涙ヶ池
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ふう、ようやくあの子も寝付いてくれたわ。
ごめんね、こーちゃん。だいぶ遅くなっちゃった。こうして眠ってくれている間が、一番安心するわね。
夜泣きって、なかなか辛いのよ。何がいけないのか、どこか痛いのか、全然分からない上に、こちらは寝ぼけまなこなんだから。何度も繰り返されると、ニュースみたいに手を挙げてしまうお母さん方の気持ちも、まあ分かるかな。
泣くって、本当に目障り、耳障りよね。誰にでも異常事態を発信できる、生来の警報装置。
そりゃ、本当にまずいことだったら、人の注意を惹きつけることはとても大切。けれども、大きくなると、よく言われない?
「めったなことで泣くな」とか「涙は女の武器」だとか。とかく涙というのは、よくも悪くも値札もしくは宝物のように扱われる。その価値も人と時と場合で様々。
そんな涙を巡った話があるのだけど、聞いてみないかしら?
小さい頃の私は、何につけても痛がりでね、しょっちゅう泣いてばかりいた。痛くて辛いのは事実だけど、それ以上に、泣きさえすれば、親がいつも構ってくれたからね。
痛がりに加えて寂しがりだったから、ややもするとすぐに涙を流して、慰めてもらっていた。第一子かつ長女だから、そのあたりはもう過保護なんじゃないかってくらい。
その味を覚えると、いずれ、何でもないことでも泣き腫らすようになったわね。演技でね。
自分のために、もう何リットル涙を流したのか、分からないくらいだったわ。
ただ、事態はいつまでもうまく運んではくれなかった。
いつだったか、おばあちゃんの家に遊びに行った時だと思う。子供にとっては、お小遣いをもらえるというのは、とんでもなく大きなステータス。それを毎回用意してくれるおばあちゃんは、家族の中でも上位に位置するほど好感を持っていたと思う。
もっとおばあちゃんにも構ってもらいたい。そう思った私は、おばあちゃんの庭で駆け回っていた時、わざとおばあちゃんの目の前で、転んで泣いて見せたわ。
もちろん、ウソ泣き。どんな風に構ってくれるのかが、内心楽しみだった。
おばあちゃんは、すぐに私のもとに駆け寄って来てくれたけれど、続く言葉が予想外過ぎたわ。
「あんた、それ本当に泣いているんだね?」
どきりとしたわ。ウソ泣きであることがいっぺんにばれたんじゃないかと思ったわ。
ケガの心配よりも、真っ先に泣いているかどうかを気にしてくる。そこに少し怖さを覚えたの。
ここでウソがばれるわけにはいかない。私は必死に涙声を出しながら、うなずいたわ。
すると、おばあちゃんは、すぐさま私の腕をつかんだ。てっきり家の中へ連れていかれるのかと思ったけれど、その足は家の敷地を出て、わずかな長さのあぜ道をひた走り、裏山の雑木林の中へ。
夏場はセミの抜け殻でいっぱいになるこの林。私も毎年やってきて、それなりに地理は頭に入れているつもり。おばあちゃんがどこに向かおうとしているか、引っ張られながらでも判断できると思っていたの。
ところが、いつも私が使う道と同じ道を進んでいるにも関わらず、少しずつ見覚えのない景色が出てくるの。
起伏に富んだ山道と、その両側に塀のごとくそそり立つ、落ち葉まみれの急斜面と、そこから斜めに生えた木々。何年生きたか分からない、こけの生えた大樹が横たわり、不自然なほど、きれいに中心部をくり抜かれてできた、トンネル。その高さは十メートル以上あったわ。もちろん、私の知らないこと。
「どこに向かっているの?」と尋ねても、おばあちゃんからの返事はなかった。けれども、私の腕を握る力はいささかも緩まず、ひたすらに引きずられるより他になかったわ。
大樹のトンネルを潜り抜けると、視界は一転。
私の目の前に現れたのは池。いや、もはや湖とでもいうべき大きさだったわ。トンネルの出口からわずかに数歩進めば、もう湖面に靴の先がかかってしまう。それでいて、向こう岸が見渡せない、広さ。
加えて……その水はとても濁っていたの。
泥とか洗剤だとかとは違う。墨汁のようなものがすっかり染み込み、本来の水の色を吸い取ってしまっていたの。しかも、かすかにあちらこちらで、沸騰しているように泡立っているのが、分かったわ。
「『涙ヶ池』と、ばあちゃんは呼んでおる」
そこは、この世界の人たちが流した涙が、集まっている場所らしいの。多くの人が、涙は他の水分と同じように、床や地面に吸い込まれて、しかるべき姿に分解されると思っているでしょう。
でもね、涙と一緒にあふれた気持ちは、地面に溶けきることなく、この涙ヶ池に集まるんですって。
「ばあちゃんが子供のときはなあ。この池はもっと小さく、狭かった。向こう岸だって、かすんで見えておったよ」
「どんな景色だったの?」という私の問いに、おばあちゃんは「さあて?」と意味深に首を傾げた後、私の背中側へ回り込み、両肩を掴んできたの。
「さあ、泣いておくれ。この池、すごく汚いだろう? みんながこれまで流した涙が、どんな気持ちを持っていたか、分かるねえ。本当につらかったり、悲しかったり、人のために流した涙だったなら、この池はずっと澄み切った色をしていたのさ。それが今では、ずるかったり、醜くかったり、自分可愛さに流す涙ばかり。
このままだと池は汚いままあふれてしまう。その結果、みんなが涙すら流せないほど、辛い目に遭うことになるんだよ。さあ早く、本当に痛い思いをした、あんたの涙を流しておくれ」
おばあちゃんの力は強く、私は無理やり池に向かって進まされる。がぼ、がぼと音を立てて、私の靴が、くるぶしが、すねが、順番に黒々とした水に染まっていく。
そのおぞましさにしゃっくりが出始めた私。おばあちゃんの力は緩まず、このままだともっと沈まされることになってしまう。私が身をよじろうとしても、その抵抗は無駄でしかなく、「やめて」と懇願する声も、おばあちゃんは意に介していないようだった。
私を前へと押し出す力は衰えることなく、もう、腰のあたりまで汚れた湖水に浸かってしまっている。このままじゃ、肩や首に至るのも時間の問題……。
ウソ泣きなんか、やらなきゃ良かった。私はひどく後悔したわ。
きっとおばあちゃんは、ウソ泣きなんて見破っていたんだ。ウソつきをする奴は絶対に許さないってことなんだ。だから、汚い私を、この池に沈めようとしているんだ……。
目の前がぼやけて、良く見えなくなってくる。私は涙ぐんでいた。
今度はウソいつわりじゃない。心から、怖くて、辛くて、悲しい……。
私の頬を伝ったお湯が、顎に集まり、しずくとなって水面に落ちる。
するとどうだろう。一面に汚れていた池が、私のいる手前側から少しずつ、澄んだ色になっていくの。それは水の中に垂らされた、一滴の油のように、周囲の黒さを放射状に遠ざけて始めたわ。
いつの間にか、おばあちゃんが私を押す力もなくなっている。振り返ると、おばあちゃんは遠くを見やるように、手を眉毛の上に置きながら、広がっていく澄んだ水を眺めていたの。
それからおばあちゃんは、また私の手を引いて、家まで連れて帰ってくれた。その途中、「ありがとう」とは言っても、「ごめんね」とは言ってくれなかったことが、余計に私のずるさを見透かされていたことに、身をつまされたわ。
そこから数年後。おばあちゃんはこの世を去ったの。今となってはあの家も別の人の持ち物になっている。私は記憶を頼りに、一人で涙ヶ池に向かったけれど、たどりつくのはいつも、私が遊び場にしていた木々の囲う広場だけ。水の一滴も見当たらなかったわ。
結局、涙ヶ池を訪れたのは、あの一回きり。どこにあるかも分からない。
私は、それ以来、めったなことでは泣かないことに決めた。私が涙する時は、本当の辛さを癒す時だけ。
そうすれば、あの涙ヶ池が、少しはきれいさを取り戻してくれるんじゃないかと、思っているの。