ソープ嬢呼んだら魔王が来た
こことはちがう、どこかの世界。
路地裏にある宿。俗にソープランドと言われる店の二階、その一室に一人の男の姿がある。男の名前はザイン。数日前に魔王を倒した勇者であり、世界の英雄だ。だが男の顔には喜びは無く、代わりにあるのは疲れの気色だ。
「ったく……。世界政府には入らないと何度言えばわかるんだ」
毒づきつつ睨む先、窓の向こうに金と紫二つの男の頭が見える。つい先ほどまでこの場におり、政府への参加を交渉しに来ていた役人だ。提案された役職は『平和推進大臣』。簡単に言うと魔王がいなくなり浮かれている民を纏めるための平和の象徴、そして政府の支持を高めるための客寄せパンダだ。後者の方が主なようだが。
「まあ、イヤなことは忘れて楽しい事でもしますかね……」
独り呟き、魔力の込められた小石を取り出す。二、三回ほど石を叩くと表面が青白く発光し声が聞こえてくる。声の主は一階にいる宿主だ。
『旦那、今日はどうします?』
「スペシャルコースで頼む、女のコはこの間お前が言っていたイチオシのコで」
――――――――数十分後
「……え、えっと名前は?」
「……(ギロッ)」
「あ……こ、答えたくなかったらいいよ」
「……アビガイル」
「アビガイルちゃんか。キレイな名前だね」
「…………」
「何歳なの?」
「…………(ギロッ)」
「ご、ごめんね。女のコに歳を聞くのは失礼だったね」
勇者ザインの目の前には、一人の娘がベットに座っている。容姿は美しく放たれる雰囲気は周りを引き込むような、そんな他とは異なる娘だ。
ほとんど口を開かずこちらを睨み続ける娘アビガイルに対し、ザインは背を向ける。じゃあそろそろ、とザインが上着を脱ごうとした時、突然アビガイルが彼の手首を握り力いっぱいに引く。ベットに投げ飛ばされ、仰向けに倒れるザイン。アビガイルは即座に彼の上に乗り、心臓の真上に白くしなやかな右の指先を突き立てる。
ザインはこの状況を冷静に判断する。幾多の死線をくぐり抜けてきただけあり、鼓動呼吸に乱れはない。そして先ほどと変わらない調子で
「スペシャルコースってこんなエキサイティングなプレイだったかな?別にMプレイも好きだけど」
余裕を見せるザインを見下ろし、突き立てる指先を押し込むアビガイル。憎しみに震えながら言葉を発する。
「……もし魔力が少しでも残ってたら、今すぐお前の胸にこの手を抉りこんで悶え苦しませてやるのに……」
「いくらMプレイが大丈夫でもリョナはちょっと無理かな?」
「ふざけるな!!!私が誰かわかってるんだろ!」
胸に突き立てていた右手、そして空いている左手でザインの首を締める。しかし彼は苦しむどころか、怒るアビガイルに微笑みかけ
「わかるよ……。これほどのカリスマ性を持つ者はそうそういない。そして君のその瞳。忘れるはずがない、前は真っ黒な魔力の渦の中にその瞳を見たんだけどね」
「魔力を奪われ、ただの底辺魔物となった私の気持ちがわかるか!!!夢は絶たれ、力を失ったことで自尊心も失くした!」
「僕はあの真っ黒な魔力の塊の時よりも今のほうがいいと思うけど」
「だまれ!……お前が憎い、心底な!!!ここで殺す」
心の奥から溢れる感情に任せ、首を締める手を強める。不快な音が鳴り、ザインの顔も青白くなっていく。だがザインは抵抗しない、体術でも魔法でも腕力でも勝っているはずなのに振り解こうとはしない。
代わりにその手でアビガイルの美しいブロンドの髪を撫でる。弱々しく髪に触れる手。その時、急に首を締める手が離される。
「…………なんで抵抗しない」
「ゴホッゴホッ…………キレイな髪だね」
「答えろ!」
「君に見惚れてた、とでも言っておくよ。思ったんだが君は何でこんな職業についた?数多ある仕事の中でこの仕事を選んだ理由は?」
「お前に答える義理があるか?だいたいそんなことを聞いてどうする?」
「ただの興味本位さ」
優しく微笑むザイン。
彼女はおかしな奴だな、と鼻で笑いながらも今までとは少し違う、微かに弱さを滲ませる表情で黙る。そして小さく言葉を紡ぐ。
「少ない時間で多く稼げる、それだけだ。何もかも失くし堕ちた私には丁度いい。見ず知らずの男の性処理をするこの仕事はな。よりによって最初の客がお前というのが皮肉だが」
「僕は光栄だけどね」
「お前は…………。お前は何のために何を求めて私を倒した?」
「求める……か。一つ君にしてもらいたい頼み事がある」
「私は質問したんだぞ。ちゃんと答えろ」
「まあまあ落ち着いてくれ。君に頼みたい仕事と僕が君を倒した理由、その二つは関係している」
「?」
「仕事を受けてくれた場合の報酬は君の城にある財宝全てと君の魔力、それと今捕まっている君の部下。彼らを解放しよう。といっても僕が勝手に逃がすだけだけどね」
「何ッ!?」
「政府は僕がいないと君の城の敷地にすら入れないからね。財宝は元のまま。そして君の魔力もちゃんと保管してある」
「……これが狙いで私から全てを奪ったのか?」
「流石だな、その通り。僕には世界の行く末なんてどうでもいい。君ら魔族には魔族の目的があり、世界政府にも目的がある。どちらが正義でどちらが悪か。そんなこと自分の立場で幾らでも変わってしまう」
「まさか私がこの店に入りこの仕事をするのも見通していたのか……」
「どうだろうね。で、どうだい?受けてくれるかい?」
「いいだろう。乗ったぞ、その話」
「ありがとう。それで内容を話す前に質問がある。君は全てを取り戻したらどうするつもりなんだ?また政府に戦闘を仕掛けるのかい?それでも構わないけど」
「私は部下…………いや仲間達の幸せと平和を願い政府に立ち向かったが、間違っていた。今あるのは不幸、戦い、絶望。いいものなんてほとんど残っていない。金と力を取り戻したら周りから干渉されない平和な国をつくるつもりだ。広大な領地がなくともほそぼそと平和に暮らせる、それが皆の望むことだ」
「……少し驚いたよ、いいじゃないか。てっきりまた戦争を起こすとばかり」
「失礼な。戦いは好きだがそれ以上に皆の笑顔のほうが好きだからな」
「じゃあ仕事の内容を言おう。簡単なことだ。僕の寿命が尽きるまでずっと隣にいて欲しい」
「なんだそれは。護衛が必要なのか?お前ほどの力の持ち主ならそんなものいらないと思うが」
「違う違う。せっかく一週間かけて考えた台詞なのに意味が通じてない……」
「何をボソボソ言ってる」
「ああもう!君と結婚したい!!!」
「…………は?私と結婚?馬鹿にしてるのか!!!」
「本気だ!第一何もかも失った君を騙して何になる!――――いや、今の言い方は悪かった。君から全て奪い君を悲嘆させたのは僕だ。すまない」
「…………」
「君のことが好きだ。今こうして話している中でもどんどん気持ちが強くなっている。君を知れば知るほど愛おしく感じる。君の容姿もその仲間思いなところも」
ザインは体を起こし、困り顔で視線を逸らす彼女を抱き寄せる。腕の中の彼女は嫌がる素振りや抵抗はしていない。そして彼女のほうも腕をそっとザインの背中に回し
――――ッ!!!
アビガイルを抱いていた腕が力無く外れ、ザインはベットへと吸い込まれる。彼の左胸には銀の光沢を持つ刃物が突き出ていた。そしてそこから鮮血が溢れる。
動かないザインを見下ろすアビガイルがベットから降りると、部屋の扉がゆっくりと開く。入ってきたのは金髪の男と紫髪の男。少し前にこの部屋に来ていた政府の役人だ。紫髪の男がベットに横たわる勇者を一瞥、そして
「ご苦労、作戦成功だ。これでこちらが捕らえている君の部下の命は保証しよう」
淡々と語る紫の男をアビガイルが無感情の目で見る。今度は金髪の男が、ザインの胸の傷口をまじまじと見つつ
「これでやっと厄介者がいなくなった。こいつはほっとけば政府を転覆させかねない不安要素だったからな。こういう正義一筋の人間は長生きできないな、ほんと。まあ魔王様、あんたもいなくなれば好都合なんだけどね」
「やめておけ。魔王が死んだら魔王軍は統制を失い暴走しだす。そしたら今度こそ我々では対処できない。幾ら厄介者でも魔王だけは生きていてもらわなければ」
「わかってるよ、ったく。生かしても殺しても被害がこちらにある、ホントに厄介者だな魔王様は。まあ魔力がないだけいいのか。それに関してはこの“勇者様”に感謝しとかないとね。でもソープ嬢になった魔王に勇者が殺されるとか、ハハハハハッ!!!」
数分後政府の役人二人が部屋から去った後、力無い目でザインを見つめるアビガイル。彼の隣に腰掛け、その生暖かい手を握る。
「私とお前、どちらも世界には不要な存在のようだな。……はみ出し者二人なら仲良く一緒に暮らせたかもな」
アビガイルの頬に一筋、涙が流れる。ザインを殺した事、政府の言いなりになった事、それらの行動をした自分自身を憎み嫌悪する。唇を噛み、言葉にならない声で嘆く。
「…………」
彼女に掛けられる声は何も無い。