アレから始まる恋物語 第八話
家に着くなり、僕はリビングのテーブルにケーキボックスを放り投げて、ソファーに崩れるように座った。そして、そのまま横になる。
あの後、雨音さんとは、連絡先を交換して別れた。
罪悪感が少しあった。
でも、僕は別に、藤咲と付き合っているわけじゃない。
藤咲は、あくまで、僕の友人だ。
僕が、どこで何をしたって、別にいいじゃないか……。
走り去る直前の、藤咲を思い返す。
距離があったので、よくは分からなかったが、笑顔ではなかった。感情を押し殺したような、何て言えばいいのか、よく分からない表情だった。
もし、立場が逆だったらどうだ?
藤咲が、男の子と、おじさんでもいいけど、抱き合っているところを見たらどうだ。僕は、笑って手を振ることが出来たか?
「出来るわけ無いよな……」
一人つぶやいた僕は、仰向けになり、額に手を当て目を閉じた。
ポケットの中で、スマホが揺れた。でも、今は、何もしたくなかった。
「あれ、お兄ちゃん何してんの? あっ! ケーキ出しっぱじゃん! 冷蔵庫入れといてって言ったのに! 電話しても出ないし!」
妹の声が聞こえた。
慌ただしく、ドタドタと動き回っているようだ。
「お兄ちゃん、何してんの?」
返事をしないでいると、妹の気配をすぐ近くで感じた。目を開けると、響が僕の顔をのぞき込んでいた。
「お兄ちゃん。あの後、何かあったの?」
「ない」
「女の子でしょ」
「ないない」
「もしかして、フラれたの?」
「何でだよ」
「お兄ちゃん、香水の匂いがする。お兄ちゃんは香水なんかつけないでしょ? 女の子とくっついた証拠」
「名探偵か」
「お兄ちゃんの、その落胆した表情から察するに……。いい雰囲気になったと思ってつい抱きしめてしまったけど、拒否されたって感じ? きゃー、お兄ちゃん、青春してるぅ」
「ないないない」
とはいえ、文字通り嗅ぎつけた響の洞察力に感心する。
これ以上ここにいると、余計な詮索をされそうなので、部屋に戻ることにした。まとわりつく響を引き離す。なら、最初から、ケーキを冷蔵庫にしまって、部屋に戻ればよかったのだが。響に構ってもらいたかったんだろうなと、自問自答する。
自室のベッドに、迷うことなく飛び込む。
そう言えば、鞄を持って帰るのを忘れていたな、なんて、どうでもいいことを必死に考えて、晩ご飯を待った。
明日、学校に行くのが、何だか憂鬱だ。
初めて、そう思った。
翌朝。
響は珍しく朝練に行くと言って、早々と家を出た。
いつも通り、両親はすでに出勤している。今日、学校を休んでしまおうかと思った。誰も、止める者はいない。
「って、そんなわけにはいかないよな」
僕はつぶやく。
食器を洗いながら、窓の外を見た。よく晴れている。
晴れていないのは僕の心だけか。
気づけば、食洗機にかけるまでもないくらいに、食器はキレイになっていた。ラックに片付けて、普段は全く読まない新聞を手に取る。興味の無いことがたくさん書いてある。天気予報を見る。今日は晴れらしい。そんなの、外を見たら分かる。僕は新聞をテーブルの上に置いてた。
「あっ」
テーブルの上に、弁当が置いてあることに気づいた。響の弁当だ。
しょうがないやつだな。見つけてしまったからには、届けてやるか。別に、弁当がなくても、購買でパンでも買えばいいのだから、困ることはない。ただ、わざわざ置いていくなんて意地悪をする必要も無い。
そう言えば、響のクラスは何組だったか。
普段行くことがないので、忘れてしまった。
とりあえず、響にメッセージを送って、出来れば昇降口まで来てもらおう。その方が楽だ。
僕は響にメッセージを送って、家を出た。
学校に着くまで、何回か確認したが、僕の送ったメッセージはなかなか既読にならなかった。朝練って言うのは、こんなに長くやるものなのか? 気づけば、僕は学校に着き、時刻は7時45分。ホームルームまで、15分しかない。
昇降口で靴を履き替えていると、響からメッセージが返ってきた。『1年2組まで、デリバリーよろしく(ハートマーク)』、ハートマークの絵文字が、半分に割れて、戻って、割れて、戻ってを繰り返している。なぜその文章に使ったんだ?
僕は渋々、1年2組に向かった。新聞なんて読まなければよかったと思ったが、いちいちイライラするのも馬鹿らしい。
「おい響、持ってきたぞ」
「あ、きたきた! ありがとー、助かったよ」
「ほれ」
弁当を渡す。響は笑顔で受け取った。
響のクラスメイトが、珍しそうに、僕たちのやりとりに注目する。それも当然か。僕は響の教室に殆ほとんど来たことがないし、学園で名が知れているわけでもない。
響の友達と思われる女の子が、響に耳打ちする。僕をチラチラと見ながら、何か話している。
「え、この人?」
響は僕を指さす。
「違うよー、これ、お兄ちゃん」
兄をコレ扱いか。妹とは偉くなったものだ。
これ以上ここにいても、響が迷惑がるだけだろう。そう思って、教室を出ようとしたとき、僕の目に、あの、特徴的なショートボブが映った。
間違いない、雨音さんだ。なぜ、こんなところに!?
「雨音さん!?」
僕の声に、雨音さんは振り返る。
「あ、唯川先輩」
「え、お兄ちゃんって、あまねっち知ってるの? ん、なんでさん付けなの?」
立ち上がり、僕に駆け寄ってくる、あまねっち。
その姿に、違和感を覚える。
あれ、なんで!?
この教室にいること自体、おかしいとは思ったが、それ以上に、理解不能なことが起きている。
あまねっちは、容赦なく、昨日みたいに、僕に抱きついてきた。
「唯川先輩、また会えましたね」
「あ、ああ……」
僕は、半ば放心しながら、あまねっちの小さな肩に手をやった。
ふわっと、甘い香りがする。
「ちょっと、あまねっち。なんでお兄ちゃんに抱きつくの?」
響は、不思議そうに僕を見る。
いや、このクラスの殆どの生徒が、あいつら何やってるんだ、とでも言いたげな顔で、僕たちを見ている。
「お兄ちゃん、なんで、顔を赤くしてるの!? 大丈夫?」
大丈夫かと言われると、大丈夫じゃなかった。
だって、考えても見ろ。
こんなにも可愛くて、ふにふにで、いい匂いのする彼に抱きつかれたら、照れてしまってもしょうがないだろ?
あまねっちは背伸びして、目一杯背伸びして、僕にささやく。
「唯川先輩、びっくりしてますよね」
「ああ、してる」
「ここで、昨日のこと、言っちゃいますか?」
「いや、そのつもりはないけど……」
「ボクのこと、好きじゃなくなっちゃいました?」
「まず、好きだったかどうかについて、考え直す必要がありそうだ」
「ボクは、そんな唯川先輩のこと、大好きです」
あまねっちは、いたずらっぽく微笑んで、僕から離れた。
響が、僕を見ている。
男同士で抱き合っている兄を見たら、そりゃあ、そんな顔するだろうね。
「お兄ちゃん。いくら彼女が出来ないからって、可愛い男の子に手を出すのは、どうかと思うよ!!」
その日、僕こと唯川響の兄、唯川やまては、可愛い男の子に手を出すどうしようもないやつという強烈な印象を、1年2組の生徒に与えたのだった。
もしかしてあまねっちは、男装した女の子なんじゃないかという、淡い希望はあった。ただ、それを確かめるすべを、僕は持たない。こんなことを考えるくらいに、ダメージは大きかった。ただ、その可愛さの前には、性別なんて、もう、どうでもいいことかもしれない。