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呼び出された父から差し出されたのはある一枚の羊皮紙だった。
「……なんですの?」
「お前の婚約者が決まった。」
婚約者……?
後ろにいた母がにこにこしていてとても嬉しそうなのは何故なのか。
夜会の次の日の朝に決定とは、なんという速さだろうか。ちらりと父を伺えば、珍しくなんとも言えない表情を浮かべていた。
「いつの間に知り合ったのかは知らんが、……よくやった」
よくやった?
はて、どういうことだろうか。
首をかしげるリィアデルに父は構わず続ける。
「書いてある場所に行って来い。今日は顔合わせだそうだ。」
質問させてはくれず、侍女と執事に連れられて朝から身支度をして馬車に乗せられた。
ーーーーー
私の娘は、こう言っては父親失格なのかもしれないが父であるはずの私でさえ理解不能な部分があった。
公爵令嬢としてどこに出しても恥ずかしくないよう躾、教育共に励んだつもりだが、一体私はどこで間違えたのか。
ある時突然娘が平々凡々な殿方に嫁ぎたいと言って来た。娘には“公爵令嬢”の務め……ひいては貴族における女子の義務を教えた。いわゆる婚姻だ。どこの親でも好きで他家の嫁にやるわけではないが、国から領地を任されている貴族としての務めだ。婚姻は、貴族にとって大事なものだ。“公爵令嬢”の娘もそこはわかっているはず……。平々凡々な殿方……。その平々凡々が私にはわからなかった。
「リィは、平民と婚姻したいのか?」
ある時思わずそう聞いてしまったほどだ。
しかし、娘もそこはきちんとわかっていたようで家格の釣り合うそれでいて特筆するような何かを持たない殿方だと返された。
娘よ、それは特に魅力のない殿方だと言いたいのか?
危うく声に出しそうになったがそこは言わないでおく。言ってしまえば私の中で娘に対する大事な何かが壊れてしまう気がする。
幼い頃から何故かこだわっていた婚約者像。
妻は、何かを知っているのかにこにこと笑顔を浮かべるのみ。
「あなた、あの子は、大丈夫ですよ。うふふ。きっと大物を釣り揚げて来るわ! だって私の子ですもの!」
以前ルンルンと楽しげにそう言ってたことを思い出し首をかしげるものの、やはりわからない。果たして何が大丈夫なのか。
婚姻相手を決める娘の初の夜会。王太子様の祝いの席というだけあって娘にとって初の夜会は盛大なものであった。しかし、挨拶回りを終えて会場の端で娘を見つければ彼女は、引き攣った笑みを浮かべて何故だか若干顔色が悪い。
「リィ、お前の初の夜会だというのに壁の花でどうする」
お前の言う平々凡々な男を見つけろ!
暗にそう言いたいのだが、伝わっているのかいないのか。
緊張? お前が夜会ごときにする玉か?
そんなやりとりをコソコソしつつ、婚約者のことを示唆すればリィは、私に決めてくれと会場を出て行ってしまった。
挨拶回りを終えているし、もうダンスを踊る必要もない。貴族として夜会での義務は果たしたから文句を言う奴はいないだろうが……。逃げたな。
嘆息しつつ、ウェイターから飲み物を貰って一息付いていれば目の前から歩いて来る御仁にギョッとした私は悪くない。
「お久しぶりです。ユネグレイス公爵。」
「……お久しぶりです。ご健勝、御活躍、我が領地にも聞き及んでおります。サウィル殿下。」
サウィル・フォン・ファグラス第一王子殿下。
この国の見まごう事なき未来の王である。
「堅苦しい挨拶はやめてください。公爵、突然で申し訳ないのですが、少々お時間を頂けますか?」
にこり、と人好きのしそうな笑みを湛えた殿下に何故か背筋が寒くなるような悪寒を覚えた。
「……えぇ。もちろん」
後で思う。この時の私の寒気は嘘ではなかったと。
私の王子に対する認識は、この時塗り替えられた。
賢く優秀な王子から、腹黒で絶対的強者の捕食者へと。
「……リィ。お前の言う平々凡々の殿方へ嫁ぐ夢は、消えそうだ。私にはどうにもできん」
「あらあら、あなた。やはり娘は、大物を釣り上げましたわね!」
妻の能天気さが羨ましく思ったのもこの時だけだった。