第1話 亀裂
G0の秋が終わる頃から、街の空気が変わり始めていた。
変化は最初、小さなものだった。駅の構内に神徒連盟の勧誘チラシが貼られるようになった。白地に青い炎のマークと、「神は答える」という文字。近所の公園の隅に白い布を張った簡易的な礼拝所が現れた。誰かが毎朝、そこで手を組んで祈っている。テレビでは毎晩、キャスターが難しい顔で
「信仰派と技術派の対立が深まっています」
と言い、その後ろでどちらの側の専門家も声を荒げていた。
アラタはそれを、ニュースとして処理していた。
感情的になっても意味がない。データを見て、状況を分析して、判断する。神のエネルギーが上昇しているのは事実だ。それに対して人間がどう反応するかも、ある程度予測できる。驚くことは何もなかった。
しかし学校の空気は、データで処理しきれないものだった。
昼休み、アラタは教室の窓際で端末を見ていた。神のエネルギー値の最新データを確認する習慣ができていたのだ。今日も曲線は上を向いていた。
椅子を引く音がして、隣にユイが座った。弁当箱を広げながら「ねえ」と言った。
「なんだ」
「隣のクラスの田中先生、知ってる?」
「名前は知ってるけど、会ったことはないよ」
「数学の先生なんだけどね」ユイは箸を動かしながら言った。
「神徒連盟に入ったんだって。で、昨日の授業中に急に祈り始めて、そのまま止まらなくなって、授業が途中で終わったって」
「それは問題になるんじゃないか?」
「なってた。校長が呼んだらしいけど、先生、全然悪いと思ってないみたい」ユイは少し間を置いた。
「信じてる人って、止められないよね。外から見るとおかしく見えても、本人達には全然おかしくないんだよね」
アラタは端末から目を離さなかった。
「信仰は理屈じゃないからな。理屈で組み立てた信念は、反論で崩れる。でも信仰は反論を跳ね返す。そもそもの構造が違う」
「アラタはそういう気持ち、わかる?」
「わからない」
「正直だね」
「わからないものをわかると言うのは不誠実というものだろう」
ユイはしばらく弁当を食べながら、黙っていた。窓の外、運動場で体育の授業をやっている声が聞こえた。アラタはデータを閉じて、端末をしまった。
「でも羨ましくない?」とユイが言った。
「何かを強く信じられるって」
「何が羨ましいんだ」
「だって、何があっても折れない気がするじゃん。信じるものがある人って。迷わなさそうで」
アラタは少し考えた。
「強く信じることと、正しいことは別の話だ。折れないことが、いつも良いとは限らないさ」
「そうだけど」ユイは箸を止めた。
「迷わないってことへの羨ましさ、みたいな。私、わりとすぐ迷うことあるから」
アラタはユイの横顔を見た。視線が窓の外に向いていた。遠くを見るような、少し空虚な目をしていた。
「何か信じたいものがあるのか」とアラタは聞いた。
ユイは少し間を置いてから、笑った。
「さあ、どうだろう」
それ以上は言わなかった。アラタも追わなかった。ただ、その横顔が引っかかった。いつもより少しだけ、遠いところを見ていた。
G1の二月、最初の衝突が起きた。
神徒連盟の戦士部隊がテクノフォースの大阪研究施設を攻撃した。報告によると、複数の戦士が白い翼を展開して施設の上空から降下、警備システムを突破して内部に侵入。テクノフォースの警備隊が迎撃したが、戦士の身体能力は通常の兵士を大幅に上回り、施設の一部が破壊された。双方に死者が出た。
テレビで速報が流れた夜、アラタは父と二人でリビングのソファに座っていた。
「始まってしまったな」と父が言った。声に感情はなかった。予測していたことが現実になった時の、静かな確認の声だった。
「戦争になるのか」
「なる」父は断言した。
「最初の衝突が起きた時点で、もう止まれない。どちらも引けなくなる」
画面に映像が流れていた。夜の大阪、炎を上げる施設。そして上空、光を纏った人影が映った。白い翼が広がり、空を飛んでいた。
アラタは画面から目を離せなかった。
聞いたことはあったが、これが初めて見る神徒連盟の戦士だった。翼は光そのものでできているように見えた。羽ばたくたびに光の粒が散った。速かった。戦闘機とは違う動き方をしていた。生き物の動きだった。
「あれが」とアラタは言った。
「祈りで神の力を引き出した兵士だ」父は静かに言った。「速い、そして強い。今の技術では正面から対応するのが難しい。通常弾薬はほとんど効かない」
「テクノフォースは対策を作れるのか」
「作っている」父は端末を取り出した。
「ECSの開発が急ピッチで進んでいる。Exo Combat Suit。神徒連盟の戦士に対抗するための戦闘スーツだ」
「それがあれば対抗できるのか」
「できる可能性がある。まだ開発段階だが」父はアラタを見た。
「お前もそのうち聞くことになる名前だ」
アラタは画面に戻った。白い翼を持つ人影は、もう映っていなかった。炎だけが残っていた。
美しかった、とアラタは思った。それと同時に、明らかに危険だった。美しいものが危険だということは、珍しくない。
翌朝、ユイに連絡した。
――昨日のニュース見たか?
しばらく待つと返事が来た。
――見た。怖かった。でも翼、きれいだったね。
アラタは少し考えてから返信した。
――気をつけたほうがいい。外出は最小限にしておけ。街の雰囲気が悪くなってきている。
しばらく間があって、返事が来た。
――アラタらしい返し方。ありがとう。
端末を置いて、窓の外を見た。東京の朝の空は青かった。電車が走る音がした。近所の犬が吠えた。何も変わっていないように見えた。
でもデータは確実に変わっていた。エネルギー値はまた上がっていた。そして今度は数字だけでなく、映像として現実になっていた。
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