誉れ
ふと、横を眺めたら地平線の彼方に赤く燃える夕日が沈んでゆくのがよく見えた。
これが銃後だったら、うっとりと沈む夕日を見つめながらこれまでの戦いでどれだけの血が流れ、故郷でどれだけの人が悲しんだのだろうか、なんてセンチメンタルな感情がよく似合う風景だが、そんなものはどうでもいい。
いや、どうでもいいって訳じゃないけど、そんなことを考えている暇は無い。
余計なことを考えていれば、即座に飛竜に振り落とされる。思いを抱えたままあの世へ行くのはゴメンだから。
「これよりぃ、本中隊は敵陣へとぉ、先駆けるぅっ! 全機ぃ、急降下準備ぃ!」
先頭を飛ぶヴァロン・コノエは陽を背にして大きく右手を挙げた。
華奢な彼女は左手一本で飛竜を御している。乗る飛竜もまんざらでは無さそうに長い首をしゃくっていた。
現在、上空3000フィートで巡航速度は120㎞。この感じなら降下速度は300㎞を越すだろう。
俺らが跨る飛竜単体ならともかく、生身の人間が跨った状態で出す指示ではない。明らかに常軌を逸している。
まず、常識的に考えて上空3000フィートから落ちればまず体が吹っ飛ぶ。
仮に急降下を生き長らえたって、急降下から高度を上げるための機首上げで一気に重力が掛かってブラックアウト、要は気を失う。それか風圧で手綱が変な方向に引っ張られて胴と頭が真っ二つに離れ離れだ。
横で編隊巡航している別部隊の飛竜乗りの目がゴーグル越しに見えた。達観したように天を仰いでいる。
「おいアスカっビビってんじゃねえぞ! その態度が頭にきたから貴様が先頭だっ! 先陣の誉れは貴様にくれてやるっ! 全機ぃ、アスカに続けぇっ!」
皆の冷めた顔はさておいて、当のコノエ中隊長はやけに楽しそうだった。この無茶ぶりは毎度のことだけど本当に嫌になる。
俺は口の中でため息を吐いた。そしてちょうど前方、敵砦が見えた。一瞬で分かる。対空装備がぎっちりだ。
パッと見ただけでも大型の対空用バリスタが4機。それを守るように対地上用を兼ねた小型の速射式バリスタが6機ほど。
なんてことはない。かなりの重装備だ。まったく笑えない。
「敵飛竜襲来ぃっ! 標準合わせ!」
ちょうど敵さんもこちらに気が付いたらしい。敵襲を知らせる喇叭手のけたたましい大音量と、そんなような声が風に乗ってこちらまで届いた。
実際、水平方向を向いていたバリスタ4機が一斉にこちらへと標準を合わせようとしている。
「どうしたんさ。まさか本当に怖いの?」
「うるさい。怖くなんかねえよ。黙って装填しろ」
背後を守るクロスボウ手の嫌味は毎度のことことだから気にすることなんかない。すぐに右手でハンドサインを送った。
急降下、我に続け、我に続け、我に続け。
「……後ろを頼むぞ姫様。陣地に戻ったら蜂蜜と木イチゴのパンケーキでも御馳走してやる」
「あなたって田舎くさい料理しか作れないの? それに、そういうことを言う時ってのは、大体死ぬ前だって、城の図書館で読んだことがあるんだけど」
そのまま無視して左手の手綱を短く持ち直して思い切り下へ引いた。一瞬、愛竜「ミハエル」は上ずったように首を天高く伸ばした。
それからは穿たれた矢のように一直線だ。
体が一瞬宙に浮き、すぐに鞍へと体重が圧しかかる。まさしく人竜一体。実際怖いしキツイし不安になる。でも、この一時がたまらない。心から飛竜乗りで良かったと、感じさせる瞬間だ。
「クロスボウ準備ぃ! おい、マリー、早くしろ!」
振り返ると、居るはずのクロスボウ手の姿が無い。
「ひゃっはーーーーーーーい! 吹っ飛んじゃったよぉ……」
鞍に備え付けられた連装式重クロスボウはガチャガチャと音を立てて首を振っている。
風切り音にも似た彼女の甲高い叫び声はどんどんと遠ざかっていった。
「おい、あの馬鹿……もう、無理だ、機首上がらねえっ!」
「続けっ! アスカに続けぇ!」
もう後戻りは出来ない。俺たち2個中隊の飛竜12機は、重力に導かれるがまま敵陣目掛けて強襲をかけていった。
その時、涙目の王国第9王女、マリア・ファング・リヒトシュタインはスカイダイビングを楽しんでいた。
○
こちらの損害は奇跡的にゼロで済んだ。
開けた場所に着地出来てからわかったけど、俺たち飛竜が小型のバリスタの標準を引きつけたから、その間に地上軍の攻撃が順調にいったらしい。
それから、マリアは中隊長が無事に拾ってくれていた。罰として「当分の間はトイレ掃除を仰せつかった」と帰投中に俯きながら愚痴っていたけど、まぁ仕方無いだろうな。
基地に戻って竜の世話を終えた俺はとりあえず、調理場を借りてパンケーキ焼きに勤しんでいた。
ヤツと約束したということもある。それよりも、とにかく俺は腹が減っていた。
そんな折。同じように世話を終えた中隊長が脇のテーブルに腰掛けた。
「あんな事件があったのに相変わらずの操縦技術だな。ここぞってスイッチが入ったらもはや別人だ」
「いえ、滅相もございません。私なんかはまだまだです。キッチンをここまで好き勝手使わせてもらえるんですから当然ですよ」
「世辞じゃない。先頭を切るお前は自信に溢れていた。ああいう男が前線を支えなければならないからな」
第七飛竜強襲中隊・通称『グレート・ワイバーンズ』。駐屯地は前線から20㎞ほど手前の小高い丘にある。
なんてことのない前線基地だが、飛竜乗りはテントでは無くて一つの小屋が与えられる。
テントにすし詰めにされるもっと最前線の部隊と比べたら遥かに恵まれている、だなんて事をたまに言われたことがあるけど、どうなんだろう。
飛竜が機嫌を損ねて振り落とされれば即死。
バリスタに射られれば即死。
ファー付きのコート一枚を羽織って戦っているから不時着して敵と剣を交えたらまぁ即死。
乾いた笑いが出た。間違いなく、地上軍よりもこっちの方が死が近い。
「なんにせよ、味方からのやっかみは花形部隊の常だ。気にする暇があったら竜と接しろ。そして、親しくなれ。それだけだ」
中隊長はオーブンの前でしゃがみこんだ。立っているときは俺と同じぐらいの170ほど。
かなり上背があるのではっきり言って飛竜乗り向きではない。なおかつ出る所は出てるし、しまる所はしまっている。性格のきつさを除けば完璧な女性だろう。だからこそ、常にそういう風にやっかんで目で見られていたのかもしれないけど。
まぁ、何よりもバターと木イチゴが香ばしく焼ける香りを楽しむ余裕があるだけ、最前線の地上軍よりも案外恵まれているのかもしれない。
「これを私にも一つ寄こせ。お前は飛竜乗りとしては四流だが、料理の腕は三流だな。戦いが終わったら屋敷のメイドに雇ってやってもいい。私も腹が減った」
「……それでも二流なんですね」
「あ、それ私のだよ中隊長。全部私が食べるんだから」
トイレ掃除を終えてナイフトフォークを持参してきた食い意地の張った皇女様と、頭のネジが吹き飛んだ女中隊長のためにもう一枚パンケーキを焼く破目になった。
そしたら、だ。
「上手そうな匂いだな。アスカ、俺にも一つくれ……」
「お、いいねえ。俺にもちょうだい……」
パンケーキの香りは人を寄せ付けるらしい。
続々と戦の後処理を終えた操縦手や機銃手、そして飛竜の飼育員らが食堂へと集まって来た。
食事会は宴会となり、葡萄酒片手に結局夜半まで続いた。
なんだかんだで数十枚は焼いただろう。一緒になって騒いでいる輜重隊のおばちゃんは『これなら私たちの仕事はもうないねえ』なんて言っていたけど冗談じゃない。
ひたすらに料理を振舞って、くたくたに疲れてから自分の小屋に戻ったものの、明け方には空腹で目が覚めた。
余った食材でスープでも飲もうと思って寝ているマリーを起こさなように戸を閉めたつもりだったけど、彼女もちょうど目を覚ましていた。
「なに、おなか減っちゃったの。なんで食べなかったのさ。あんなに美味しいケーキがあったのに」
「……余計なお世話だよ。それより今日の戦闘はなんなんだよ。始まる前から振り落とされるヤツなんて初めて見たぞ。訓練生だってもっともまともに乗りこなすんじゃないか」
急降下した後、俺は左手で飛竜を操りながら右手で重クロスボウを乱射していた。多分、まともにボルトは当たっちゃいないだろう。
先頭を飛んだのによく生き残ったな、と我ながら思う。
「残念だけど学校じゃ主席だから。アスカの指摘は当てはまりません。それに一国の主の家族に向かってなんと失礼な言葉。少しは言葉を慎みなさい」
「いや、突然お姫様感を出されたって困るんだけどさ」
マリアのふくれっ面は森のリスそっくりだった。可愛げで言えばリスのほうに軍配があがるかもしれないけど。
「まぁ許してあげる。それと、『一緒に早めの朝ご飯を食べてあげよう権』をあなたに授けて上げるから、ほら、はやく行使しなさい」
得意げな彼女の顔が朝焼けのせいもあるけど、幾分か眩しい。
そんな中でだ。基地に鳴り響いたのは出撃を告げる喇叭の音色。
二日酔いまっただ中の飛竜士達は我先にと扉を蹴飛ばしながら小屋を飛び出している。
「……その権利は今度行使してやる。出撃だ。支度しろ」
俺も同じように上着を取って地面を踏みしめた。
飛竜の小屋に着いた時には中隊長は既にジャケットに身を包んで、飛竜に乗る伝令手の報告を受けている。
戦争はまだまだ半ばといった所らしい。俺の故郷を探すためにもこんな所で立ち止まってる暇は無い。
朝日を浴び、俺は飛竜へと飛び乗って大空の彼方へと飛び出した。