072 オジサンと一つの終わり
「わーっ! オジサン死んだかと思ったじゃん!」
「すまん、すまん。いや、本当に疲れてしまって……」
目覚めたときはベッドの上で、すぐに聖女さんとルナーの姿が視界に飛び込んだ。
のそのそと体を起こすと、自分の体の異常にすぐに気が付いた。視界が狭い。どうやら負傷した目は治らなかった様だ。
「お前……目は?」
「見えないが、まぁ、気にするな。目玉一つで命が助かったんだ。儲けもんだろう」
今にも不安に押しつぶされそうな顔をしたルナーをこれ以上心配させないように、努めて明るく振舞う。実際、目玉一つ無い程度、そこまで困りはしないだろう。……これが腕であれば、剣士廃業で少々困ったかもしれないが。
肩の怪我は完治したようで問題なく動く。腹の傷も、内臓を一部欠いてはいるものの生きていく上では問題ない程度に再生されている事が分かる。聖女さんには感謝するばかりだ。
「そう……。お前、サクラに感謝する事ね。お前が眠っている間、サクラがずっと付きっきりで看病してくれたのだから」
「そうか……すまなかった、聖女さん。って、ルナー、お前、聖女さんの事、名前で……?」
「わ、悪い? 聖女って呼ぶのも面倒になっただけよ……っ」
指摘されたルナーは、赤らめた顔をぷいと逸らす。
俺の寝ている僅かな間に、一体何があったのか。
何があったにせよ、二人の間が進展したのならそれに越したことは無い。
一晩中回復魔法を行使して疲れている筈なのに、聖女さんは女王様と司祭殿を呼んでくると言って勢いよく部屋を飛び出していった。無理をしないでくれと走り去る背に投げ掛け一息つくと、不意に膝の上に置いた俺の手に、ルナーの手が重ねられた。
どうかしたのかとルナーを見れば、ルナーは顔を俯かせ、俺から視線を逸らしたままぽつりと呟いた。
「……お前が死ななくて、良かった」
吐き出された言葉には、深い安堵と僅かばかりの寂しさが見て取れる。
紛い物とは言え、兄の姿をした存在の死を目撃したのだ。その心境は計り知れないものがある。
「正直、私、少しだけ期待してしまったの。兄様が蘇ってくれたのだと。でも、サクラに言われて痛感したわ。死者は蘇らない。蘇ってはいけないのね」
「……ああ。死者は蘇らない」
「だから、お前が生きていてくれて、本当に良かった。……生きていてくれたから、」
一度言葉を区切り、ルナーは伏せていた顔を上げた。
真剣な顔で頬を朱に染め、ルナーがまっすぐな瞳で俺を見つめる。その視線の意味を察して、俺は息を飲む。けれども待てとも言えず、ルナーの形の良い唇が動くのを見つめていた。
「私、これから先は、お前と共に生きたい」
告げられたその言葉の意味を、その熱の籠る視線の意味を分からないという程、野暮ではない。
だから俺も真っすぐにルナーの瞳を見つめ返した。
誠心誠意を込めて、返答をする為に。
「ありがとう。ルナーには恨まれているとばかり思っていたから、驚いたな。そう思ってもらえたことは嬉しい。だが、すまない。俺は俺の人生を、ただ一人の女性に捧げた。今はもう此処に居なくとも、彼女の記憶と共に生きている。これから先も一生、俺はベアトリーチェと生きていくよ」
ルナーの瞳が大きく見開き揺れて、それから静かに伏せられた。
「……うん。そうね、分かってたわ。……あぁ、スッキリした! 聞いてくれて、ありがとう」
ルナーは笑んだ。それは魔軍に居た頃に見た、幼い少女の柔らかさの残る笑みに似て、やけに胸を締め付けた。
「サクラが女王達を連れてくるまで、少し休んでなさい。私は、風に当たってくるわ」
重ねていた手を離し、ルナーは振り向かずに部屋を出る。その直後、入れ替わりにタマが入ってきた。
「ニャー! ご主人、無事ニャ!良かったニャ! でも、ご主人。ルナーにゃいてたニャ。どうしたニャ?」
「……そうか」
胸に鈍い痛みを感じながらタマの頭をひと撫でする。
それで何かを察したのか。ルナーの側へ行くと言って踵を返し、タマは室内から出ていったのだった。
それから程なくして女王様と司祭殿が尋ねて来た。
二人ともすっかり顔色も良く、普段通りの様子に安堵する。
「今日は千客万来だな」
「そんな冗談が言えるようなら、大丈夫そうね。良かった。心配したのよ~! 本当にもう!」
「すまなかった。そっちもすっかり元通りみたいだな」
「王としての仕事が山の様にありますから。寝てるわけにもいかないわよ」
それもそうかと苦笑すると、今度は司祭殿が口を開いた。
「拙僧もだ。当面の危機が去ったことで、漸く塔の再建に取り掛かることが出来る」
「祈りの塔の再建、どれくらい掛かりそうなんです?」
「王都から人手も借りて、日中夜問わず作業を行うからな。ふた月もあれば十分だろう。それまで聖女様は王都で預かって頂くことになる」
「家、空き部屋多いから大歓迎よ!」
おいおい、城を家とか言うなよ……。
しかし聖女さんの身の安全を考えれば、此処ほど最適な場所も無いだろう。
頭を下げて世話になると告げると、女王様は一度軽く笑ってからその顔を急に引き締め、真面目な顔つきで俺を見た。釣られて俺も真顔になる。
「二度に渡る魔王の討伐を成した貴方は、英雄と言っても過言ではありません。望むなら、更なる待遇で我が城へお迎えいたします」
「止してくれ。そういうのは要らないって、三十年前にも言っただろう?」
女王様の口元に笑みが浮かぶ。
三十年前にも、俺とビーチェは同じように英雄として迎え入れる準備があると言われていた。しかし、俺もビーチェもそんな扱いは望んではいなかった。だから二人で静かに暮らせる様に、見守っていて欲しいとだけ告げたことを思い出す。
「ええ、覚えています。当時まだ幼子だった私の目の前で、先代とそんな話をしていましたものね」
二人で懐かしさに目を細める。
あの時、それぞれの隣にいた大切な人がもういないのが、少しばかり寂しいか。
「別に英雄になりたくてやったワケじゃないんだ。一度目はビーチェの為に。二度目は……そうだな、守る為にと言ったところか」
だから俺を英雄扱いしないで欲しい。
そう伝えると、女王様は分かりましたと素直に頷いてくれた。俺がこう言うであろうことは、最初から分かりきっていたのだろう。すんなりと引き下がると、女王様は俺に深々と頭を下げた。
「剣士クラトス・クレセント。貴方の偉業は歴史に残らずとも、我が王家に代々語り継がれていく事を誓いましょう。聖女様の名と、共に」
「……身に余る、光栄だ」
俺の名前は残らなくとも構わない。
けれども、ビーチェや聖女さんの名前が後世まで残ると言うのならば、それは悪くはないと思えるのだった。




