第1話【兎獣人は冒険者に向かない?】
最初は兎視点ですが、もう一人の主人公視点もあります。
僅かにぬかるんだ地面を蹴り、必死に走る。
倒れた大木の上に手をついて飛び越え、水たまりを避ける。がさがさと枝や葉が擦れる音がするが、それは風が吹いた為では無い。
その証拠に、後ろからだけでは無く左右からもギャアギャアと喚く耳障りな声がする。
「な、なんでこんなことに……!」
僕は泣きそうになりながら、斜面を転がるように駆け下りた。先が伸びた枝が頬に当たり、痛みが走る。足は走り過ぎた為か、痛みなんてとっくに麻痺していた。
ぬるっと湿り気を帯びた空気が気持ち悪いが、今はもちろんそれどころでは無い。
「あっ」
坂道をようやく降りきったところで、木の根に足を取られた。ふわりと身体が宙に浮く感覚。そして、前に伸ばした両手が地面に触れる。
二度三度と地面を転がり、仰向けになって止まった。
なんてあり得ない失態。恐怖に駆られて足元への注意が散漫になっていた。
勢いがついた状態で転んだせいで身体中が痛むが、そんな悠長なことは言ってられない。
上半身を起こし、急いで立ち上がる。
直後、後頭部に衝撃を受けた。膝から力が抜けて、地面に前のめりになって倒れ込む。
「ギャウギャウッ!」
あの耳障りな声がすぐそばで聞こえて、僕は息を飲んだ。手足を必死に動かして逃げようとするが、左右からも前からも声が近付いてくる。
心臓が破裂しそうなほど音を立てているのを聞きながら顔を上げると、そこには子供より少し大きいくらいの身長の奴がいた。
薄汚れた暗い緑色の肌と、濁った黄色い目玉。ゴツゴツと骨張った痩せぎすの身体に、尖った耳と犬歯。
ゴブリンだ。
ゴブリンは醜悪な顔を歪めて笑みのような表情を作ると、手を挙げて叫び声をあげた。
すると、周囲からわらわらと草や葉を掻き分けて他のゴブリン達が姿を見せる。
「ひ、ひぁ……っ!?」
情けないことに、僕は失禁していた。
これから起きるであろう、恐ろしい未来を想像して、歯の根が合わずに口からカチカチと音が鳴る。
女は苗床にされ、男は生きたまま遊び殺される。ゴブリンに捕まった者の末路なぞ、子供だって知っているのだ。
僕は、どんな目にあって殺され、そして食べられるのだろう。涙が止まらない。身体の震えも、酷くなる一方だ。
抵抗しようにも、素材を切り取る為のナイフしか手元には無い。逃げる時に剣も盾も落としてしまった。
「もう、終わりだ……もう……」
僕はナイフを取り出し、がくがくと震える膝を叩きながら立ち上がる。
間違いなく、僕は死ぬのだろう。でも、それは困る。僕は生きて帰らないといけないのだ。
手元にあるナイフを見た。刃の長さは十センチちょっとの小さなナイフだ。頼りないことこの上ない。
でも、やらなければ。
そう思った矢先、ゴブリンの一体が僕を見て涎を垂らし、口を開いた。
「ギャギャギャ……! ヒサシブリノウサギ! 犯ス! 一番ニ!」
ゴブリンがそう叫ぶと、威嚇するように他のゴブリンが吠えだした。
それを聞いて、僕の背筋にゾワゾワと怖気が走る。
「ぼ、ぼ、僕は男だよ!? め、珍しいけど兎獣人にだって男はいるんだから!」
僕はそう言って、耳を垂れさせた。
兎獣人は殆どが女である。それも華奢で小柄な可愛らしい女が多い。ごく稀に産まれる男も、性別を間違えたのかと思うような華奢で中性的な顔立ちになる。
僕も、髪を長くして服装を普通の格好にしたら女と思われるだろう。
男っぽい革の鎧を着ているし背は普通の兎獣人より高いけれど、よく男の冒険者から声を掛けられたから間違い無い。
そういったこともあり、ゴブリンは僕の言葉なんて全く信じてくれなかった。
例え死ぬにしても、女に間違われてゴブリンに襲われて死ぬなんて絶対に嫌だ。
そう思い、ナイフを振り回しながら走り出した。
だが、すぐに捕まり地面に転がされる。
両手足を押さえつけられ、脇の下と肩のところにある革の鎧の留め具を壊された。
鎧が奪われ、アンダーシャツを破かれる。
「ぼ、僕は男だってば!? ほら、胸も無い!」
僕はそう訴えながら身体を捻り、両手の自由を得ると、ボロボロになったシャツを脱いで上半身を見せつけた。
ゴブリン達は驚いたように目を見開き、僕の胸と顔を交互に見比べる。
「……ヒ、ヒ……ヒンニュウ! キチョウナヒンニュウ!」
「ジ、ジブンカラヌイダ! チジョ!チジョ!」
「ヘンタイ! ヘンタイ!」
「違うよ!?」
ゴブリン達の盛大な勘違いに僕は心の底から絶叫した。
だが、猛ったゴブリン達はどんどん数を増やしながら集まってくる。
明らかに五十体はいるだろう。本来なら駆け出しのEランク冒険者が一人で倒せる討伐対象なのだが、この数ではCランクの冒険者が集まったパーティーでも不安になる。
そんな冒険者達が、都合良くこんな場所に来てくれるなんてありっこない。
絶望に視界が歪む。
「た、助けて……! 誰か……!」
気がついたら、無意識にそんな言葉が口から出ていた。ゴブリン達の甲高い笑い声と興奮したような叫び声に僕の声はかき消される。
次の瞬間、僕の上にのし掛かろうとしたゴブリンの身体が急に軽くなった。
生暖かい液体が肌にかかり、むせ返るような錆びた鉄の匂いがした。
見れば、ゴブリンの身体は胴の辺りで綺麗に切り裂かれており、傷口から血を吹いて倒れていくところだった。
「ゴブリンと戯れる変態かと思ったが、助けを求める声がしたからな。邪魔だったか?」
そんな声が右の方から聞こえ、そちらに顔を向ける。
まず目に入ったのは長く美しい剣だった。総ミスリル製に見える白銀の刀身を持つ見事なロングソードだ。
その持ち主は、黒い革と金属を合わせた軽鎧を着ており、黒のゴツいガントレットと少し長めの真っ黒な髪も合わさり、全体的に魔王のような印象を受けた。
いや、吊り目がちな目と、大量のゴブリン達を前にして浮かべる不敵な笑みがそう感じさせたのかもしれない。
大きめの丸い岩の上に器用に立つその男は、剣を肩に担ぐように持ち、口を開いた。
「で、どうする? 助けはいるか? それともゴブリンとお楽しみか?」
呆然と男を見上げていた僕は、ハッとなり叫んだ。
「た、助けてください!」
「はいよ」
男は嘘みたいに気楽な様子でそう答えた。
読んでいただき、本当にありがとうございます!
またすぐに更新致しますので、また是非見にきて下さい!