ルネと食べる異世界メシ
目の前に出されたのは現世でも幾度となくお世話になった食の王様、パン
それから黒いブツブツとした謎の卵と白い練乳のような調味料だ
「申し訳ありません、私が出せるものはこの程度でして…」
申し訳なさそうに語るルネだが、よく見れば彼女はかなり痩せ細っている
女性に見られる凹凸は一切なく、ただひたすらに平坦な体つきだ
街に居た女性の大半は女性的な体つきだった
彼女の貧相な体はその懐事情を如実に表しているようにも思えた
「とんでもないです!苦しい生活の中で家に泊めてくださるだけでなく、こんなお食事まで…ありがたく頂きます!」
「……やはり、貴方は一般的なノワール人とは違うようですね」
ルネはどこかむず痒そうに髪の毛を弄り、こちらをチラチラと眺める
美女の塩らしい仕草にルーファウスはあり得もしない期待と興奮を覚えるが、強引に本能を理性の下に仕舞い込む
ややぎこちない雰囲気が訪れ、思い出すように食事に手を付けた
やはり最初に食べるのはパンだ
別世界の食べ物は非常に気になるが、まずは見知った食べ物で舌を慣らす
横長のパンをひとつまみ千切り、口へと運ぶ
「……パンですね」
思った以上の馴染み深い味にそのままの回答をしてしまった
本当に、故郷で毎日のように貪っていたただのパンだ
しかし、人工的で無機質な祖国のパンに比べ、どこか人の温もりを感じる一品だった
「フフフ、そうではありません。プロンはそこの卵と合わせて食べるんです」
初めて食べる別世界の食事、そのリアクションを心待ちにしているのかルネの声音は何処か明るい
彼女が指さした先にあるのは黒光りする卵
ロシアのキャビアのようにも見えるが、その大きさは鮭の卵程度で少しばかり身構えてしまう
ワクワクと言わんばかりに、彼女はじっとその時を待つ
その仕草に負けるような形で、そっとパンで卵を掬い口の中に運んだ
「……っ!!!」
美味しい
まるで、塩けの効いた濃厚なバターのような深みのある味だ
噛むたびにプチプチと卵が口の中で弾け、その旨みが口全体に広がる
卵から流れ出る液体がパンに吸収され口内で調理されている様に味が変化し、噛む度に味わいが増す
「ふふふ、感想を聞くまでもなさそうですね。気に入って頂けたようで何よりです」
「これは何と言う食べ物なのですか?」
数十秒に渡り噛み続け、ようやく飲み込んだルーファウスは聞き逃していた食事の名前を問う
先程、パンのことをプロンと読んでいた気がした
恐らく彼女ら独自の呼び名があるのだろう
「正式名称はありませんが、このい麦を用いた加工食品をプロンと。こちらは蝶鮫の卵の塩漬けに、調味料のレーフと言います」
「チョウザメの卵ですか!故郷にもありますね。こちらでは高級食材かつ大きさも遥かに小さいですが」
「そうなのですか!?」
彼女が目を輝かせ反応を示す
どうやら高級食材という所に引っかかったようだ
なにせ本物を食べたことが無いので、どとらが美味だとは言いけれないが恐らく現世にいても自分ならこちらを食べるだろう
「ええ、これよりもっと小さくてその癖に値段ばかり高いんです。僕なら絶対にこちらを選びますね」
「…そうですか、ふふふ…何だか生まれて初めてブランであることを誇らしく思えた気がします。こんなに喜んで頂けたのは初めてです」
ルネは本当に嬉しそうにそう語る
彼女の気持ちは少しばかりではあるが理解できた
現世では誰からも軽んじられながら生きてきた
そんな中でも自分を評価してくれる人が全くいなかった訳ではない
路上で描いた似顔絵を満面の笑みで買ってくれた少女の顔は今でも忘れない
冷め切った恋愛関係ではあったが、あの美しい記憶だけは本物だった
「やはり貴方でよかった、少し待っていて下さい支度をしますので」
そう言うと彼女は奥の部屋へと去って行きなにやら準備を始めた
ルーファウスはプロンを半分ほど食べたあたりで満足し、彼女が始めた支度が終わるのを待つ
恐らく自分の寝床を用意してくれているのだろう
本当に良い子だ
もしかしたら騙されているのかもしれない
だが、それならそれで構わない
今の自分は失うものがない
それより彼女が与えてくれた人並みの時間への感謝の念の方が強かった
そんな感傷に浸る中、部屋の奥からルネがゆっくりと出てきた
先程の白い羽衣とは打って変わり、薄い網目状の煌めくタオルのようなものに身をつつんでいた
服の合間から薄らと見える象徴が、彼女が女性であることを明確にする
その神秘的な姿にルーファウスは生まれてこれ以上ない程の興奮を覚えた
「こちらに…」
そう彼女に手解きされ、寝室へと向かう
そこには一般人の寝室とは思えないほどに手入れが行き届いた羽毛のベッドが置かれていた
背後から扉をゆっくりと閉める音がする
「ルネさん、これっ──」
突如息ができなくなる
体がドレスに覆われ、布越しに彼女の柔肌と温もりを感じる
口を覆うしっとりした唇が蠢き、優しくそしてややぎこちなく彼の心を満たしていく
この世の全てが停止したかに思えた時間も終わりを告げ、別れを惜しむように唇に唾液の橋が掛かる
そして最初に目に映ったのは、服を全て脱ぎ捨てたルネの姿だった




