誤解。
なんかあまり会話をしない方が得策だと思っていたけれど、これは駄目だ。言い返した方がよさそうだな。あぁ、でもまた変な方向に意味を取られるとホント面倒なんだが。
致し方あるまい……、内心うんざりしながら口を開いた。
「あー、ある意味来栖のいう事は正論だろう。誰しも本音を曝け出して生きているわけではあるまい」
「うん」
我が意を得たりと頷くんじゃない。
「だが、それによって俺が落ち込んでいる事実はない。それに田所が傷ついてるかどうかなど、本人しか分からない事だろう。それを他人がとやか……」
「どうして蒼くんは、そうやって庇おうとするの?!」
「は?」
か、庇う? 今の会話で誰を庇った俺?
言葉の途中だったから口を開けた状態の間抜け面を晒したまま、来栖を見返す。
駄目だ、やっぱりこいつの言ってる事まったく理解できない。会話しようとした数秒前の俺を止めたい、殴ってでも止めたい。たとえ回避できなかったとしても、さっさと無視してしまえと言い聞かせたい。
そんなことを俺が考えているなど気づきもせず、来栖は斜め四十五度どころか一周回って半分過ぎた辺りの訳の分からない言葉を並べ始めた。
「土井さんを庇って、自分が傷つくなんてダメだよ? 自分を後回しにして周囲を優先する度に、蒼くんが傷ついてることくらい私には分かるんだから!」
「……は……はぁ?」
俺が傷ついてるって、……俺が初めて知ったわ!!!
ふるふると震えながらも、じっと俺を見つめる来栖。
確実におよび腰の俺。
「蒼くん、もっと自分を大切にして。私に、蒼くんの重荷を少しでも分けて欲しいの」
重荷なんてねーよ、怖いんだよ怖すぎるんだよ。駄目だ、俺もう駄目だ。
直接対決してはみたものの、来栖の耳が全く機能していない事だけは分かった。それが収穫だ、もういいだろう。俺は限界だ。
ちらりと天井に視線を走らせて溜息をつくと、俺は何も言わずに来栖の横を大股ですり抜けた。
「蒼くん?!」
いきなり動き出した俺に驚いたんだろう、名前を口にした後一拍遅れて後ろを振り向く。けれど俺は顔を見る事もなく、足を早めた。
とにかくこの場から去りたかった。来栖の言葉を聞くのが、苦痛すぎて。
「まだ仕事が残っているから失礼する。来栖はさっさと帰れ」
「え? そんな、待って……! きゃぁっ!」
呼びとめる言葉に反応することなく奥の実験室へと足を進めれば、来栖がこちらへと駆けだしたのが音で分かった。面倒くさいと思いながら体を引けば、抱きつこうとでもしてたのか両手を広げた来栖が何かに躓いて前のめりになっているところだった。
「……」
対象が生理的に避けたい人物でも、とっさに手が出てしまうのは仕方がないだろう。さすがに目の前で女が転がる姿を見たいわけじゃない。
咄嗟に出した右腕で来栖の肩を掴むと、慌てたようにしがみ付いてきた。
「わ、びっくり……した……」
びっくりしたのはこっちの方だ。いまだにしがみついたままの腕を動かして、眉を顰める。
「ちゃんと立て。そしてさっさと帰……」
「えっ! 風紀委員長!?」
……
何、今の叫び。
俺と来栖以外の第三者の声にそちらへ顔を向けると、驚いたような表情の女子生徒が階段を上がってきたのだろう様子でこちらを凝視していた。
「そんな、風紀委員長って……来栖さんと……」
「……は?」
俺が来栖と? その言葉を反芻して、今の状況を鑑みる。あぁ、来栖が俺の腕に抱き着いているように見えるのか。
「いや、誤解しないでほしいのだが。転びそうになった来栖を助けただ……」
「ちょっ、やだっ! こんなとこ見られるとか恥ずかしい!!」
……は?
来栖は慌てて俺の腕から離れると、顔を真っ赤にしてその女子生徒に向け両手を振る。
「違うのっ、違うんだよ!」
「いや、来栖。その言い方は……」
誤解を生むようにしか思えないんだが?
案の定、女子生徒は顔を真っ赤にさせて階段を駆け下りて行ってしまった。
「ちょっと待て!」
どう考えても誤解されたぞ、これ。来栖ととか、ホントやめてくれ!
慌てて追いかけようとした俺の腕を、来栖が掴んだ。
「蒼くん! ごめんねっ! ちゃんと私が言っておくからっ」
「いや来栖が言うと誤解されるしかないような気がするから、余計な事はしないでくれ」
来栖の腕を振り払って、女子生徒を追いかける。そのまま階段を一階まで駆け下りたが、どこにもその姿は見えなかった。校舎から出ても、どこにもいない。
「……嘘だろオイ」
どれだけ足早いんだよ……。
諦めきれずに周囲を探してみたが、どこにも姿がない。忍者かよ、隠れ身の術かよ。
仕方なくもう一度三階へと戻れば、来栖の姿もなかった。どうやら、もう一つある出入り口から帰ったようだ。
「何この訳の分からない状況……」
何もする気が起きなかった俺はしばらくその場で頭を抱えていたが、とにかく仕事を終わらせて二人が待っている風紀委員会室へと向かおうと三階のチェックを再開した。
「……明日が怖い……」
いったいどんな噂になるのかが想像つきすぎて、溜息どころの話じゃない……と肩を落とすしかなかった。