第16話 決断
篠田が死んでから、十日が経っていた。
アラタの毎日は変わらなかった。起きて、訓練して、食事して、また訓練する。外から見ればそれだけだった。ただ夜だけが違った。眠れない夜が続いた。布団に入って目を閉じると、考えが止まらなかった。思考が勝手に動いて、止まらなかった。
篠田のことを考えた。死ぬ前の最後の任務を思い返した。光の槍が篠田の胸部を貫通した瞬間を何度も再生した。あの時、自分がもっと速く動いていれば。別の判断をしていれば。考えても意味がないことだとわかっていた。それでも止まらなかった。
父の言葉も考えた。面会室で聞いた言葉。
「神がいても死者は戻らない。それがわかっているからこそ、テクノフォースに入った。」その言葉は今も頭の中にあった。
黒崎の話も考えた。Project DS。Deicide System。神を消滅させる装置。戦争を終わらせる可能性。
「難易度は最高だ。死ぬ可能性も高い」という言葉も、そのまま残っていた。
アラタはその三つを、何日もかけて頭の中で転がし続けた。
決断したのは、十日目の夜明け前だった。
特別なことがあったわけではなかった。ただ考え続けた末に、ある朝、気づいたら答えが出ていた。考えが整理されたのではなく、積み重なって、ある閾値を超えたような感覚だった。
なぜProject DSに参加するのか。理由は一つではなかった。
まず、篠田が死んだことだ。もう一人の仲間も死んだ。このまま前線で戦い続けていれば、また誰かが死ぬ。確率の問題だった。
戦争が続く限り、死者は出続ける。ならば戦争を終わらせるべきだ。その方法があるなら、そこに向かうべきだった。
次に、父の言葉だった。神への依存が戦争を生んでいる。人間が自分の力で未来を切り開く。それがテクノフォースの根本的な立場だった。
アラタはその立場を選んで兵士になった。中途半端に選んだわけではなかった。ならば、その立場の最前線に立つべきだった。Project DSはそこにある。
三つ目は、もっと単純な話だった。今のままでは何も変わらない。前線で戦い続けて、仲間が死んで、また戦う。その繰り返しだ。
終わりの見えない戦争を続けることが、正しいとは思えなかった。戦争に終わりをつける可能性が目の前にあるなら、そこに向かうことが自分のやるべきことだとアラタは思った。
感情の話ではなかった。計算だった。そう自分に言い聞かせた。篠田の死に引っ張られて決めたわけではない。計算の末に出た答えだ。そう繰り返した。
しかし、正直に言えば、完全に感情を切り離せているとは思わなかった。篠田が死んだ夜、帰りの輸送車の中で何も話せなかった。雪の山を見ていた。あの時に感じた何かが、確かに今の決断の底にある。それを計算と呼んでいいかどうかはわからなかった。
ただ、計算と呼ぶことが今は必要だった。感情で決めたと思ってしまうと、次に感情が揺れた時に判断がぶれる。それは困る。だから計算と呼んだ。
翌日、アラタは黒崎に連絡を取った。
面会室は前回と同じ上層階の部屋だった。カーペットが敷かれた静かなフロアだった。黒崎は端末を見ていたが、アラタが入ってくると顔を上げた。
「参加します」とアラタは言った。
黒崎は少し間を置いた。
「理由は聞いていいか」
「戦争を終わらせるためです。それ以外にありません」
黒崎はアラタを見た。何かを確かめるような目だった。
「感情で動いていないか。最近、仲間を亡くしたと聞いた」
「計算です。感情は関係ありません」アラタは視線を外さなかった。
黒崎はしばらく黙っていた。アラタも黙っていた。部屋の外から、施設の空調の音が低く聞こえた。
それから黒崎が口を開いた。
「わかった。しかし、このプロジェクトは成功する保証がない。神が完全顕現するのがいつになるか、こちらでは制御できない。来年かもしれないし、五年後かもしれない。顕現した瞬間に作戦を実行できるか、それも保証できない。失敗すれば、お前も死ぬ可能性がある」
「わかっています」
「本当にわかっているか。データとして理解しているのと、実感として受け入れているのは別の話だ」
「実感としてわかっています。前線で仲間が死ぬのを見てきた。自分が死ぬかもしれないことも、頭だけではなく体でわかっています。それでも参加します。さっき言った通りです」
黒崎はもう一度アラタを見た。しばらくそうしていた。それから静かに頷いた。
「いいだろう。正式に参加を認める。訓練の詳細は来週、担当者から連絡が来る」
「わかりました」
「一つだけ言っておく」黒崎は端末を手に取りながら言った。
「このプロジェクトに参加した以上、自分から他の人間には話すな。家族にも、部隊の仲間にも」
「了解しています」
アラタは立ち上がって、部屋を出た。
施設に戻りながら、廊下を歩いた。
窓の外に雪が見えた。東京の冬は乾いていた。雪が降っても、すぐ溶けた。積もらない雪だった。
Project DSに参加すると決めた。それは変わらなかった。
しかし、何かが落ち着かなかった。計算で決めたと言った。本当のことだった。しかし計算だけではないものが、どこかにある気がした。それが何かは、うまく掴めなかった。考えるほど輪郭がぼやけた。
アラタはそれ以上考えるのをやめた。今は、必要なことをやるだけだった。
答えが出ない問いに時間を使うより、やるべきことをやる方が生産的だった。そう思った。
ただ、廊下を歩きながら一つだけ確認した。自分は今、何のために動いているのか。テクノフォースのためでなく、正義のためでもなかった。戦争を終わらせるため、というのは正確だった。
しかしそれは手段であって、目的ではない気がした。目的はもっと手前にある。もっと単純なところに。今はまだ言葉にならなかった。言葉にしなくていい。行動が先だった。行動の中で、やがてわかることもある。アラタはそう考えることにした。
その夜、父に短いメッセージを送った。
「Project DS、参加することにした。」
返信は十分後に来た。
「そうか。お前なら正しい判断ができると思っていた。体に気をつけろ。」
短い言葉だった。長い言葉はなかった。しかしそれで十分だった。父はいつもそうだった。余計なことを言わない人間だった。
アラタは端末を置いた。ユイへのメッセージ画面を開いた。何か書こうとした。最後の既読のまま止まっているやり取りを見た。八月のユイのメッセージがあった。それきりだった。
何か書こうとした。元気か、と打った。消した。何しているか、と打った。消した。会いたい、と打った。それも消した。
結局、何も送れなかった。また閉じた。
眠れる気がしなかったが、布団に入った。目を閉じた。
篠田の声が聞こえた気がした。
痛いっすね。でも死んでないんで、大丈夫っす。
死んでいた。大丈夫じゃなかった。
アラタは目を開けて天井を見た。白い天井だった。しばらくそうしていた。
篠田のことを、感傷として引きずってはいけないとわかっていた。それは篠田も望まないだろうと思った。
「感傷は後でやれ」
というライカの言葉を篠田も聞いていた。そして篠田はその言葉を守れないまま死んだ。守れる側に残ったのがアラタだった。だから感傷は後でやる。ただ、後でというのがいつなのかは、誰も教えてくれなかった。戦争が終わった時か。Project DSが完了した時か。今はまだわからなかった。
それからもう一度目を閉じた。今度は眠れた。
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