台の台輪の右側は完全に破壊されている。岩田さんの力の凄さを垣間見た様だ。

 給水管を修理し、排水管も取り敢えず使えるようにしたが、あくまでも仮の修理です。洗面化粧台の台輪のダメージは修理するとかのレベルではなく、完全に交換が必要である為に、その旨を山川所長へ伝える。

 この担当職員の山川さんは、三十代だろうか、それにしては童顔で、そして会話もぎこちない。着用しているスーツもこざっぱりしているのだけれど、どこか七五三時の晴れ着を着せられている子供の様に、スーツが浮いて見える。

 とはいえ、この木村園は県が運営する施設であるし、きっと何処ぞの立派な大学を卒業されて、難解な試験を突破し、こうして此処に所長として居るのだろう。

 が、どう見ても山川さんがスーツを着用していなかったら、入所者との区別は絶対につかないだろうと思った次第。


 外見で人を判断するなと言いますが、二年前に大阪のカプセルホテルに宿泊した時の事です。

 そのカプセルホテルはチェックインすると、皆カプセルホテル着に着替えるシステムだった。自分も其れに着替え、カプセルホテル内の風呂やラウンジでくつろぎました。

 当然風呂では裸になるし、その他の場所ではカプセルホテル着を着用しており、老いも若気も、小太りも痩せこけも、白髪も禿も七三、金髪、スキンヘッドに髭も、色々な人間がカプセルホテル着で過ごしていた。

 そして翌朝になると、各々の服装でカプセルホテルを出て行く。或る者はスーツを着込み、また或る者は作業服、或る者はジャージ姿、学生らしきグループはカジュアルな服装であり、昨日ラウンジでビールを飲んでいた痩せた禿の髭の中年は、スーツをキメ、何処か誇らしげに街へ馴染んで行った。

 本当の人となりは分からないけど、着る服装によって、その人の社会的ポジションを見た様な、そんな気がした。実際には、スーツを着た詐欺師かもしれない、普通の会社員かもしれない、実は求職中なのか、はたまた世界的企業のCEOかもしれない。

 

 そんな山川さんへ、応急処置は終わったので一応使えるようになった事を伝え、洗面化粧台の取り替え日時等を聞いてみた。

「県にですね、予算の確認をして、予算がおりるようでしたらご連絡差し上げます」

と山川所長は、たどたどしく言った。

 自分は、涼太さんに

「サイナラ」

と言って第二木村園を後にした。


 事が起きたのは、それから十日後の午後二時頃だった。

 その日は、あの破損した洗面化粧台を新しい物に入れ替え工事をする為に、午前中より第二木村園で作業をしていた。もう少しで作業終了というタイミングだった。

 何か大きな物音を聞いた訳でもなかった。

 作業している教室の隣の教室へ何かの用事で入った施設職員が、そこで倒れている岩田さんと岩田さんに付き添っていた銀縁眼鏡の痩せた男性職員を見つけたのだ。

 教室の外の廊下は、山川さんをはじめ施設職員達が右往左往の大騒ぎになった。入所者の人達も落ち着かない様子でざわついていた。

 自分は作業を完了したが木村園は、それどころではなかった。

 救急隊が駆けつけ、何やら色々と施して二人をそれぞれ担架に乗せた。担架はデイル一ムを通過しようとした。

 その時、房子さんが岩田さんが横たわる担架へ駆け寄り、岩田さんに抱きついた。

 房子さんは入所者や施設職員には絶対に抱きついたりしないのに、目から涙をボロボロと零して岩田さんに抱きつき

「イワタシャン、イワタシャン」

と泣きじゃくっていたが、直ぐに職員に引き離された。

 房子さんはデイル一ムの床に座り込み、子供みたいに泣いた。

 担架は廊下を進み、歌手は無言で壁にへばり付いていた。玄関の扉は開け放たれていて、涼太さんは、しゃがみ込んでいて小さな声で

「サイナラ」

と言った。岩田さんと銀縁眼鏡は救急車に移され、けたたましいサイレンを鳴らし山を下って行った。

 救急車のサイレンは静かなダムの湖畔に響き渡っていた。


 救急車が出て行った後も木村園は混乱していた。動揺する入所者を落ち着けようとする職員、電話の対応に追われる山川さん達、現場の教室をどうして良いのか分からず、教室から出たり入ったりしている職員達。

 とても自分の作業が完了した事を報告出来る様な感じではない。

 そうこうしているうちに今度は、警察が到着し職員達と話を始めた。二人が倒れていた教室へ入り何やら始まった。

 そこで少し嫌な予感が頭を過ぎった。二人が倒れていた教室の隣の教室で、何やら怪しい工具を携えて工事をしている外部の人間の自分。二人が倒れていた経緯など全く分からないが、一番不信に思われるのは自分ではないか?

 そんな事を考えていた自分のもとへ警察官が二人やってきて、本日の来訪目的や隣の教室から何か物音が聞こえなかったか等を軽く聞いて去って行った。ちょっと拍子抜けだった。


 岩田さんと銀縁眼鏡は入所者と施設職員という関係であったが、自分が第二木村園を訪れる時は何時も一緒だった。

 当然、ちょっと乱暴者の岩田さんに付き添っている職員という事だけど、何となく二人の関係が師弟関係というか主君と家来の様な、そんな事を自分は感じ取っていた。


 そして二人は亡くなった。何とかという難しい名前の毒薬を飲んだらしい。

 世間は職員が入所者を毒殺し、自殺したと騒ぎ立てた。本当にそうだったのかもしれないけど、銀縁眼鏡にそんな事は出来ないのではないか?と思った。主君である岩田さんが銀縁眼鏡を巻き込み無理心中を図ったのではないか?

 後日、二人の遺留品の中に有名な作家の小説[Nの森]が出てきた。岩田さんが上巻を銀縁眼鏡が下巻を所有していた事が分かった。

 その事が、この事件と関係あるかは全く分からない。


 約一カ月後、別の不具合の修理の為に第二木村園を訪れた。相変わらず涼太さんはスリッパを出してくれて

「コンチワ」

と言った。歌手は今日も廊下で歌っている。デイル一ムに入ると房子さんと目があったが、抱きついてくる事は無かった。

 房子さんは手に文庫本を持っていて、赤い色のカバーだったけど、それが[Nの森]の上巻であったかどうかは分からなかった。

 何があったのか知らないが山川所長は、この日、鼠色のジャージの上下を着用して自分に対応していて、はっきり言って、この人が第二木村園の所長だなんて思えなかった。



            終

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