鳩の箱
ドバトが建物のすきま間などで繁殖するのは、岩場で繁殖していた時代のなごりであろう。
「都市の鳥――その謎にせまる――」
1
××中学校、グラウンドに設置された倉庫の内で男性が死亡しているのが見つかった。
男性は近所に住む七十代の老人で、学校の職員でも生徒の保護者でもなかった。
目立った外傷はなく解剖の結果死因は急性心筋梗塞だと判明した。年齢に加え心臓が弱っていたこともあり、事件性は薄いと判断された。
不可解なことがあるとすれば老人はその顔に恐怖を浮かべたまま倒れていたことだが、その理由もすぐに解明された。倉庫内に裏の窓ガラスの割れた箇所から鳩が入り込み、巣を作っていたのだった。そして戸を開けて中に入ろうとすると、怒って攻撃をしてくる。普段使わない倉庫だということもあり、学校側はその事実を把握していなかったようだ。
老人は鳩に驚いて心臓発作を起こしたとみられる。また、急な心臓の痛みに対し恐怖を覚えたとしてもそれ自身不思議ではない。
老人は認知症を患っており日常的にふらふらと学校内に入り、人の気を惹こうとしていたという。そのため死亡した場所にもそれほど大きな注意が払われることはなかった。鍵が掛かっていなかったから入った、を地でいったようである。
その日学校中が騒ぎになったのは言うまでもないが、一週間を経て話題にされることもなくなった。所詮外部のおかしな老人など当座の話の種でしかないのだろう。生前そうであったように。
2
本当に鳩のせいなのか、と間宮俊介は考えていた。
それにタカナシのおじさんが鳩に驚いて死ぬなんて。あれだけ公園で鳩に餌を撒き散らしていたおじさんが……。
俊介は、校内での通称「タカナシさん」が裏倉庫で死んでるという話を聞いて矢も立てもたまらず現場に向かった。倉庫を取り囲んだ教師たちに本気で怒鳴られてひるんでしまったけれども、運び出されたタカナシのおじさんのその死に顔だけは覚えている。目をカッと見開いて何かに怯えるようだった。
俊介には小さい頃から、近所で個人商店を営んでいたタカナシのおじさんと付き合いがあった。頻繁に立ち寄っていつも何かお菓子を貰ったのを覚えている。大きくなってからは、奥さんを亡くしたタカナシのおじさんが店を畳んだこともあって、少しずつ疎遠にはなっていってしまったが、道端で会うとよく「シュンくんいくつになった?」と声を掛けてくれたものだった。
また鳩とも付き合いがあった。その倉庫は、倉庫と言ってもゴミ置き場に近かったので教師たちも生徒たちもほとんど関心を払っていなかった。しかし鳩は違った。せっせと窓の小さな穴から素の材料を運びマイホームを完成させたのだ。俊介は鳩がその倉庫に出入りしているのを見つけ、影ながら彼らの営みを見守ってきた。
しかし今回の一件で窓ガラスは張りなおされ、鳩の巣、及びその卵は撤去されてしまった。
鳩はタカナシのおじさん殺しの濡れ衣を着て甚大なる不利益を被ったし、タカナシのおじさんも鳩なんかに驚いて死んだ哀れな徘徊老人の汚名を被った。
本人(鳩)たちはもういない。今さら真相がわかったところで当事者たちには関係のない、自己満足にすぎないとわかってはいたが、俊介にはその自己満足が必要だった。
せめて自分だけは知っておきたかった。
とは言うもののどうしようか。
事件自体はとてもシンプルだ。
タカナシのおじさんの死因が心臓発作だとすれば、それが起こった理由。
①自然発生。②誰か/何かに脅かされた。
考えられるとすればこのどちらかだろう。一番ありうるのが①の自然発生。これなら鳩のせいではないしタカナシのおじさんも驚いて死んだわけじゃない。他者からすれば鳩が原因だった場合と区別しようがないが、まあ円満解決と言える。
とはいえそれはもう一つの可能性を検討してからだ。
②の場合だが、いったい誰がなんのためにということだ。タカナシのおじさんはあまりに学校に来すぎたため子供っぽい生徒の興味の対象ですらなくなってしまった。
あの倉庫は、フェンスと野球部の部室との間にある。野球部の部室の壁はコンクリートの打ちっぱなしになっているし、フェンスの向こう側は市営の横に長い建物の背中側になっていて視界を遮られている。
フェンスの下には穴が開いていて、外部から出入りできるわけではあるが、それで何かが変わるわけではない。
昼休憩とはいえ、まず人目につかない場所だったのだ。
誰かに悪さをされないように鳩の事は秘密にしていたが、もし他の誰かが鳩に気づいてなおかつ興味を持っていたなら、倉庫にやってくる動機はあると言えるかもしれない。しかし一ヶ月近く観察していたがそんな様子は見られなかった。
他にその場所に誰かがやってくる動機が思いつかない。
となればやはり偶然?
死体が見つかったのだって、偶然によるものなのだから。
生徒が昼休憩にテニスのラリーをしていたところ、大きく飛んだ打球がフェンスと野球部の部室の側に落ちてしまった。それを拾いにいったところタカナシのおじさんの遺体を発見した。
そう伝え聞きで知ったが、やはり発見者本人から話を聞くしかないのだろう。
発見者は二人いる。同級生で大人しい緑川くん、上級生で怖い土場先輩。
緑川くんに聞こう。
3
「緑川くん、ちょっといいかな?」俊介は教室の隅で一人文庫本を読みふけっている眼鏡の少年、緑川くんに声をかけた。
「ん、なに?」パタンと本を閉じて、俊介のほうに向き直る。
「えっと鳩の話聞きたいんだけど」遠慮がちに言う。個人的な用件で話しかけたことは数えるほどしかなかった。
タカナシのおじさんの事件は誰が言い出したか「鳩の話」と呼ばるようになった。シンプルに伝わるため一瞬で広まった。
「え。またか……。いいけどなんでいまさら」
「いや、最近ミステリ小説に凝っててさ。やっぱなかなか第一発見者ってなれないじゃん。一回直接話聞いてみたくてさ」俊介は言う。言いながら馬鹿みたいな理由だな、と思うがこれしか思い浮かばなかったのだ。
「言っておくけどあんまり面白い話ではないから、がっかりしないでね」と前置きしてから「昼休憩にテニス部の土場先輩とラリーをしてたんだ。僕があんまり下手だから練習つけてやるって。そしたら案の定僕がホームラン打っちゃって例の場所に打球が落ちてしまって。急いでボールを探しにいったらその――タカナシさんが倒れてた」
普段口下手な緑川くんだが、さすがに説明が板についている。これまで教師・警察・同級生などによりあらかた目撃したことについて語らされてきただけはある。又聞きで俊介の耳にまで情報が届いているくらいだから。
「どんな風に倒れてたの?」
「倉庫の奥に向かって前向きに倒れてたんだ。びっくりしたけど保健でならった救急手当てを思い出して体を起こしたんだよ。だけど」
「もう冷たくなってたのかぁ」
「そうだね……。顔もすごく引きつってたね」と緑川君はうつむいた。
「服装は?」
「白いワイシャツと藍のズボンだったかな。丁度今の僕らの格好みたいな感じ」
学生服の夏服のよう……か。自分の記憶と同じだ。
「それから鳩が」
「うん、鳩が僕に向かって突進してきたから、慌ててその場を離れて先生を呼びに行ったんだ」
「そっか、ありがとう。参考になったよ」
「どういたしまして」
とは言ったものの、実は全く参考にならず、何の進展もなかった。伝聞で知った内容と大差がなかったからだ。土場先輩が噂で聞くよりいい人そうだなという印象を受けた程度である。土場先輩についてはいつも穏やかでない話ばかりを耳にはさむものだから。
だから今回も話を聞きに行こうという気になれないのだ。ミステリ小説に凝ってとか言ったら死体にされそうな気さえする。
やっぱり自然死なのだろう。
たとえ他の人がタカナシのおじさんと鳩を悪く言っても俺はそうは思わないぞ、という決意を決めた。
だけどなんか納得いかないよなあ、などとうだうだやっていると、ふいに脳内に一本のかぼそい糸が垂れてきた。
「そうだ!」
俊介はこういうときに頼るべき人間のことを思い出した。
というより、彼はこういうときのための仕事をしてるんだから。
4
俊介が訪ねたのは自宅とは反対方向の、駅前の小さな貸しビルだった。ここに寄るためにわざわざ部活を休んできたのだ。
ここの四階に探偵の事務所がある。唯一の探偵の知り合いだった。
ただしちゃんとした探偵といえるかには疑問符が付く。
事務所のあるビルは親の持ち物で、お情けでその空いている一室を無料で使わせてもらっているような探偵だった。そんな情けないことをしているのは家賃を払うと採算が立たないからである。家賃を払わなくてすら採算が立っているのか怪しい。
そんな探偵の名は雪深亥作。お年玉をくれないこと以外は、わりあい俊介を可愛がってくれているイトコのお兄ちゃんだった。
俊介はイサクの職業は、探偵というよりもフリーターと呼んだ方が正確だと知ってはいたが口には決して出さなかったし深く考えないようにもしていた。親しき仲にもそういう暗黙のルールがあった。
急な階段を上り、「雪深探偵事務所」と大きく書かれたドアの前まで行く。呼び鈴を鳴らすと、はいはい! とイサクがドアの向こうに駆け寄ってくるのが聞こえた。
ドアが開いた瞬間から数秒経つにつれてのイサクの表情の変化は見ものだった。
俊介だと分かると、なんだお前か、と落胆を隠そうともしなかった。
「なんか用か」
「なんか用かはないでしょ。親しき仲にも礼儀ありだよ」俊介は言った。「で、入っていい?」
「今のムカついたからだめ。また今度いらっしゃい」
ドアを閉めようとするが、俊介は入り口に靴を滑り込ます。
「依頼だよ。依頼!」
「それを早く言いなさいよ。依頼人は?」他人を意識してイサクの声のトーンが上がる。ドアの外に身を乗り出す。
「俺だよ」
「勘弁してくれよな」
ドアを閉めようとする力が強くなる。
「イサク兄の推理力を見込んで相談があるんだって」
「お前のそういう気を持たせる言い方にはもう騙されんぞ。こうしてる間に依頼人来たら困るから早く帰って自分で考えろ」
だがイサクの推理力を見込んでという部分は本当だった。快刀乱麻という風にはいかないし、しょっちゅう変な結論を導き出すが、一般水準よりは推理ができると評価していた。そして気軽に相談できるので重宝していた。
「じゃあとりあえず一回入れて話だけ聞いてよ。それで興味なかったら帰るから!」俊介は必死に食い下がる。さすがに、「どうせ来ないでしょ」とは言えなかった。
「――たく、わかったよ。もうさっさと話して帰ってくれよな」イサクは根負けして俊介を部屋に入れる。
部屋の中はめちゃめちゃに散らかってこそいないが、物が多く、なんとなく汚ならしかった。読みかけのハードカバーや新書・文庫本が部屋の隅に層をなしていた。部屋中安いコーヒーの匂いで満ちている。
俊介はテーブルにもたれかかっているパイプ椅子を勝手に開いて座った。ギィと軋んだ。
イサクはテーブル挟んで向かいにドスンと座る。飲みかけとおぼしきコーヒーをすする。
「んで、何相談って? どうせ恋愛とかそんなんだろ」
「イサク兄に恋愛事相談したって仕方ないじゃん、人が死んだ話だよ」
「そういう決め付けは許せないんだが。――っていうか人が死んだ話?」イサクは素っ頓狂な声を上げる。
「うん、事件じゃないかもしれないんだけどひっかかることがあって」
「いいぞ、そういう考え方は大事だ」イサクは興奮して身を乗り出す。「話してみな」
「人が変な死に方したらテンションあげるのやめなよ」俊介はたしなめる。
「いやすまん。人間の悪い部分が出てしまったな」イサクは自らの悪癖を普遍的な人間の性質のせいにした。
「イサク兄も知ってる人の話なんだから、口を謹んでよね」
「は? 誰だよ」イサクは驚く。
「タカナシのおじさん」
「ああ、懐かしいな。お前の家の近所で店やってたおじさんか。そういやここ数年ボケてたって聞いたが」
「うん……。最近は俺見ても誰かわからないみたいだった」
「おいおい、そうヘコむなって。そういうこともあるって。ガム食うか?」と適当に励まそうとする。
「いや、大丈夫」俊介は深呼吸して頭を上げる。
「んで、そのタカナシさんが殺されたのか?」
「いや、殺されたっていうか――」
俊介はこれまでの経緯をすべて話した。
「――はぁ、なるほどね。だから事件なのかすら怪しいわけね」
「そうなんだよ。事件を解明してどうこうしようっていうわけじゃないけど、すっきりしなくてさ」
「お前も殊勝なやつだなあ。そんなん調べたってどうしようもないじゃん」
「わかってるけどさ。気になんだから仕方ないじゃん」
「まあいいや。もう大体謎は解けたから話していい?」
「とかいって面倒くさいから適当に考えたんじゃない?」
「ふざけんなよ、お前。俺は事件に対してはまじめなの」
「ホントかなあ」
「当たり前だろうが」イサクの腹が鳴る。「それはさておき腹減ったな」
「うん」俊介も空腹を感じた。時計を見るともう六時前だ。
「じゃあなんか食事しながら話してやるよ。お前も腹減ったろ。おばさんに電話入れとけ。多分もう作ってあるだろうから怒られるだろうけど」
「ラインで伝えとく」俊介はポケットからスマートフォンを取り出した。
「おいおい中学生でスマホかよ。おまけにラインだってさ。お前はどこのブルジョアだ。声で話せよ声で」
「今時普通だよ」
「はぁー」イサクは深いため息をつく。「時代も変わったな」
「それでどこに食べにいくの?」
「いや行かないけど」
「は?」
「お前大人がみんな高いご飯奢ってくれると思うなよ。カップラーメンだよ」イサクは電気ケトルに水をそそぐ。
「イサク兄に期待した俺が馬鹿だった」
「おう、帰るか?」
「嘘だよ。ごめんごめん。貴重な食糧ありがとうございます」
「親しき仲にも礼儀ありだからな」イサクは根に持ったことを言う。「何味がいいんだ?」
「シーフード」
「ない。普通のかミルク味か」
「普通ので」じゃあ聞くなよと思いながら答える。
「オッケー。ちょっと待ってろ」
湯が沸くと、手際よく注いでいく。
「ほい」
「ありがとう」
「じゃあ出来上がるまでに解決してやるか」
「お願いしまーす」
「えっと、第一発見者は同級生って言ってたよな?」
「うん。緑川くんって子だね」
「緑川くんがの打球がタカナシさんを驚かして死なせてしまった可能性は?」
なんだそんなことか、俊介は肩透かしを食らった。
「緑川くんが先生を呼んだとき、何人かの先生がすでに冷たくなってることを確認したよ」
「発見して時間が経ってから呼んだのかもよ」
「昼休みは一時間あるんだけど、緑川くんが打球を飛ばしたのは休みが終わる間際だよ。しかもその姿もちゃんと目撃されてる」
「ふーん。まあそれはいいんだ。言ってみただけだから」イサクは意に介すそぶりも見せない。「俺はそれよりもその土場って先輩の方が気になるんだよな」
「どうして?」
「だって緑川くんの話って先輩の名前関係ないだろ。なのにやけに先輩の名前を強調してる気がするんだよな」
「そりゃあ土場先輩って学校で一目置かれてる存在だからね。そんな人が気に掛けてくれてることは強みになるんだよ」
「悪なのか」
「そういう評判だけどね」
「じゃあ今度は緑川くんの背格好教えてくれ」
「身長一五五センチくらいで。中肉。ちょっと猫背で眼鏡掛けてる」
「やっぱりなあ」イサクは一人合点する。
「何がだよ。説明してよ」
「先輩と後輩が昼休憩にわざわざ二人でラリーするのって変じゃないか」
「気まぐれなんじゃない」
「いや、仲がいい先輩後輩同士ならまだしも、この二人はそんな風でもないだろ」
「まあ、正直意外だったよね。話聞いたとき」
「だろ。俺はさ土場先輩は緑川くんをいじめてたんじゃないかと思うんだ。いじめというかカツアゲかな」イサクはカップ麺のふたをはがし、麺をすすった。ゆっくりとかみ締め、飲み込む。「緑川くんはラリーの前、つまり休憩時間の前半に土場先輩に呼び出されていた。あそこの倉庫まで来い、って感じに。お前らお得意のスマホでな」
「いきなり話が飛んだね。それで」自分もラーメンを食べ始める。今のところ解決されていないが、もう自分の発言すら忘れているだろうから特には触れなかった。
「その前に冷蔵庫からサイダーとって」
「ったく」
しぶしぶイサクの方が位置的に近いミニ冷蔵庫をわざわざ開けて五百mlのペットボトルを取りだす。ジュースのペットボトルが数本入っているだけの寂しい中身だった。部屋の隅にある洗い場からマグカップを二つとってまずは自分に、次にイサクにつぐ。
「サンキュ」
「鳩のスキナー箱って知ってるか」出し抜けにイサクは訊いた。
「知らない」
「行動研究に用いる実験道具なんだ。ラットや鳩をその箱に入れる。その箱の内壁にはキーと呼ばれる小さな窓が付いている。そこに色の付いた光を照射するんだ」
またいつもの薀蓄が始まった。俊介はげんなりした。イサクは本などで読みかじっただけの知識を教養人面して語りたがる悪癖もある。スノッブというやつだ。それも低劣なスノッブだ。
だけど、今回のこれは事件と関係してるんだろう、と我慢した。
「緑のキーをつついたときだけ餌をやる。赤のときにはやらない。すると鳩は緑のときだけキーをつつくようになるんだ」
「緑を餌だと学習したってこと?」
「そうそう。これは人間にも当てはまる。俺にもお前にもな。例えばタカナシさんは痴呆が進行していたのもあってより直接的に、他者の関心を求めて緑キーを連打してたってことだ。時々しか報酬を得られないほうがより粘り強くいつまでもキーを押し続けてしまうらしい。ギャンブルなんかはモロに当てはまる」
「イサク兄!」俊介はイサクを睨む。
「おお、すまん。口が過ぎるのが俺の数少ない短所だ。許してくれ」
「いいから話せよ」俊介は怒鳴る。「タカナシさんが鳩で倉庫は箱って言いたいんでしょ」
「紛らわしい言い方しちゃったな。倉庫が箱なのはあってる。ただし今回タカナシさんは鳩じゃない。キーだったんだよ」
「どういうこと?」
「餌のためにキーをつつく。それは鳩も犯人も同じだったんだ」イサクは息を吸い込んで弁舌まくしたてた。「緑色のキーをつつけばエサが出る。赤色のキーでは出ない。学習するにつれ鳩は緑色のキーだけをつつくようになる。その区別ができることを弁別ができると言う」
「はい」俊介は生返事をする。まだ薀蓄終わってなかったのか。
「しかし緑に近い、例えば似た色の黄色や青色の照射をキーに当てる。するとその刺激に対し、鳩は区別に失敗してつつくことがある。似た刺激だからだ。このように異なる刺激に対して同じ反応をしてしまうことを般化という」
「はい。それで」
「それでって、それが答えだよ」イサクは語る。「犯人は暗闇で、背格好の似た二人の後姿を見間違えたんだよ。加虐の喜びと紙幣というエサを求めていつものようにキーをつついたんだ。しかしよく見ると色は違った」
「なるほど! 確かに背中の曲がり方とか背の高さも似てる。服装も!」
「犯人はつつくというよりどついたんだろう。怪我をするほどではなかった、だが暗闇の中心臓の弱った老人を仕留めるにはそれで十分だったんだ」
「でもおかしいな」俊介は呟く。
「何がだ」
「それならラリーする前に緑川くんは遺体を見てるんじゃない?」
「そうだろうな。じゃないとたまたまラリーの球が現場に落ちるなんてこと起こらない。偶然発見したことを装うためのラリーだろう」
「でもそれなら緑川くんは、恐喝されてたことを吐けばいい。そしたら土場先輩のことを糾弾できるのに」
「後々の報復を恐れたんだろ。正直重い罰が土場先輩に科せられるとは思えないし」
「そもそもラリーなんかせずに、緑川くんさえ黙らせておけば二人とも事件に関わらずにすんだんじゃ?」
「そうなんだよ。だからもう一つ可能性が残ってる」
「可能性?」
5
N個の巣穴の中にN+1匹の鳩を入れる場合、必ず2匹の鳩がいる巣穴が存在する
鳩の巣原理
「緑川くんの方が先に倉庫にいた場合だ」
「緑川くんがタカナシのおじさんを蹴った?」
「違うわ。タカナシさんよりも前にだ」
「ああ!」
「土場先輩の呼び出しを受けたんだから先に待ってるほうが自然っちゃ自然だ。んで万が一人に見られないように倉庫内に入った」
「入ってそう」と失礼なことを言う。
「倉庫を開けて人が飛び出してきたら驚くだろうしな」イサクは続ける。「もっと言えば緑川くんは土場先輩に反撃するつもりで準備していたのかもしれない。だとすれば余計に辻褄が合う」
「例えばナイフ持って待ち構えてたとか?」
「それも一つ。ま、俺が辻褄が合うって言ったのはこの後の展開になんだが」
「というと?」
「ラリーだよ」イサクは語る。「普通土場先輩の立場ならまず事件には関わらない。にも拘らずラリーをして第一発見者の一人になってしまっている」
「緑川くんに脅されたってこと、かな」
「だろうな。スマホに脅迫された証拠は残ってる。となればこの状況誰が一番疑われるでしょうね、ってな風に」
「あ、だからさっき反撃するつもりで、って!」
「そういうこと。ラリーをして第一発見者になることでいざって時にさっきの土場先輩犯人説を持ち出せるようになるのさ。自分は今まで脅されてたって言えばいいだけだしな」
「恐喝の主従関係を逆転させるために、か。とっさによくそこまで考えたね」
「元々勝ち目の薄い反乱を起こす気だったんだ。そんなときに渡りに船だったんだろうな。まさかタカナシさんの心臓については知らなかっただろうから、故意ではないんだろうが」
「どっちが犯人でも急いで誰かに連絡すれば助かったかもしれないのに!」俊介は声を荒げる。
「二人とも自分のことで精一杯だったんだろう。庇うわけじゃないが、緑川くんなんて唯でさえ普通じゃない心理状態だっただろうし」
「でもなぁ」
「言っとくけどな、くれぐれも真実を明らかにしようなんてするなよ」イサクは釘を刺す。「真相は箱の中。どの説も所詮想像で、証明のしようがないからな。それこそ最初の鳩犯人説だって消えちゃいないんだから」
「わかってるよ。俺は犯人を裁きたいわけじゃないんだ。もうみんな事件のことなんて忘れてるしさ。ただ納得したかっただけだから」
「納得できたのか」
「まあね」
「謝礼は出世払いでいいぞ」
「わかった」安請け合いをする。
「さて、もう七時近いし暗くなったから帰ったほうがいいぞ。送らないけどな」
「イサク兄。そういえばさ」
「うん?」
「こないだ伯母さんがうちに来たとき母さんや俺に訊いてきたんだ」
「うちのオカンが?」
「近々イサク兄をこの部屋から追い出すか迷ってるがどう思うかって」
「っ……!」言葉にならない衝撃を受けたようだ。鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。
「でも今回俺も助けてもらったし、口聞きしてあげたいんだよ。鳩に三枝の礼ありってね」
「俊介」
「なに」
「送っていくよ」
俊介は車で帰った。
言い訳する気はないが、初めてミステリを書いたものでこれがミステリとして成立しているかわからない。
助言や文句があれば遠慮なく言って頂けるとありがたいです(涙が出ない程度で勘弁していただけるともっとありがたい)。