第3話 その夜
戦争が本格化したのは、G1の夏だった。
最初は散発的な衝突だった。神徒連盟の戦士部隊がテクノフォースの施設を攻撃し、テクノフォースが報復する。それが繰り返されるうちに規模が大きくなり、やがて都市への攻撃が始まった。
東京にも変化が出た。地下鉄の一部が運休になった。繁華街から人が減った。コンビニの棚が時々空になった。夜になると、どこかで遠くにサイレンの音が聞こえることがあった。学校は六月には休校になり、そのまま再開されなかった。
アラタの父は毎朝早く出勤し、深夜に帰ってきた。帰ってきても端末をずっと見ていた。食事をしながらも端末を見ていた。それでもアラタに向かって
「外にはなるべく出るな」と言い、
「必要な時は連絡しろ」と言った。
「ユイの家族は大丈夫か」と父が聞いたのは七月の頭だった。
「連絡は取ってる」とアラタは答えた。
父はそれ以上何も言わなかった。言えることが他にないのだとアラタはわかっていた。
G1の八月十三日、夜中の二時に空襲警報が鳴った。
甲高い電子音が部屋に響いた。アラタは即座に目を覚ました。父がドアを開けた。
「行くぞ」
それだけだった。
二人で階段を駆け下り、玄関を出た。外はすでに数人の近所の住民が走っていた。老人が一人、よろめきながら歩いていた。アラタは一瞬立ち止まり、老人の腕を取って一緒に走った。父が先を行く。
近所の公民館の地下シェルターに入ると、すでに十数人が集まっていた。子どもを抱えた女性が壁際で膝を抱えていた。男性が端末で何かを確認していた。誰も話さなかった。話す言葉が見つからないのか、話す余裕がないのか。
アラタは壁にもたれて、端末を出した。ユイに連絡した。
――大丈夫か。
返事は来なかった。
遠くで爆発音がした。一回。少し間を置いて、二回目。続けて三回。シェルターの壁が微かに震えた。天井から埃が落ちた。子どもが泣き声を上げ、母親がその頭を必死に抱えた。
もう一度送った。
――大丈夫か。
返事は来なかった。
父が隣に来て壁にもたれた。端末を見ている。表情は変わらない。アラタも表情を変えなかった。でも端末を握る手に、少し力が入っていた。
爆発音は四回、五回と続いた。その後、しばらく静かになった。また一回。また静寂。
アラタはユイの家がある方向を考えた。ここから北東。直線距離で三キロほど。爆発音の方向とは少しずれていた。たぶん大丈夫だ。たぶん。でも確認が取れない。
夜明けまで、返事は来なかった。
翌朝、警報が解除された。
外に出ると、街の東側から煙が上がっていた。黒い煙が夏の青空に向かって高く伸びていた。遠くのビルの一棟が外壁を黒く焦がしていた。道路の一部に瓦礫が散らばっていて、作業員が片付けていた。救急車のサイレンが途切れずに鳴っていた。
父は施設に向かった。アラタは一人で立っていた。
端末を見ると、昨夜送ったメッセージに既読がついていた。しかし返信はなかった。アラタはそのまま待った。
そしてユイから連絡が来たのは、昼過ぎだった。
メッセージは一行だけだった。
――家族が、死んだ。
アラタは画面を見た。
文字を読んだ。意味を理解した。
もう一度読んだ。
それからすぐに走った。
ユイの家があった場所は、瓦礫の山になっていた。
建物の骨格だけが歪んで残っていて、壁のほとんどが崩れ落ちていた。表札が地面に落ちていた。鉢植えは跡形もなかった。あのオレンジ色の花の名前を、アラタはまだ知らないままだった。
ユイは瓦礫の前に立っていた。
制服のままだった。髪が乱れていた。肩が小さく震えていた。ただそこに立って、崩れた家を見ていた。瓦礫の向こうに何かを見ようとしているように見えた。
「ユイ」
返事がなかった。
「ユイ」
もう一度呼んだ。ユイはゆっくりと振り返った。
目が赤かった。でも泣いていなかった。泣き終わったのか、泣けなくなったのか、アラタにはわからなかった。頬に乾いた涙の跡があった。
「お父さんとお母さんと颯太が」ユイは言った。声が平坦だった。感情を削り取ったような声だった。
「死んだ」
アラタは何も言えなかった。
何を言うべきか考えた。どんな言葉も、今のユイには届かないか、傷つけるかのどちらかだと思った。それでも何か言わなければと思った。でも言葉が出てこなかった。
ユイはまた瓦礫のほうを向いた。ゆっくりと膝をついた。砂埃の積もった地面に、膝をついた。手を組んだ。夏の夜空を見上げた。
「神様」
小さな声だった。
「いるんでしょ」
声が震えた。
「お願い」
涙が落ちた。地面に染みを作った。
「お願いだから」
「助けてよ」
息が乱れていた。
「家族を……返して」
風が吹いた。瓦礫の中の埃が舞った。
奇跡は起きなかった。
しかしその時、遠くの夜空で、微かな光が揺れた。都市の灯りとは違う、白く静かな光だった。一瞬だけ揺れて、また消えた。
ユイはそれを見ていた。
アラタには、その時のユイの表情が見えなかった。
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