第7話【初ドラゴン】
木々がへし折れる音が響き、地響きを立てながらそれは姿を見せた。
ツノが生えた二つの頭を揺らし、長い首を持ち上げたその存在を見て、セグダディが口を開く。
「双頭のヒドラだと!?」
セグダディが名を発すると、それに呼応するようにヒドラが吠えた。
湿ったような光沢を持つ青い鱗のヒドラは、太く短い手足が生えた蛇のような外見だが、首と頭は二つあり、それぞれが独立して動いている。
その身体は巨大で、特に大きな口を広げれば人間も丸呑み出来るほどである。
爬虫類特有の縦に裂けたような形の眼を眺め、イオリが鼻を鳴らす。
「なんだ、まだ首二つか。出会うなら首が五つ以上になってから会いたかったな」
「何言ってんだ、旦那!? 一旦距離をとれ! 双頭でもヒドラはAランク相当のモンスターだぞ!?」
目の前で威嚇するように喉を鳴らすヒドラを悠然と眺めるイオリに、イエルミエルが舌打ちをして弓を構えた。
「現実逃避してる場合じゃないぞ、イオリ! 私が射っている間に離れろ!」
そう叫ぶ間に、イエルミエルは二本の矢をヒドラに向かって射った。
だが、矢はヒドラの鱗に阻まれる。
直後、ヒドラは牙を剥いてイオリに襲い掛かった。左右の首が交互に動き、大きな口は鋭い牙を光らせてイオリを食らわんと迫る。
「え、え、え、エレレトさんっ!」
ミトラが顔色を青くして後方を振り返ると、エレレトは剣を抜いて顎を引いた。細く長い両刃の剣だ。
ヒドラを真っ直ぐに見つめ、深く呼吸する。
そして、エレレトは地を蹴った。
「イオリさん! 右をお願いします!」
「ん? おお」
エレレトの言葉にヒドラの攻撃を避けていたイオリが返事をすると、エレレトは剣を振り被って口を動かした。
誰にも聞こえないような小さな声で何か呟くと、次の瞬間、エレレトの剣は赤い炎を纏って燃え上がる。
「ふっ!」
鋭く息を吐き、エレレトは剣を斬り上げた。その一撃で、イオリに向かっていたヒドラの首が半ばから切断され、宙を舞う。
「よっと」
痛みからか、残った首が硬直した瞬間、イオリが上段から剣を振り下ろし、右の首を切断した。
瞬く間に双頭を失ったヒドラは、身体を痙攣させながらその場に崩れ落ちる。
そのあまりの早業に、他の高ランク冒険者達は言葉も無かった。
「うーん。素材はまぁまぁだな」
イオリがそんなことを言いながら地面に転がったヒドラの頭を調べると、クィエが呆れたように口を開く。
「半年はゆっくり生活出来ると思うけど……?」
「緊急依頼だから報酬もタップリだぜ、旦那……」
「ちょ、ちょっと待て! まずはあのヒドラをたった二回の攻撃で絶命せしめた剣に……」
イエルミエルが混乱しながらそう口にすると、エレレトが刃の表面を布で拭き取りながら頷いた。
「脱皮直後だったみたいね。鱗は柔らかかったし、動きも鈍かったわ」
そう説明されると、冒険者達はざわざわと顔を見合わせる。
「そ、そういえば旦那もあっさり牙を躱してたな」
「それに、エレレト殿のあの魔法剣は当たり前にしても、イオリさんも一撃でヒドラの首を切り飛ばしたよな」
そんな会話が小声で交わされる中、釈然としない表情でイエルミエルがヒドラの死体を睨んだ。
「……それでも、私の矢は鱗に傷を付けることも出来なかった。咄嗟にただの鉄の矢を使いはしたが、しかし……」
イエルミエルのその呟きを聞いたのは、ミトラのうさ耳だけだった。
ドラゴンの素材は貴重である。
それは下位のドラゴンであろうと例外では無く、鱗や皮、牙にツノと、素材一つ一つが高価なものとなる。
そして、貴重なモノというだけで、ドラゴンの肉も最高級の食料となるのだ。
「これが、ドラゴンの肉か……」
焼いた肉を感慨深そうに眺めるセグダディに、何処か嬉しそうなクィエが頷く。
「ぼ、僕も食べて良いんでしょうか……」
「気にするな、ミトラ君。そうそう口に出来る物では無いのだから、良い機会だよ」
恐縮するミトラにイエルミエルが優しくそう言った。
深い森の中の小川の横で、ぱちぱちと音を立てて焚き火が身体を揺らす。薄暗い森の中である為、まるで陽が落ちる直前のように火の灯りが辺りを照らしている。
幸せそうな雰囲気の中、皆が一斉に串に刺したドラゴンの肉を食べようとした時、イオリが口を開いた。
「言っておくが、筋肉ばかりで硬くて美味しく無いからな? 海竜系は案外美味いが、陸上のは美味しく無いぞ」
イオリのその夢も希望も無い一言は、皆の目から輝きを奪った。
「……一気に現実に戻すとは、流石は旦那」
「あ、ホントだ。めちゃ堅い」
「くそ、木の幹に塩が振られてるみたいだ……!」
皆の怨みが混じった声を聞きながら、イオリはガチャガチャと何か作業をしている。
ミトラはそんなイオリを眺めつつ、ドラゴンの肉に噛み付いた。ギリギリと噛み締め、端の部分から千切っていく。
「……けっこう美味しいけど……イオリさんは食べないんですか?」
「いらない。そんなタイヤを切ったみたいなヤツを噛んでたら顎が砕け散る」
イオリは素っ気なくそう返事をすると、丸い輪っかを板にはめ込んだ。
「出来たぞ」
そう言って、イオリは人一人が寝そべることが出来るほどの台車を皆に見せた。
「旦那、それをどうするんで?」
「これで素材を運ぶ」
「……の、乗りますかねぇ……」
ヒドラとイオリを見比べて、セグダディが頬を引きつらせる。
「切り分けたら何とかなるだろ。腹の部分は一部の内臓だけ持っていけば良いからな」
言うが早いか、イオリは何処からか反りのある刀身の短刀を取り出し、ヒドラの身体をスパスパと切断し始めた。
その手際の良さに皆が感嘆の声を上げる。
「ほい、ミトラは手一本な」
「わわわっ!?」
投げ渡されたヒドラの腕を慌てて回避するミトラに、イオリが面白そうに笑った。
「こ、これ僕が持つんですか!?」
自分の身体ほどある腕を見てそんな声を上げるミトラに、イオリは鷹揚に頷く。
「それを運んだら半分はお前の取り分にしてやるぞ」
「運びます!」
イオリの一言は絶大な効力を発揮した。
「後は、セグダディ、頭一個。イエルミエルも頭一個。クィエは残った腕一本な。お前らは尻尾を協力して運べ」
イオリが指示を出しながらヒドラの身体のパーツを投げ渡していくと、皆が必死の形相で回避した。
「い、イオリ、さん! 頭一個というが、これは……」
「お、何だ何だイエルミエル。ついに俺を『さん』付けで呼ぶようになったか。その殊勝な態度に敬意を評して脚を一本追加してやろう」
「む、無理だ! 絶対に運べない!」
泣きそうな顔で拒否を示すイエルミエルに、イオリは笑いながら頷いた。
「冗談だよ。エレレト。脚一本な」
「はい」
イオリの指示に即答したエレレトは、無造作に脚一本を肩に担いだ。
明らかにエレレト本人より大きな脚が軽々と担がれ、皆は絶句する。
「ふぉおおおっ!? す、凄いねー!?」
興奮し過ぎたクィエが変なテンションになって飛び跳ねると、エレレトは無表情でイオリを見た。
「いや、私もまだまだね」
視線の先では、残った脚一本と、脚と同じ程度の胴体の一部を台車に縛り付けたイオリの姿があった。
「よっしゃ、帰るぞ! 火はしっかり消したな? 山火事はヤバいからな」
そう言って快活に笑いながら、イオリは台車を背中に担いで立ち上がった。
「持ち上げるのかよ!!」
予想外の光景にセグダディの絶叫が森の中にこだまする。
「平地までは車輪も使えないだろ? 何を言ってんだ」
呆れたような顔でそう答えたイオリは、台車を担いだまま歩き出した。小川を飛び越え、坂を大股で登っていくその姿に、エレレト以外の全員が呆然とする。
「おい、俺がおかしいのか? なぁ」
セグダディが皆の顔を順番に見ながら問い掛けるが、誰も答えてはくれなかった。