敵対空陣地の急襲、及び第36歩兵大隊『アーヴァレスト』救援作戦・1
風のうわさで聞いた話だと、現在の戦況はどうも芳しくないらしい。
なんたって向こうの方が人口も多いし、兵士数も倍はいる。工業だって技術力だって向こうの方が盛んだ。
そもそも、戦争が始まったのはほんの5年前のこと。
最初は国境沿いの小さな森の中で水争いや土地争いの小競り合いが起きたことが事の発端だった。
そうしたらコチラのお偉いさんが「前線に飛竜を投入しよう」と言って訓練した飛竜の前線投入を決断する。
今まで体験したことの無いであろう飛竜らの大火力で敵部隊を圧倒したけど、そしたら向こうのやる気に火が付いた。
相手方の武器の改良に次ぐ改良で火力は増大し被害も桁違いに増えてしまう。そうやって俺たちの行く手を阻む重バリスタが大量生産されるし、“魔導兵器”とかいうバリスタなんかの数十倍とかいう桁違いの火力を持つ兵器も配備されているとも聞いた。
そうやって5年が経ち、自国に接する敵部隊数は増え、戦線は広がり、その各戦線で敵方に押され始めている。そうして今に至るというわけ。
「……それでも戦争するんだからお前の親父もすごいよな。大したタマだよ」
「ほんとに失礼な口を利くのね。ウチの近くでそれを言ったら国辱罪で地下牢行きだよ」
上空3000フィート。天候晴れ。風速は2メートルほどだろうか。
ここにいる限りは間違いなく近衛兵に聞かれることは無い。確かにそう考えると、好き放題愚痴れるので地上軍なんかよりもよっぽど恵まれているんだろう。
遠くには自軍の野営地が至る所にあった。炊煙だろうか。至る所で煙が上がっている。
「降下準備ぃっ! 味方陣地に緩やかに着陸せよっ。私に続けぇっ!」
コノエ中隊長の凛とした声が響き渡った。
最前線はこの野営地から2㎞程度西にある。飛竜でなら飛び立ってから3分も掛からないし、歩いたって10分ほどで着いてしまう。延々と続く緑の大平原に、うっすらと炊煙が上がっていた。炊煙の先がそれぞれ基地なんだろうか。
俺たちが降り立つ野営地には歩兵第2師団の前線司令部と、司令部付きの第36大隊が配備されている。
軍属を含めれば総勢およそ500人ほど。移動する小さな村といったところだろうか。
すぐに飛竜も飛膜を広げて減速し始めた。
100フィート、もう100フィートと地上が近づくにつれて草木の匂いを感じる。
無事に地上に着いた時がやっぱり、安心する。
地に足を付けて歩いてきた人間だけなのかもしれないけど、やっぱり地上が一番落ちつく。
そんな感傷はほんの数秒だけの話。課せられた任務はまだまだ残っている。
○
むさい。それに臭い。
野営地の側に飛竜を停めて、徒歩で歩兵部隊の野営地に入った時の率直な感想はこれだった。
もっとも、飛竜部隊の野営地も飛竜の餌や糞尿で確かに臭い。
でも、そっちの方がこっちよりもまだ洗練された匂いがするような気がした。
陰気な匂い、とでもいうのだろうか。とにかく色々な鬱屈した饐えたものがこもった雰囲気が辺りを充満している。
兵士の一部は昼間から酒を食らい、大口を開けて寝ている。秩序はない。
どれもこれも死と隣り合わせの最前線でよく見かける光景だけど、ここの野営地はかなり酷い方の部類に入ると思う。
眉を顰める俺とマリアだったが、コノエ中隊長は平然としたまま警備兵に声を掛けた。
「第七飛竜強襲中隊長のヴァロン・コノエだ。千人長はどちらに?」
「お待ちしておりました。フリオ千人長は最前線に視察に出ているので不在ですが連隊長がコノエ様をお待ちです。ご案内いたします」
頭には白い房が付いた白銀色のバシネット。バイザーの下は金髪の整った顔立ちだ。
鎧だって粗雑な革鎧なんかじゃない。全身を装甲で覆った板金鎧。案内したのは連隊長直属の宮廷付きの騎士だった。
チラッと見えた帷幕の中には、呑んだくれている一般兵とは違って数少ない規律がそこにはあった。
俺たちの数倍の給金を貰ってるんだから当たり前かもしれないけど。
「ようこそおいで下さいました。ああ、マリア様もご一緒ですか。あまりある光栄でございます」
胸に勲章を下げた初老の男はマリアの前へとでると恭しく頭を垂れた。
彼からは仄かに石鹸と香水の匂い。そして、上品な葡萄酒の香りが際立っている。
「世辞は結構ですよローレン連隊長。此度は我が中隊長へどのような指示を?」
背中を守りつつを放つ姿は一人の飛竜乗りだけど、こうして本国の貴族と並んで見ると確かにマリアには気品がある。
何気なしにウェーブがかった長い金髪をかきあげる仕草だって、王女様のソレだ。
彼女は俺の驚いたような表情を見て笑った。
「……いや、当然でしょ。彼は王都住まいの貴族なの。城で何度か見たことあるし」
「我らが連隊は果敢に戦ってはいますが、何と言っても兵数差が覆せないほどにある。こちらはこの戦線だけで3個連隊の4000程度。しかし、相手は1万は下らない」
単純計算で倍以上。
簡単に覆る数字ではないし、多分、前線の兵士はそれを悟って荒んでいるのかもしれない。
だとすれば、なおのことタチが悪いし、始末に負えない。
「そこで背後の輜重部隊を潰してほしいのですよ。連中は急速に部隊数を増やした。斥候騎兵を使ってもいいのですが、防衛線を抜けるには非力すぎる。お分かりでしょう」
「確かに飛竜なら簡単にやれる。しかし連中のルートは分からないですよ。闇雲に動けばこっちが危ない」
「なに、情報は得ていますからその点はご安心ください。それに付け加えてもう一つ」
形勢は悪いが、そのまま手を拱いているという訳ではないらしい。
連隊長は白髪混じりのブロンドの髪をきざっぽくかきあげて口角を上げると中隊長に封筒を差し出した。
「本国からの補充と、予備軍を向けてほしいという要望が通りましてね。そこで、一つ、攻勢をかけようと思っております」
「なるほど。その援護をしろと」
「当たらずとも遠からずです。その際に、重飛竜部隊を使えることになりましてね」
連隊長は上機嫌であった。
封筒の中身をもらい、頭を寄せ合って読んだ。確かにそんなようなことが書かれている。
「流石は大貴族様ですね。それで、我々には敵の対空基地を潰して来いと」
「御明察です。少々危険ではありますが、この攻勢を成功させるには必要不可欠ですので」
「構わない。そのための飛竜中隊だからな。場所を教えてくれ」
二つ返事で言い返すにはあまりに無茶な話だし、さすがにどうだろう。
二人で側に寄って耳打ちで言った。
「……いやいや無茶ですよ。敵バリスタを潰すために何機落とさせるつもりですか」
「……私もそう思います。隊長、こればかりは止めた方が」
「馬鹿はお前だアスカにマリア。その態度が気に食わないからお前らが先陣を切れ。あの時の操縦術を期待してるぞ」
コノエ中隊長の言葉に俺は、いやマリアも含めて言葉を失った。
「その、私が言うのもなんですが、何も姫様が乗った飛竜が行かなくても。ご存知の通り、一国の王女ですから……」
当然のことながらマリアの困り顔はローレンスもしっかりと見ている。
マリアにもしものことがあれば……まぁ、そこら辺は言わずもがなだし、多分、俺だけが生きて帰ってくれば、本当に王都の地下牢行きは免れない。
しかし、当の中隊長は優雅に微笑んでいた。
「連隊長殿。我々は貴様らのの勲章稼ぎの無茶な攻勢に黙って付き合ってやるんだから黙ってて下さい。そもそも貴様らにらはこちらの編成に口を出す権限は無い。今日は失礼する。また後日」
戸惑う連隊長とお付きの騎士たちを背中に置いて、毅然と帷幕を後にするコノエ隊長は流石だった。
というか、相変わらずだった。頭を抱えざるを得ない。
卓越した飛行センスで中隊を率いてて戦場を駆け回って挙げた戦功は誰の文句のつけようがない。ジャケットの胸に下げるべき勲章だって本来ならかなりの数あるはずだ。
本来なら部隊ごと王都に引き上げてサーカス飛行とか、大都市の飛竜士学校の教官になるのが自然な流れだ。
それなのに、最前線の部隊を率いさせられるのは、多分、これにあるんだろう。本人の性分なんだからどうしようもない。
つまり、それに付き合わされる部下である俺たちの片の荷が降りることは、到底無いんだろう。
○
「昼間から帷幕の中で連隊長と戯れるたぁ、いい御身分だな」
帷幕の中から洗練された空間に戻った途端、これだ。
見慣れない顔が帷幕に入って行くたびに毒づいているのだろうか。それはそれでけっこうなことだと、思う。
「平民出身のウチの隊長は味方を励ましに前線へと行き、貴族ご出身の連隊長殿は帷幕の中で美人と遊んでやがる。まったく、良い御身分なこったよ」
ジョッキを片手に男は空笑いをした。
まぁ、その口振りは悪いけど、共感できなくもない。
指揮官は最前線に赴いているのに、その上官は帷幕で無謀な計画を立案。これじゃ浮かばれるはずもない。
「お前、飛竜乗りだろ。こちとら泥水を這いずり回ってタマ張ってるってのにお前さんもいい御身分だ。文字通りの高みの見物だもんな」
相手からは酒の香りがする。昼間なのに。勤務時間なのに。
いちいち相手にしてもきりがない。そのまま横を通ろうとした時だった。
「口が悪いなマムート。部下が失礼な口を利いた。無礼を詫びよう」
「千人長っ、失礼いたしました」
絡んできた男はすぐさま姿勢を正し、千人長に大声量で最敬礼した。
なんだよ。詫びる相手が違うだろ。
「フリオ・カッツだ。私の第36大隊『アーヴァレスト』へようこそ。飛竜乗りの青年諸君」
髭面で立派な体躯の千人長はこちらに歩み寄り、手を伸ばして来た。なんてことの無い握手だろうし、俺も右手を差し出した。
がっちりと握り合う。……にしては、力強すぎる。だが、千人長の顔はコノエ中隊長のように優雅な笑みだ。
握手に力が籠もってしまうほどに歓迎されているんだ、という訳ではないんだろう。
マリアはビビって俺の背中に隠れるし、コノエ隊長は優雅に微笑みながら俺たちの事を見つめている。
彼女の手には懐から取り出した配給品の酒瓶が。やっぱり、やってられないんだろうか。