第20話 北の空
G2の三月、アラタは東北の前線任務から東京本部に戻った。
三日間の任務だった。神徒連盟の補給路を遮断するための作戦だった。大きな戦闘はなかった。ただ移動が長かった。雪の中を歩いた。体が冷えた。東北の三月はまだ冬だった。
帰ってきてすぐ、Project DSの定例報告があった。黒崎を中心に、作戦部隊六人が集まる。これが月一回の報告だった。神の顕現に関する観測データの共有と、訓練進捗の確認が主な内容だった。
黒崎が報告した。
「神のエネルギー観測値が、先月比で十五パーセント上昇している。まだ顕現閾値には遠い。ただ、上昇傾向が続いている。半年前と比べると、三十八パーセント増加している」
「原因は」と部隊の一人が聞いた。
「戦況だ。戦争が長引くほど、双方の感情が激化する。神はそれを吸収する。怒りも、悲しみも、恐怖も、信仰と同様にエネルギーになる」
アラタはその話を聞きながら、手元のデータを見た。
戦争が続くほど神が強くなる。つまり戦争を続けることが顕現を早める。しかし戦争を止めることはできない。矛盾していた。しかし矛盾を解消する方法が今はないのだから、矛盾したまま前に進むしかなかった。
「顕現まで、どのくらいかかると推定していますか」とアラタは聞いた。
「わからない」と黒崎は答えた。
「現状の上昇率が続くなら、二年程度という推計もある。しかし変数が多すぎる。戦況が急変すれば上昇率も変わる。あくまで参考値だ」
二年。長かった。二年間、今のまま戦い続ける。その間にまた誰かが死ぬかもしれない。自分が死ぬかもしれない。わかっていたことだったが、改めて数字で聞くと重さが違った。
「わかりました」とアラタは言った。
「引き続き訓練を続けます」
黒崎は頷いた。
「一つだけ言っておく。焦りはいらない。こちらが急いでも神の顕現は早まらない。急いで動けば失敗する。今できることを、今の水準で続けることが最善だ」
それは正論だった。しかし正論だとわかっていても、待つことの辛さは別の話だった。
報告が終わって、廊下でライカに会った。
「顔色が悪いな」とライカが言った。
「寝不足です」
「嘘をつくな。消耗してる顔だ。任務のせいじゃない」
アラタは少し間を置いた。
「顕現まで、まだ二年かかるかもしれないと聞きました」
「それで消耗するな」ライカは静かに言った。「二年先のことは今日には変えられない。今日やるべきことをやる。それだけだ」
「焦らないんですか」
「焦っても顕現が早くなるわけじゃない。焦ると判断が鈍る。百害あって一利なし」
アラタはその言葉を聞いた。シンプルだった。正しかった。しかし自分がそれを実践できているかどうかは別の話だった。
その夜、父から連絡が来た。
「最近どうだ」という短いメッセージだった。
「変わらない。訓練と任務の繰り返しだ」とアラタは返した。
「Project DSの方は」
「進んでいる。顕現まで時間がかかりそうだ」
しばらく間があって、父から返信が来た。
「焦るな。準備さえできていれば、いざという時に動ける。それがお前の仕事だ。」
わかっていた。わかっていても、準備の時間がいつまで続くかわからないのは辛かった。それでも、それ以上言うことは何もなかった。
少し考えてから、アラタはメッセージを打った。
「ユイの情報は何かあるか」
少し長い間があった。
「長野の施設にいる。訓練を続けている。翼を持っていると聞いている。それ以上は把握していない。」
アラタはその文字を読んで、しばらく端末を持ったまま止まった。
翼を持っている。神徒連盟の戦士として育っている。それがわかった。止めたかった。しかし止める手段も、立場もなかった。ユイが選んだことだった。颯太のことを取り戻したくて選んだことだった。
それをわかっていても、どう思えばいいかはわからなかった。
端末を閉じた。
翌日、作戦情報の中に一件の報告があった。
神徒連盟の新たな戦士が前線付近に出始めているという情報だった。翼を複数持つ若い戦士が複数確認されているという内容だった。習熟速度が異様に速い、という記述もあった。
アラタはその報告を読んだ。
特徴として、「小柄な体格」「白い翼四枚」「推定年齢十代後半」という記述があった。
アラタは次のページに進もうとして、止まった。
もう一度、その記述を読んだ。小柄な体格。白い翼四枚。十代後半。長野の施設で訓練している。
しかし、次の言葉が出てこなかった。
神徒連盟の新しい戦士は何人もいる。情報が一致したとしても、それがユイだと断定する根拠はなかった。断定してはいけない気がした。断定してしまったら、次に何かが変わる。今はまだその段階ではなかった。
もし、この記述がユイだとしたら。その「もし」を考えることを、アラタは止めた。
今考えるべきことではなかった。いつか、自分で確かめる日が来る。その日まではまだ遠い。
アラタは資料を閉じた。
G2の三月が終わろうとしていた。
アラタは夜、施設の屋上に上がった。東京の夜は暗かった。戦争が始まってから都市の灯りは減り続けていた。以前は夜も明るかった街が、今は星が見えるほど暗くなっていた。
星を見た。こんなに星が見えたのは、いつ以来だろうかと思った。東京でこれだけの星を見たことは、記憶になかった。いつもネオンの光に消されていた。しかし今は、戦争のせいで都市の灯りが消えて、代わりに空が見えるようになっていた。それを美しいとは言えなかった。ただ、確かに星があった。
北の空を見た。
長野は北の方角にある。ユイがそこにいる。翼を持って、訓練をしている。神の力を信じて、家族を取り戻そうとしている。
アラタには言葉が出なかった。何を思えばいいかもわからなかった。
ただ、北の空を見ていた。
戦争はまだ終わっていない。神はまだ顕現していない。Project DSの準備は続いている。前線では今日も誰かが死んでいる。自分はここにいる。やるべきことをやっている。それだけだった。
ユイは神を信じて、翼を持って、前線に向かっている。アラタは神を否定して、ECSを着て、前線で戦っている。同じ戦争の中に、全く別の立場でいる。
二人の向かっている先は、どこかで交わるのだろうか。アラタにはわからなかった。交わった時に何が起きるのかも、わからなかった。今は考える段階ではなかった。それは、もっと先の話だった。
G2が始まって三ヶ月が経った。G1の夏から数えれば、すでに八ヶ月が経っていた。颯太が死んで、ユイが去って、篠田が死んで、Project DSに入って。色々なことが積み重なった八ヶ月だった。しかし世界は続いていた。戦争は続いていた。自分も続いていた。
川沿いで「世界が終わるなら」と話したあの夏が、遠かった。あの頃はまだ何も失っていなかった。失うことの重さを知らなかった。
冷たい風が吹いた。アラタは屋上を降りた。
明日も、同じ一日が始まる。
G2の春が来ようとしていた。
神は、まだ顕現していなかった。
しかし戦争は続いていた。双方の戦士が前線に出続けていた。エネルギーの数値は上昇し続けていた。いつか顕現する。その日が来る。アラタにはわかっていた。そしてその日、自分はProject DSの作戦部隊として動く。準備はできている。準備を続ける。それだけだった。
北の空をもう一度見上げた。
ユイ。お前が何を信じていても、自分はここにいる。戦っている。それだけはわかってほしかった。言葉にすることも、伝えることも、今はできなかった。それでも、そう思った。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
感想や評価をいただけると励みになります。
ブックマークもしていただけると幸いです。
今後も更新していきたいと思います。




