061 オジサンの覚悟は揺らがない
聖女さんのすすり泣く声が響く。
タルフの体を横たえて、俺は脱いだコートをその身に掛けた。
立ち上がり、オーガを見る。
オーガもまた静かにこちらを見据えていた。
「……死んだよ」
言葉にして、臓腑の底に重く冷たいものが圧し掛かる。
タルフがニュームーンに従った理由は、俺にある。
俺は全てを捨てて魔軍を去った。
ビーチェと共に生きる為に。
裏切者は消え去るべきだと独りで決めて。
信念という名を笠に着た裏切りの結果、タルフは俺に置いて行かれたと感じたのだろう。
いや、捨てられたとすら感じたのかもしれない。
だから俺を見返したいと思った筈だ。
更なる力を求めるその心に、ニュームーンが付け入った。
恨まれることも憎まれることも覚悟していた。
覚悟のうえで、魔軍を裏切ったのだ。
だから揺らいではいけない。
例え、どんな現実を突き付けられたとしても。
眼前のオーガが静かに構えを取る。
俺もまた、剣を構えた。
「オジサン……? 何してるの、何で戦おうとしてんの……?」
顔を涙で濡らした聖女さんが、震える声で問いかけてくる。
俺は何も答えることが出来なかった。
ただ一言、カイルの側にとそれしか言えなかった。
見る見るうちに聖女さんは顔に怒りを滲ませて、立ち上がりながら俺を睨みつける。
「馬鹿じゃないの!? タルフ、死んじゃったんだよ!? 死んじゃったんだよぉ……!」
ワッと声を上げて泣きながら、聖女さんが駆けて行く。
カイルの側へ寄ると、控えていたルナーに抱き着きわんわんと声を上げて泣いていた。傍らにはバスタード王も控えていて、何とも苦い顔付をしていた。
二体のドラゴンを見れば、タマの元気さに落ち着きを取り戻したのか。
タマに寄り添い、大人しくその場に身を丸めていた。
全てが終わった。
唯一つ、俺のぬるい覚悟のツケの清算を残して。
「殺るか、反逆者」
先程と同じ言葉を投げかけられる。
「あぁ。全力で頼む」
「無論」
オーガが身を低く沈め、正拳突きの構えを取る。
俺もまた、上段に剣を構えて息を整えた。
この状況で戦う事は俺のエゴに過ぎない。
全てを裏切った以上、俺は折れてはならない。立ち止まってはならない。
ここで引くことは許されない。
オーガにとっても迷惑な話だろう。だというのに、律儀にもオーガは付き合ってくれると言うのだ。
――ここで揺らげば、俺は俺を信じる事が二度と出来なくなるだろう。
友を討ち、弟子を失ってでも、たった一人の女を手にしたかったという原初の思い。そこに重ねた覚悟に嘘は無い事を証明しなければ、俺は誰にも顔向けが出来ない。
ビーチェにも、エクリプスにも、タルフにも。
勝負はたったの一撃で終わる。
オーガの拳が僅かに動く。それだけで周囲の空気が歪になる。
ひしひしと感じる殺気に当てられながら、俺は剣を振り下ろした――。
穿たれた拳と、振り下ろされた剣が二人の間でぶつかり合う。
耳を劈く衝突の爆音、それから荒れ狂う風が俺とオーガの間に生じる。
剣の刃をオーガは握った拳で受け止める。
刃が拳を斬る事など微塵も考えていないのだろう。
剣を圧し折らんばかりに、拳で押す力が増していく。
僅かに押されながら、俺は更に腰を落として踏ん張りを効かせる。
魔力の全てを剣に注ぎ込めば、刀身が一回り大きくなる。
だが、これだけでは足りない。
オーガの拳を斬るには。覚悟の証明にはこれでは足りない……!
ぎちぎちと音がするほどに食いしばり、体中のありったけの魔力をかき集める。
全てを剣へ。命も何もかも燃やし尽くして構わない。
もっと、もっと……もっとだッ!
「ぐッ、……おぉぉおああぁぁぁあッ!!」
「オォオォオオォッ!」
体中の血液が沸騰し、その熱の全てが魔力へと変換されていく。
剣が纏う魔力は倍化して、最早、刃の形を保っていない。
音を立てて足元の地面が崩れていく。
上がった咆哮と共に、俺は剣をぐっと押した。
「ぬぅ……ッ」
メキメキと音を立てて、剣がオーガの拳にめり込んでいく。
「ぬ、お、オォォォオォォッ!」
構うことなくオーガは拳を更に強く突き入れた。
拳が裂けようが、俺をぶち抜くという意志が拳を強化する。
だがその意志は俺も同じだ。
例えぶち抜かれたとしても、拳を斬るッ!
「――ッ!」
鼓動が一際強く跳ねる。
刹那、剣に纏わせた魔力がまるで炎の様に天高く伸びて、爆ぜた――。
オーガが全身から溢れさせていた魔力もまた同時に爆ぜ、激しい閃光が生じる。
目も開けられない激しい光の中、俺とオーガは互いを見据えたまま、微動だにしなかった。
「……反逆者、否、クレセント」
いつ以来だろうか。オーガに名を呼ばれたのは。
「道化を処せ」
「……ああ、必ず」
「魔王を名乗る小娘を処せ。禊とせよ」
閃光がおさまり元に戻る視界の中、俺はまっすぐにオーガを見据えた。
「……俺なりの方法で、必ず」
「……ぬるい」
「悪い。だが、惚れた女との約束なんでな」
くだらぬと呟いて、オーガはその身から闘気を霧散させていく。
戦いの終わりを感じ取り、俺も剣を引き抜いた。
剣は拳を割り、肩付近までを縦に裂くほどめり込んでいた。
ずるりと剣を抜けば、周囲に血が飛び散る。
しかしオーガという男は何処までも規格外だった。
筋肉を強張らせることで、強引に止血してしまったのだった。
「聖女さんに治療、頼むか?」
「いらぬ。……クレセント」
「何だ」
「王都へ向かえ。時が満ちる」
それだけ言って、オーガは俺の横を通り過ぎた。
視線で行方を追えば、倒れたタルフの真横に膝を着くのが見えた。
俺のコートを払い除け、無事な左手でタルフを抱き上げる。
オーガの行動の意味は、問うまでも無い。
「……タルフを、頼む」
故郷の大地にその身を眠らせてくれ。
言外の願いは届いたのか、オーガは一度だけ首を縦に振り、それから二度と俺を見ることは無かった。




