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一話物

良き終末を

作者: 紅月赤哉

 まどろみから覚めると、教室には誰もいなかった。うつらうつらとしていた頃は、まだ授業の途中だったはず。大分時間が経っているのは教室に差し込む西日が教えてくれた。授業終了寸前に寝てしまって、一時間は経ってるだろう。

 背中の中くらいまである自分の髪が、何故か前に回っていた。わかめを被ってるみたいに見えるだろう。想像してみると気持ち悪い。誰かが寝てる私に悪戯したに違いない。

「教えてくれてもいいじゃない……」

 起こしてくれなかった先生や友達を恨めしく思う。いくら非常事態下とはいえ、ちゃんと学校開いてるんだから、その責任は全うして欲しい。貴重な時間を無駄にしたような気がして、むなしくなる。

「起きた?」

 言葉と一緒に教室のドアが開いた。逆光で顔はよく見えないけど、聞き間違えることは無い、忍の声だ。学生服の前を開けて、中のTシャツが濡れているのが今の距離からでも分かる。薄地なのか肌が透けていて、見ることの恥ずかしさに視線をそらした。

「もう……風邪引くよ」

「だって美羽さ、覗いてみたらよく寝てるんだもんな。だから暇つぶししてた。そうそう、出てきたクラスの奴に『世話よろしく』とか言われたぞ」

「忍より魅力的なのよ、睡眠」

 背伸びをすると、身体に乗ってた重みが拡散していくようだった。ここ一月、避難するための準備もろもろの慌しさで、いかに眠れていなかったのかがよく分かった。でも、そんな忙しい日々も明日でひとまず落ち着く。だからこそ、気が抜けてしまったんだろう。

 そう考えると、クラスのみんなや先生が起こしてくれなかったのも納得できる。

 疲れていたのは、誰もが同じだったんだ。

「で、忍は何してたの? 汗かいて」

「ん? 校内を十周くらいランニングしてた」

 忍は制服の上を脱いでばたばたと自分に風を送る。少し汗臭かったけど、それよりもその時間を一緒に過ごしたかったなという思いが私を切なくさせて、匂いは気にならない。

「起こしてくれれば良かったのに」

「俺も起こしたくなかったんだよ、出来るだけ」

 明るい声に混じった、かすかな悲しさ。幼稚園から高校二年までずっと一緒にいたからこそ、気づくものだろうなと思うと、優越感があった。忍に対しては不謹慎だろうけど。

「美羽がずっと眠ってて、俺がずっと校内を走り回ってれば、時間はずっと止まったままなんじゃないかって……メルヘンなこと考えてた」

 その気持ちは痛いほど分かる。


 私達の日常は今日、一つの終わりを迎える。



 * * * * *



 地球の表面で人が住めなくなると言われてから十年が経った。原因は良く分からないけど、昔から騒がれていた環境破壊とかいろいろの原因が重なって、地球が私達を追い出そうとしたらしい。でもまだ宇宙に行って生活できるようになるのは大金持ちの人達くらいだったし、膨れ上がった地球の全人口をどこかの星に移民なんて夢物語だった。

 そんな中で怪しい宗教団体が目立ったり犯罪増加とか物騒なことが起こったけれど、どれも年数が過ぎていくと共に下火になっていった。

 結局、誰も現実味がなかったんだろう。地球上に住めなくなる時がくるなんて。

 でも私達のような一般市民と世界の偉い人達は違ったようだ。

『地上で駄目なら地下だ』という発想に行き着いて、タイムリミットまであと一年と迫った時に、地下シェルターを作ることに成功したらしい。そして、世界の人達はシェルターへの避難を始めた。

 でも、ぎりぎりまで拒んだ人達もいた。

 私や忍のように。

「何、考えてた?」

 気づけば真っ直ぐ押していたはずの自転車が斜めの軌跡を描いていた。車が通らない道路の真ん中を王様と王妃様のように歩いていたはずだけど、もう少しでガードレールにぶつかりそうだった。忍は片方の手で自分の自転車を。もう一方の手で伸びた前髪をいじりながらぼーっとしている私を見ている。

「……止めてくれないの?」

「ぶつかったら腹抱えて笑いながら頭を撫でてあげるよ」

 忍は、子供の時の無邪気さを忘れていないみたいだった。私も合わせて口を膨らませて怒ると凄く嬉しそうに笑う。同い年なのに、弟といるみたいに思える。

「それにしても、時間が止まったみたいだね」

 忍の言葉に即されて、周囲を見回した。少し住宅街から離れた場所にある高校から歩いてきて、そろそろ人家が多くなる。でも、目に見える家のいずれも、人の気配はしない。

 みんなシェルターに避難したから。

 ゴーストタウンという言葉が脳裏を過ぎった。

「なんかさ、自殺する前みたい。お母さん達も同じ所を十回も二十回も雑巾で拭いてたし。綺麗にして残していっても、もう戻って来れないのに……」

 折角の忍との時間が、ここ一月の記憶に汚される。

 遠く離れたおばあちゃん達と住むことを決めた父さんと、ここに留まろうと決めた母さんに挟まれて、この一月で体重もかなり減った。結局、母さんを選んだのは少しでも忍の傍にいたかったからだ。友達がいる場所に、いたかったからだ。

 シェルターの生活がどれだけ保障されていたとしても、地下にずっといるなんて不安しか生まれない。

 だから今日まで残っていたんだ。

「美羽は、戻ってきたくないの?」

 私がどんなことを考えていたのかを理解してくれたのか、忍の声は今まで以上に柔らかく耳に残る。ちょうど道路に面した公園に差し掛かって、私達はそこにあるベンチに腰掛けた。中央に立っている時計は五時半を示していて、もうすぐ夜が始まることを教えてくれる。

 シェルターに避難するタイムリミットまでもう間もないことを、教えてくれる。

「美羽は、戻ってきたくないの?」

 忍は同じ質問を繰り返した。何を言ってるんだろう? 地球上に住めなくなるんだから、もう戻って来れるはずないじゃない。

「戻ってきたいわよ。でも、現実問題無理じゃない。戻ってこられるようなら、最初から地下になんて行かないわ」

「うーん……そんなこと無いと思うんだけどな」

 頬を掻く忍を見ていたら、徐々に腹が立ってきた。子供みたいに夢みたいな事言って、現実を見ないで。私達、あと三十分したら離れ離れになっちゃうんだよ?

 違うシェルターは繋がってないから、父さんと母さんは結局、別れちゃったんじゃない。

 私達も区域違うから、離れ離れになっちゃうんじゃない!

「――ばか」

 衝動的に、忍の胸に握った拳を叩きつける。大げさに言うけど、格闘技も何もしてない私がやってもそんなに効くはずがない。でも静けさが増していく公園には制服を叩いた音が意外と大きく響いて、私は我に返る。目の前に、私の拳がぶつかったところをさすってる忍がいる。叩いた私の右手のほうが徐々に痛んできて、歪んでいた。

「いきなりは痛いよ……」

「――っ」

 いつも通りの反応だった。

 いつまでも、いつまでも、いつも通りで。

 だから、寂しさがこみ上げてくる。このいつも通りが、もう駄目になってしまうんだって、嫌でも思い知らされるから。

「確かにさ、今は無理だったんだろうけどな」

 一瞬のことだった。

 さっきより近い声が、忍の鼓動が伝わる。高校生になってから初めて包まれる忍の身体は想像していたよりも大きくて、暖かくて、力強かった。張り詰めていた糸が切れて、目頭が熱くなる、鼻の奥が刺激される。息が、洩れる。

「ほら、地下鉄とかも作れてるんだし、きっと間に合わなかっただけでシェルター間にもすぐ通路は作られるようになる。だってそうじゃないと国としてどこもまずいだろうし。遠くは時間かかるかもしれないけど、少なくとも俺達は隣り合うシェルターにいるんだし、近いうちに逢えるよ」

 忍の言葉が子守唄のようで、私は安らぎと眠気に包まれる。完全に眠気に落ちなかったのは、忍は夢を見ているだけじゃないって分かって驚いていたからだ。ちゃんと現実を見て、それでいて『こうなるかもしれない』って、言ってる。

 私は諦めてしまって、期待するとか、どうにかしたいとか思う事はなかった。

 恥ずかしさに、忍の顔を見れない。

 ……私のほうが、現実を見ていなかったんだ。

「もうそろそろ、帰らないとまずいね」

「――あ」

 忍の胸から顔を上げて時計を見ると、あと十分で六時。家で母さんが私の帰りを待ってるはずだ。一緒に避難するために。見れないと思ったけど、見えてしまうと、もう視線を放すことが出来なかった。

 ベンチから離れて自転車に向かう間、自然と手は忍のそれを握っていた。

「美羽さ、さっきの、家の掃除の話だけど」

 そこで言葉を一度切って、忍は咳をする。

 自分でも照れくさいことを言ってしまう時にする癖だ。

「いつか戻ってこられるって想いを持ちたいから、だと思う。シェルターの生活に慣れるのって絶対大変だろうし。当たり前のように続いてたこんな日常がさ、終わってしまうのはやっぱり寂しいんだよ……俺も」

「私も、寂しいよ」

 前までの私なら内に留めていただろう言葉が、今はすんなりと出てきた。こうして終わりの時になって、自分は伝えたい言葉を沢山持っていたことを知る。そして口は一つしかないから、すぐ詰まってしまう。

「忘れたくないから。捨てたくないから、いつも通り。いつも以上に周りを綺麗にするんだと俺は思うよ。だから俺もいつも通りを大事にしてきた、つもり」

 思い出すのが嫌だったここ一月の記憶を呼び起こす。忍は変わらずそこにいて、変わらない態度で接していた。私の家が大変だということもわざわざ聞かないで、一緒にいてくれた。今更ながら、感謝したい気持ちで一杯だ。

 でも私達のタイムリミットは来てしまう。

 二対の自転車。ここから、この自転車は別方向に進む。

「……さて、と」

 忍がサドルにまたがる。私も同じようにして、忍の隣に並んだ。

「最後に少しだけ」

 忍が反応する前に、頬に唇を触れさせる。いつも通りの幼馴染が、少しだけ違う瞬間。

 明日から違う世界に行くようなものなんだから、これくらいの変化があってもいいと思う。

「……ありがと」

「うんっ」

 夕日の赤じゃない色に頬を染めて、ぼそっと呟いた忍に思い切り笑いかける。動揺する忍が楽しくて時間を忘れそうになるけど、私はペダルを漕ぎ出した。

「あ、美羽」

「んー?」

 少し前に進んでから、振り返る。

 忍の笑顔。別れる時にいつも見ていた顔。小さい時から今までずっと、見てきた顔。

 そして、いつもの別れ際の動作。

「良い週末を」

 少しだけかっこつけて、忍は手を振った。私も何度か振り返してから、再び進む。

 もう後ろは見なかった。

 歪んで見える視界と、こみ上げてくる嗚咽に必死に耐えていたから。

『良い週末を』

 そういえば今日は金曜で、明日からは週末だ。

 週末から始まる、地球の終末。

 言葉合わせが出来る皮肉。忍もそれを考えて言ったんだろうか。

「良い、終末を」

 地下シェルターで迎える終末。少しでも、お互いに良い週末でありますように。

 夜に消えていく、しばらく見ることはないだろう夕日が目に染みた。

みなさんも良き終末を

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