第33話 ユイの八月
長野から移動した前線基地は、群馬の山中にあった。
木造の建物が三棟。資材置き場が一つ。それだけだった。山の斜面を少し平らにして作った場所で、周囲は木々に囲まれていた。夜になると虫の声が聞こえた。
長野の施設より標高が低いため、夏の夜は東京ほどではないが蒸し暑かった。ユイが田代の部隊に配属されて、一ヶ月が経っていた。
最初の二週間は警戒任務だった。稜線に出て、テクノフォースの動きを観察して、情報を送る。戦闘は起きなかった。退屈ではなかった。観察しながら学べることが多かった。地形の把握、風の読み方、敵部隊の行動パターン。翼で高いところから見ると、地上では気づかないことが見えた。
三週目に入って、初めての本格的な戦闘があった。
テクノフォースの十二人部隊が中継拠点を狙って動いてきた時のことだった。ユイは後方支援に回って、田代の死角をドローンから守った。
それで田代に「助かった」と言われた。
それ以降、田代はユイを後方支援として固定しなくなった。
「状況を見て動け」と田代は言った。
「お前は全体が見えている。どこが薄いか判断して、そこに入れ」
それから、ユイは戦闘のたびに全体を見ながら動いた。前衛が厚い時は後ろに残った。薄い時は前に出た。位置関係を常に意識する戦い方だった。
翼が四枚あることで、移動の速度は田代たちより速かった。出力も高かった。それが支援として機能していた。
八月の終わり頃、田代に呼ばれた。
「次の任務を話す」と田代が言った。地図を広げた。
「北東の稜線に観測拠点を作ろうとしているテクノフォースの部隊がいる。これを排除する。今回はお前に前衛に出てもらう」
ユイは地図を見た。稜線は細長く、両側が急な斜面だった。逃げ場が少ない地形だった。
「前衛は翼を使った高速接近が有効だ」と田代は続けた。
「お前の動きを見ていて、使えると判断した。ただし一人で突っ込むな。私と石川が続く。前衛は入り口を開けることが役割だ」
「わかりました」
その夜、ユイは建物の外に出た。
空に星が出ていた。夏の星だった。長野にいた頃と同じように、山の上から見る星は多かった。
颯太のことを考えた。
颯太が生きていたら今年で十歳になっていた。もう4年生だった。どんな顔になっていただろうかと思った。小さい頃から目が大きかった。父に似ていた。
颯太。
声に出した。虫の声に消えた。
神様、家族を返してください。
心の中で祈った。施設にいた頃と同じ言葉だった。毎日繰り返してきた言葉だった。以前は言葉を出すたびに泣きそうになった。今はそうではなかった。泣かなくなったのが、慣れたからなのか、それとも何かが変わったのか、ユイにはわからなかった。
ただ祈り続けた。それだけは変わらなかった。
腕に触れた。長袖の下、茎の模様がある。施設を出てからも長袖で隠していた。田代たちには見せていなかった。
桐島に「できれば隠しておけ」と言われていた。理由は聞かなかった。聞かなくていいと思っていた。
石川が建物の外に出てきた。
「眠れないのか」とユイが先に言った。
「お前こそ」
「少し考え事があって」
石川は隣に立った。虫の声が続いていた。
「テクノフォースに知り合いがいると聞いた」と石川が言った。
田代から聞いたのだろうと思った。
「幼馴染です」
「戦場で会ったのか」
「一度だけ。群馬で」
石川は何も言わなかった。
「石川さんは、戦場で知り合いと会ったことありますか」とユイは聞いた。
「ない。いたとしても、今はもういない」
ユイはその言葉の重さをそのまま受け取った。深くは聞かなかった。
しばらく二人で星を見ていた。
「前衛、大丈夫か」と石川が言った。
「大丈夫です」
「怖くないか」
ユイは少し考えた。
「怖いです。でも動けます」
「それでいい」石川は短く言った。
「怖くないと言う人間の方が信用できない」
ユイは少し笑った。石川はそれを見なかった。星を見たまま立っていた。
翌日の任務が頭にあった。前衛として稜線に入る。翼を使って速く動く。入り口を開ける。
できる。
颯太のために動く。それだけだった。
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