第3話【イオリ】
【イオリ視点】
最初はまるでローマみたいだと喜んだ石造りの建物や石畳の街並み。初めて見た時は驚き興奮した、デカい耳やフサフサの尻尾を生やした獣人と呼ばれる存在。
そして、最新のCG技術も真っ青な魔法の大迫力。
しかし、そんなものはどうでも良くなるくらいに醤油と味噌が恋しい。今ラーメンとか食べられたら死んでも良い。味噌汁やサバの味噌煮も食べたい。
そんなことを考えていたら、気が付いたら数年。
この漫画みたいな世界に来て、何故か持っていた大剣豪スキルと大魔導スキルを使って冒険者になっていた。
好きなタイミングで好きな依頼を選び、かなりゆったりとした生活をしているので仕事に対する不満は無いが。
ちなみにAランク以上の冒険者は貴族並みの稼ぎと発言力を有する、なんて冒険者ギルドの受付嬢に説明された為、わざとAランクにはならないように調整している。
有名になんぞなりたくない。大体、Bランクの冒険者で一流扱いされ、充分過ぎる稼ぎになるのだ。これくらいが丁度良いと言える。
これからも目立たず、程々に稼いで悠々自適に暮らすつもりである。
と、人生の方針を改めて意識しながら、俺はある建物の前に立った。
木と石を使った酒場のような建物だ。壁には人相書きなどが描かれた羊皮紙が何枚も貼られている。
冒険者ギルドの支部である。
大きな街には必ずあるといっても過言では無いが、冒険者ギルドの建物は意外にも統一性が無い。代わりに、青と白を基調とした剣と盾を組み合わせた旗が必ず掲げられている。
ギィギィと音が鳴る扉を開けて中に入ると、屋内は窓からの採光とオイルランプだけで少し暗い。
木と革、錆びた鉄の匂いに、酒場としての役割もある為に酒精の香りがふわりと漂っている。
酒を呑んで上機嫌に笑う者、依頼が貼り出された掲示板を睨む者、そして、俺を観察する者。
独特な雰囲気があるが、もう何年も冒険者をやっている俺からしたらハローワークにしか見えない。
俺は周りを見渡し、本来の待ち合わせの相手がいないことを確認した。
まぁ、ミトラを連れて帰る為に予定より半日早く帰ってきたからな。仕方が無いだろう。
奥を見ると受付があり、二人いる受付嬢の内、片方が暇そうにしているのが見てとれた。
俺が近づくと、その受付嬢は背筋を伸ばす。淡い緑色の長い髪を結った、二十代前後の女だ。赤と茶、クリーム色を使った民族衣装風の制服を着たその女は、俺の顔を見て微笑んだ。
「イオリさん? 朝出たばかりなのに、忘れ物ですか?」
そう言って小首を傾げる受付嬢に、俺は苦笑しながら腰に下げた革袋を取り出した。
「いや、もう狩ってきたぞ」
オークの討伐証明である牙を出して順番にカウンターに並べると、受付嬢は目を丸くして驚き、目の前に置かれた三つの牙をまじまじと見る。
「え? もうですか? 嘘でしょう?」
唖然とした顔でそう言う受付嬢に、肩を竦めてみせて口を開いた。
「ミトラってのがゴブリンやらオークやらを森の入り口付近まで引き連れて来ていてな。手に余ってるみたいだったから協力して討伐したんだよ。詳しくはミトラに聞いてくれ」
そう答えると、受付嬢は眉根を寄せて唸った。
「た、確かにこれは切り取られたばかりのオークの牙ですね……森の入り口なら往復するのも可能ですが……」
そう呟いてから、受付嬢はハッとした顔でこちらに視線を戻した。
「え? ミトラ君? ミトラ君と協力して倒したんですか? 彼は、まだゴブリン二体を相手に必死になるEランク冒険者ですよ?」
「あ、ああ。ミトラが走り回って注意を引いてくれたんだよ。俺はその間に後ろから狩って回っただけだ」
「まぁ、そうなんですか! ミトラ君が活躍したんですね! 可愛いから密かに応援してたんですけど、一歩成長したのかもしれませんね」
俺が適当に口にしたミトラの嘘情報を聞き、受付嬢は嬉しそうにそう言って笑った。
衛兵のオッさんの態度といい、ミトラは好ましく思われているようだ。実際、俺も数時間程度だが、ミトラは信用に足ると思っている。
そんなことを考えていると、受付嬢が期待を込めた目で俺を見上げてきた。
「それで……ミトラ君はどうでしたか? イオリさんは人柄も良さそうだし、一流の冒険者ですからね。良かったら、ミトラ君に冒険者としての手ほどきを……」
「よし、討伐証明も出したんだから報酬をくれ。オーク三体で銀貨一枚だろ?」
「銅貨九枚ですよ、もう……それで、もしかしてミトラ君には報酬無しですか? 話を聞く限り、オークに追われているミトラ君をイオリさんが助けた、というのが本当でしょうし」
残念そうにそう言いながら木の板をカウンターの上に置く受付嬢を横目に、俺は息を吐くように笑った。
「さてな」
それだけ言うと、木の板を受け取って二階へ続く階段に向かう。
この模様の描かれた木の板は討伐報酬を受け取る為の交換用のアイテムだ。以前は受付で全て済ませていたのだが、馬鹿な荒くれ者が受付嬢を脅して金を奪う事件が発生し、別の場所での交換となった。
二階か地下かはその場所によるが、どちらもまず強盗は出来ないようになっている。
「む。イオリ君か。今日も依頼を達成したのかね」
素晴らしい、と言いながらニッコリと笑う男を見て、俺は苦笑する。
この街のギルドマスター兼金庫の番人、ハルトである。
百九十センチを超える長身に、厚みのある筋骨隆々の身体。手には室内で振り回すのに適した大型の鉈が握られているが、多分素手でも大半の冒険者には負けないだろう。
それでいて白い髪と髭をたくわえた初老である。もはやプロレスラーにしか見えない。
ハルトはこちらに向かってゴツい手のひらを差し出してきて、俺から木の板を受け取った。
「ふむ。銅貨九枚? 怠けとるなぁ」
豪快な笑みを浮かべたままそう言うと、後ろにある金庫から金を取り出すハルト。
「朝一番の依頼でそれだけ稼げたら充分だろう」
「いやいや、若者は常に上を目指した方が良いな。特に、実力がある者は、な」
ハルトは含みのある言い方をして俺の顔を見た。勘の良いオッさんである。
俺は曖昧に笑うと、銅貨をハルトから奪い取るようにして取り上げた。
「俺は安全第一が信条でね」
「ぬぉ!? 何という電光石火の早業!? これはランクアップ試験を受けたら合格間違い無しだな!?」
「わざとらしいわ!」
両手を上に挙げて戯けるハルトにそうツッコミを入れると、ハルトはガハハと大声で笑い出した。
陽気なオッさんである。
一階に降りて建物から出ようかとすると、丁度良いタイミングでミトラが入ってくるのが見えた。
「ミトラ」
名前を呼ぶと、ミトラは白くて大きな耳をピンと立ててこちらに走ってくる。
「イオリさん!」
嬉しそうな笑顔をこちらに向け、ミトラは俺の名を呼んだ。
純粋という言葉をそのまま体現したかのようなミトラの笑顔に、俺は何故か視線を逸らしてしまった。
メインキャラクターが揃わない…何故だ…