アレから始まる恋物語 第七話
朝。
今日は曇り空で、午前中から雨が降る予報。
作り置きの朝ご飯を、レンジで温めて食べる。
「今日は雨らしいな」
「…………」
「帰るまでにはやむといいけど」
「…………」
「響、パンツ丸見え」
「サイテー」
向かい合って座る、うつむき加減の響。その目元には、睡眠不足の証がうっすらと見て取れた。
天候と同じく、雲行きの怪しい妹がすねているのは、僕のせい。
昨日、宿題を見てやるといったのに、僕はそのまま寝てしまったからだ。何回かノックしたみたいだが、一向に出る気配がないため、諦めたらしい。それで響は、宿題を諦めるか、徹夜で解くかの二択になったらしい。
徹夜しないといけないとか、普段どれだけ授業を聞いていないのやら。
ただ、律儀に徹夜で解いた、その頑張りにはエールを送りたい。
ふてくされた妹は、つまらなそうにサラダを口に入れている。
「ごめん、響、何でもするから許して」
「……何でも?」
鋭いまなざしが突き刺さる。そんな怖い顔しないでください。
響は少し考えるように、視線をふらつかせた。
「……じゃあ、パフェ」
「パフェ? デザートのパフェ?」
「駅裏の超人気店の、パフェ」
「奢る。奢らせていただきます」
「お持ち帰りで、モンブランとショートケーキと、あと、たくさん」
あとたくさんって何だよ。
とりあえず全部了承して、なんとか機嫌を取り戻そうとする。
「お兄ちゃん、できるだけ要望に応えるから、許してください」
「はあもうしょうがないなぁ」
そういいながらも、口元をほころばせる姿に安心する。
埋め合わせは高くついたが、こればっかりは僕が悪い。
「今日、学校終わったらすぐね」
「え、部活は?」
「うちは、今日お休み」
部活にお休みなんてあるのか? 首をかしげる。僕もサボれという訳か。
「遅くなると混んでくるし、夕ご飯食べれなくなるじゃん」
それもそうかと、納得する。金だけよこせと、いわれなかっただけ、よしとしよう。
ピンポーンと、呼び鈴が鳴る。響の友達が迎えに来たようだ。
「あ、きたきた。じゃあ、お兄ちゃん、後はよろしく! 学校の後もよろしく!」
響は颯爽と立ち上がり、鞄を手に玄関へと向かう。
やれやれと一息ついて、食器を軽く洗って食洗機へ放り込んでから、僕も後に続いた。
***
「イチゴとパンナコッタのソフトクリームパフェ!! いいないいなぁ」
「これで990円って、結構するわね」
「あのお店、ケーキもすごくおいしいんだよ。1ピース440円だけどね」
「ああ、気にせずおなかいっぱい食べれる体とサイフがほしいわ」
放課後、駅裏の人気店の話で盛り上がる、藤咲とクリス。
今から妹に奢らされる人気店のメニューがいかがなものかと、スマホで調べているところに彼女たちが来というたわけだ。そして、ちょっと貸しなさいと乱暴に、クリスが僕のスマホを奪った。今は藤咲がもてあそんでいる。
「パフェもケーキもおいしそうなのはいいけど、こんなに高いなんて……」
一人、財布を握りしめて、僕は絶望を隠しきれないでいた。
高校生のお小遣いで食べられないほど高いわけではないが、気軽に立ち寄れるものでもなかった。
気の抜ける効果音とともに、僕の携帯が振動する。
「あ、唯川くん、妹さんからメッセージ。『お兄ちゃん早く』、だそうです」
「今度、あたしたちにも奢りなさいよね」
「いいねいいね、奢ってもらおうね」
可憐なクラスメイト二人を引き連れてカフェとは、心躍るシチュエーションそのものだが、代償は大きそうだ。
スマホを取り戻して二人と別れる。
昇降口で、響が手を振りながら早く早くとせかす。
「元気だね」
「へへん。なんせ、お兄ちゃんの奢りだから」
「ゲンキンだね」
そんな妹と、たわいない話をしながら歩く。
駅裏には、会社員に人気の、高級志向なお店が建ち並ぶ通りがあり、その一角に、僕たちが目指すカフェがある。
中に入ると、落ち着いた雰囲気という言葉がよく似合う、インテリアにも凝った作りのオシャレなお店だった。
「お兄ちゃん、すごく高そうなお店だね」
「実際高いな」
「うちは、この、イチゴとパンナコッタのソフトクリームパフェね」
イチゴとパンナコッタのソフトクリームパフェ。
ソフトクリームとシリアルとストロベリーソースが層をなし、その上にイチゴとパンナコッタが乗せられている。そこにも、これでもかといわんばかりにストロベリーソースがかかっていた。申し訳程度に添えられたミントも、彩りを飾る。
僕の頼んだ普通のパンナコッタとは、ボリューム感が雲泥の差だが、そこは値段相応だろう。
幸せそうにパフェを食べる響を見て、思わず口元が緩む。
「お兄ちゃん。あと、ケーキも忘れずにね」
屈託のない笑み。
そんな響とは対照的に、緩んだ口元が引きつる。
合計五つもテイクアウトしたケーキを誇らしげに携える響。
店を出て、ずいぶんと軽くなってしまった財布をポケットにしまうと、響はそのケーキボックスを僕に突き出した。
「お兄ちゃんごめん。友達に誘われたから、これ、持って帰って」
兄から勝ち取った戦利品も、遊びには邪魔らしい。「帰ったらすぐ冷蔵庫に入れといてよ」、そういって、響は走り去る。
はあもうしょがないなぁ。
とはいえ、どうせ他にやることもない。これで貸し借りなしだ。
僕が歩き出そうとしたとき、後ろから声が聞こえた。
「あ、あのぉ」
聞き覚えのあった声に振り返る。
そこにはこの前、近所の商店街で会った、あの少女の姿があった。
嫌でも運命的な何かを感じた、いや、感じたかった僕の鼓動は高鳴った。
「きみは、あのときの……」
「ボクは、雨音って言うです」
「アマネさん?」
「はい。雨の音って書いて、雨音って言うです」
「そう……」
僕は緊張して、それ以上何も言えなかった。
それでもなんとか話を続けようと思い、話題を探していると、不意に、雨音さんが迫った。
何の抵抗もなく、何の抵抗もしない僕に抱きついてきた彼女は、僕の胸に顔を埋めて言った。
「会いたかったんです、会いたかったんです」
「え、ええ!?」
女の子らしい香りが、ふわっと、鼻をくすぐる。
一体何が起こっているのか、よく分からなかった。彼女と会うのは2回目だ。初めて会ったときも、特に会話など無かった。今、こうして抱きつかれている理由が、分からない。
もしかして、誰かと間違えているんじゃないか、そう思った。
「この前は、優しくしてくれたのに、お礼も言えないで、ごめんなさいでした」
「ちょ、ちょっと待って」
「ボク、あの後から、ずっと、また会いたいって思ってて、今日また会えて、嬉しかったです」
離れてくれと言えない自分が情けなかった。
この前のことを思い返す。こけた彼女に、一言声をかけて、手を差し出しただけだ。それだけなのに、また会いたいと思うものなのか。会えたとして、抱きつくほどなのか。
「ボク、一目惚れしちゃったと思うです」
「――えっ!?」
そう言われて、はっと自分のことを思い出す。
僕も、一度しか会ったことの無い彼女に、また会いたいと思っていた。
さすがに、会ったからと言って抱きついたりはしないけど、そういうところ、女の子はずるい。こんなことされたら、僕は、きみのことを――
「やめてくれって、言わないですね」
「……嫌じゃ、無いからね」
僕に抱きついたまま見上げる彼女の可愛さは、近くで見ると、それはもう、僕の語彙では形容しきれないほどだった。
「……じゃあ、ギュッて、抱きしめてくれるますか?」
「今、ケーキの箱を持ってるから」
「持ってても、出来ると思います」
「…………」
据え膳食わぬは何とかという言葉を思い出す。
ここは割と人通りの多いところだ。こんなところで抱き合うのはとてもじゃないが、遠慮したいところではある。しかし、可愛い女の子のお願いを断ることは出来ない。人目は気になるが、決意して、彼女の背中に手を回す。
そのとき、僕の正面の、ちょっと先。50メートルくらい離れたところに、見知った姿を捉えた。
――藤咲雅だ!
彼女と目が合う。
彼女は驚いているようだった。
僕も驚いた。
そして、何だろう。何か、心の奥が、ずしっと重くなる、嫌な感じがした。胸が締め付けられるような、不安感。
それでも僕は、雨音さんから、離れられなかった。
気持ちを落ち着かせたいと、そう思って、雨音さんを抱く腕に力が入る。
悩ましげな声をあげる彼女といつまでも抱き合いながら、僕は、走り去る藤咲を見送るしかなかった。