075 オジサンと聖女さん
全力で駆け抜け、まだ夜空に星が輝くうちに自宅へ辿り着く。
祈りの塔から自宅まで、そこまで遠い距離ではないことは救いだろう。
「お邪魔しま~す」
「どうぞ」
座っててくれと促す前から、聖女さんはちゃっかり椅子を引いて腰を下ろしている。
台所に立って湯を沸かし、マグカップ二つに粉末状のチャを一匙。そこに湯を注ぎ、即席のチャを用意する。一つを聖女さんに差し出すと、にっこり笑って受け取って、立ち昇る湯気に息を吹きかけていた。
「何か懐かしいよねー。初めてオジサンちに来たの、八年前だっけ? 私もオジサンも見た目変わんないから、実感湧かないよね」
「そうだな。俺にしてみても、八年前なんて昨日の事みたいだからな」
しみじみとした様子でマグカップに口を付ける聖女さんの向かいに座り、俺も湯気に息を吹きかける。ふわりと舞った湯気が、俺と聖女さんの間で踊る。
「オジサン、そーゆーところ、本当にオッサンって感じだよね」
「どうせ俺は実年齢ジーサンのオジサンですよ」
「拗ねない拗ねない」
くすくすと笑いながら、聖女さんは手にしたマグカップをテーブルの上へ置く。マグカップの底がテーブルを叩く音が、やけに木霊して聞こえた。
「マジで実感ないんだけど、本当に私、帰るんだよね」
「あぁ。そろそろかとは思っていたが、本当に唐突なもんだ」
「だよねー。あー、八年も過ごしちゃったから、離れがたくなってるじゃん~」
盛大なため息と共に、聖女さんが勢いよくテーブルに突っ伏した。
いつか終わりの時が来る。
意識をしていなかったわけではないが、口に出す事を避けていた面もある。口にしてしまえば、未練となってしまうからだ。
年頃の少女にとって、八年と言う時間は精神に大きな影響を与えるに十分すぎる時間だろう。如何に聖女さんが年を重ねないからと言って、その内面が変化しない訳では無い。
多くの経験と、多くの出会い。それを経て、悩まずに帰れる事は稀なのである。(尚、前代聖女さんは任期の短さも相まってか、その稀なパターンに該当する御人だった。)
聖女さんの溢した言葉は、間違いなく本音なのだろう。だからこそ、俺は彼女の背中を押す言葉を掛ける。
「悩むことはないさ。待ってる人が居るんだろう?」
「……うん」
ゆっくりとした動作で頭を上げて、聖女さんはへらりと笑んだ。
「叔母さんのとこ、帰るよ。帰ってお母さんって呼ぶんだ。今なら絶対呼べるし!」
気合満々な様子の聖女さんに安堵して、俺は席を立つ。
窓辺のロッキングチェアに向かい、クッションの上に置かれた、畳まれた衣服を手に取った。聖女さんが最初に来ていた上着だ。家に帰るたびに手入れをしていただけあって、八年経っても状態は元々のものと同等と言えるだろう。
割れ物の様にそっと運んで、聖女さんの前に差し出す。
聖女さんは立ち上がり、両手で俺の手から上着を受け取りそれを羽織る。一番最初に出会った時の姿がそこにあって、なんだかおかしくなってしまった。
「ちょっと! なんで笑うの!?」
「いや、八年経っても君は変わらないなァって……」
「そりゃそうでしょっ! 聖女だし!」
肩を怒らせる仕草をしながらも、聖女さんの顔には笑みが浮かんでいた。
「でもオジサンって本当、几帳面だよね。私のブレザーも変わりがない状態だし、ビーチェさんの服も凄く奇麗に残してるし」
「そりゃね。大事なものを粗末には出来んだろうさ」
「えへへへ。ありがとね、オジサン」
どこか満足げに笑いながら、聖女さんが右手を差し出す。
俺は躊躇なく手を伸ばし、その手を握り返した。
「こちらこそ。ありがとう。ビーチェを失って以来だったよ。あんなに賑やかな日々は」
「私も、オジサン達と一緒だから異世界でも楽しかったよ!」
どちらともなく、ぎゅっと握る手に力が籠る。
不意に、目の前で光の粒子が舞い踊る。聖女さんの体が、光に包まれていた。
「ねぇ、オジサンってまだ寿命長そう?」
「寿命? いや、どうかな……長くて後、五十年くらいか……?」
「うーん、絶妙な長さ。長生きしてね、オジサン! なんか良いこときっとあるよ!」
「別れの言葉にしては雑過ぎない!? ははっ、でも君らしいか。分かった。頑張って長生きしてみるさ」
「うん! 約束だよ!」
瞳から大粒の涙をこぼし、それでも聖女さんは笑顔のままでいた。
光の中に消えていくその瞬間まで、俺達の手が離れることは無かった。
「さようなら、サクラ」
光の粒子が空気に溶けて消えていく。
そこにはもう聖女さんの姿はなく、ただ静かに、夜明けの澄んだ空気が満ちていた。
※ ※ ※
「どこ、ここ?」
オジサンと別れてすぐ、良く分からない真っ白な空間に連れて来られてしまった。
私は必死に志乃さんの言葉を思い出す。確か、真っ白な空間に連れて来られて、それから、神様が現れる……。そうだ、神様!
真っ白な空間はどこまでも白く広がり、正直目に痛い。早く出るなら出てくれ、神様。
そんな私の祈りが通じたのか、目の前に急に一際激しく光る発光物が現れる。球体状のそれは形を変え、人の姿を形作る。不思議なことに、私にはそれが神様であるのだと一瞬で理解できてしまった。
「小鳥遊桜。貴方は聖女としての務めを見事に果たしました。まずはこの星に残るか、元の世界へ帰るか。その選択をなさい」
「帰る」
間髪入れずに答えても、目の前の神様は微動だにしない。
まるでこの答えは初めから分かっていた、そんな空気すら漂わせている。
「では、願いを告げなさい。一つ、叶えましょう」
「それ、何でも叶えてくれるの?」
「我が力の及ぶ範囲であれば」
アバウト~! 神様の力の限界とか知らんし!
まぁ、異世界に転移させて、こうして願いを叶えたりなんだり出来るくらいだから、相当の許容範囲はありそうな気がする。なので私は私の願いを口にした。
すると、神様の気配が少しだけ揺らいだ……気がした。
「本当に、その願いで良いのですか? 貴方には何一つ、得する事がありません」
神様にも損得勘定の考え方があるんだ……。意外かも。
でもそう言うってことは、可能って事だよね。やったね!
「いいよ! 私は私の居た場所に帰してもらえれば十分だし。それに、自分の願いは自分で叶えればいいだけっしょ」
「……良いでしょう。貴方の願い、確かに聞き入れました」
ほっと胸を撫で下ろすと同時に、急激な眠気に襲われる。
うへぇ……なにこれ、目が開けてらんない……。
「安心なさい。目が覚めれば、貴方は貴方の世界にいます。聖女として星の為に祈りを捧げてくれたその心を、私は一生覚えていましょう。ありがとう、桜」
帰れるならいっか。それに神様に感謝される経験なんて、中々ないんじゃない?
あぁ、でも。お願いの結果がこの目で見られないのは、ちょっと残念だなぁ……。オジサン、喜んでくれると、いいなぁ……。
…………。
……。
抗えない眠気の前に、私の意識はぷつりと途切れた。
次に目が覚めた時、私は私の自室のベッドの上に転がっていた。
八年ぶりに見る自室の光景はやけに懐かしく、胸に熱いものが込み上げる。恐る恐る枕元のスマートフォンに手を伸ばし、画面を見ると、そこに示された日付に目を大きく見開いた。
忘れもしないその日付は、私が異世界に飛ばされてしまった日だった。
「本当に……帰って来たんだ……っ」
ベッドから起きて、窓を開ける。
開けた窓から見る景色は、なじみ深い私の部屋から見る景色。そんな当たり前のことに私はどうしようもなく泣けてしまって、口元に手を当てて溢れそうになる嗚咽を必死にこらえた。
「桜!? どうしたの!」
扉の開く音と同時に、叔母さんの慌てた声が響く。
振り向いて叔母さんの姿を目にすると、私はとうとう我慢が出来なくなった。わっ、と声を上げて叔母さんに駆け寄り、抱きしめる。叔母さんもどうしたのどうしたのと心配げに声を上げ、私の背中を優しく撫でてくれた。
その手のぬくもりが嬉しくて、私は更にぐずぐすになりながらも、どうしても一番に言わなきゃならない言葉を口にした。
「たっ、ただいまっ……、お母さんっ!」
「……っ! 桜っ……あぁ……おかえりなさい……!」
叔母さんからすれば、いきなりのただいまからのお母さん呼びはきっとびっくりだと思う。けれど叔母さんは何を突っ込むこともなく、私を強く強く抱きしめてくれた。
オジサン、私、やっと言えたよ。
私、こっちでこれからも叔母さんと頑張るから。
オジサンもそっちで頑張ってねー!




