074 オジサンと別れの時
復活した魔王を討ってから、八年の時が過ぎ去った。
この八年の間にも色々とあったが、聖女さんは変わらず祈りを捧げてくれている。
再建した祈りの塔は実に住み心地が良いものだった。
聖女さんならこれなら長居できると喜び、俺もその住み心地の良さにすっかり虜になっている。
そんな塔には今、司祭殿達と俺達のみならず、イザヨイもまた住み着いていた。
聖女さんを女神と呼び、崇め続けるイザヨイを塔に誘ったのは俺とタマだった。いっその事、聖女さんの護衛をしないかと誘ったら二つ返事で頷き、今ではすっかり護衛部隊の一員として働いてくれている。時折、俺やタマと手合わせしてくれるのもまたいい鍛錬になるので有難い。
ルナーは今は王都に住み、カイルの秘書官の様な事をしている。
カイルと二人して時折塔へ遊びに来ては、聖女さんとタマと楽し気に過ごす姿に安堵するばかりだ。俺との間柄も以前の様な兄と妹に近しいものに戻れた……のではないかと思っている。
各々、収まるべき場所に収まった。そう思える程度には、日々は穏やかに流れていた。
八年と言う月日の長さを忘れそうになる程に。
その日は突然訪れた。
何時もの様に祈りを捧げ終えた聖女さんが、不意に口を開く。
「あー……、終わっちゃったみたい。私の任期」
困ったように笑う彼女を前にして、俺は言葉を失い立ち尽くす。
聖女には任期がある。そんな当たり前を忘れてしまう程に、聖女さんとの日々は実に馴染み過ぎていたのだ。
聖女さんの一声に、塔は急に慌ただしさを増した。任期の終わりを予感した聖女は、例外なく翌日にはその姿を消してしまうのだ。つまり、聖女との別れを惜しむ時間と言うのは、非常に限られたものでしかない。
「ニャー! イヤにゃー! 聖女さまとお別れなんて寂しいニャー!」
「友よ、その気持ちは当方も同じ……ッ! 身を裂かれる思いである……! 女神よーッ!」
わんわんと声を上げて別れを惜しむタマとイザヨイの様に、俺も悲しみに暮れるところだがそうもいかない。
この星の為に祈りを捧げてくれた聖女に対し、出来る限りの感謝を込めて盛大なパーティを開催する。それが別れを前にした聖女への、しきたりの様なものでもあった。
報せはあっという間に世界中に広がり、各国の主要人物がこぞって祈りの塔を訪れる。この日ばかりは国同士、しがらみを超えて聖女の為だけに尽くす事となっていた。
いの一番に現れたのは、バスタード王だった。
あれから国の女性と結ばれ家庭を持ったが、それでも聖女さんの事は大切に思ってくれているらしい。大切に思うあまり、神様に願って俺の第二の妻に……なんて言い出すものだから、俺とイザヨイでぶん殴ったわけだが。
それを見て聖女さんが愉快そうに笑う。
それからカイルやルナーといった友人に、シノも姿を見せてくれた。皆一様に、その顔には晴れやかな笑顔を浮かべていた。別れの寂しさなど、一切感じさせない様な。
「聖女様。長きに渡り聖女としての使命を果たしてくださった事、心から感謝致します」
恭しく頭を下げる女王様を、聖女さんが大慌てで止める。何年経って変わらない、この大袈裟なリアクションが聖女さんらしさに思えていた。
「私、好きでやってたんです! そりゃあ、最初は異世界!? 聖女!? なに!? って感じでしたけど、色々あって、経験して、友達も出来て、楽しくて! だから、感謝されるような事じゃないんですよ」
「聖女様……。いいえ、サクラ様。貴女のそのまっすぐな精神性こそ、真に聖女たる所以なのでしょう。どうか貴女の未来に、幸多からんことを。……あーん! 寂しいわぁ! サクラちゃん、本当に良い子だから! もっとお喋りしたかったわ~!」
「女王様~! 私も寂しいですよ~! また庭園でお茶したかったぁー!」
この八年ですっかり茶飲み友達と化した二人は、女王と聖女と言う壁を越えてまるで年の離れた姉妹の様に親交を重ねていた。それ故に素直に別れの寂しさを吐き出せる間柄であることが、少しばかり羨ましくもあった。
女王様と一頻り別れを惜しんだ聖女さんは、尋ねて来た客に向かって声を張り上げた。
「みなさん! 今日は私のお別れパーティなのでっ、沢山食べたりお喋りしていってくださいねー!」
わっと会場が沸き上がる。
塔の周辺を会場としたパーティは、幾つも並べられたテーブルの上に、料理長と司祭殿達が用意した料理が所狭しと並べられていた。この日ばかりは、この星の全てが聖女の為にある。そんな錯覚を覚える程に、みんな聖女さんを前にして笑んでいた。
「……クレセント。お前、いいの?」
塔の柱に寄りかかり、ぼうっと景色を眺めていると、俺の左側からルナーがひょっこりと顔を覗かせた。その顔付きは、やけに渋いものがあった。
「いいって、何が?」
「サクラよ。お前、サクラとずっと一緒だったでしょう? ちゃんとお別れ、しなさいよ」
「と、言ってもなァ……」
「そうですよ、ちゃんとお別れしないと後に響きますよ」
突然、右側からカイルが顔を覗かせる。驚きに思わず声が出そうになるが、何とか噛み殺した。
「いやっ、でもほら、聖女さん忙しそうだから、後でいい。後で」
「お前ねぇ……」
「クラトス様……」
二人が呆れたような顔をする。
いやいや、待ってくれ。ちゃんとするつもりでいるから。安心してくれ。
弁明すればするほど、二人は呆れた顔をして俺から離れて行ってしまう。
……それも仕方がないだろう。
実際、俺は別れの言葉に迷っていた。
聖女との別れを経験するのは、これで二度目だ。そのどちらも此処まで悩むことは無かった。だが、今代の聖女さんとの強烈すぎた日々が俺を悩ませる。
彼女と旅をしたのは一年にも満たない。けれども、聖女さんとの思い出は常にそこに集約されてしまう。
楽しかったのだ。
ビーチェを失ってからの日々の中、久々に強烈な光に彩られた日々は、楽しかった。
あぁ、だから別れがつらいのか。
光そのものである聖女さんが目の前から消えてしまう事が、寂しくて仕方がない。全く情けない、本当に……。
空を見上げれば、すっかり色を濃くした夜空に星が輝き始めていた。
星は今日も変わらずに輝き続けている。
「いやー、疲れちゃったよ……」
聖女さんの半分笑った様な声が聞こえて、俺は視線を落とした。
頬を描きながら、困ったように笑った聖女さんが俺の目の前まで寄ってくる。
「もー、知らん人から同じよーな事ばっか言われて飽きた! オジサン、ちょっとオジサンちまで行こう」
「いやっ、駄目だって! 主役が抜けてどーすんの……」
「いいっていいって。ほら、私、オジサンちにずっとブレザー預けっぱなしじゃん。取りに行かないと」
言われて思わずハッとした。そうだ。初めて出会った日に、彼女の服を預かっていたんだった――! この八年の間で何度か家には帰ったが、その度に聖女さんがまた今度で良いよと置きっ放しを続けていたのだ。
「ほら、行くよ、オジサン!」
「だーっ! 分かったから、一人で勝手に森の中に入ろうとしないでくれ!」
一人でずかずか進もうとする聖女さんを引き留めて、俺は足を止めた聖女さんを横抱きに抱え上げた。
「ちょぉっ!? オジサン!?」
「歩いていたら時間が足りないからな。全速力で行く」
「ちょっと待った、大神官サマに頼めば……うひゃぁ!」
喋ってると舌を噛むぞと忠告して、俺は一目散に駆け出した。
八年前、初めて出会ったあの日の様に。




