060 オジサンと裏切りの傷痕
ニュームーンが消えた途端、レッドドラゴンはその巨体を地に伏せた。
支配が解けたのか、静かに目を閉じそれから動かなくなってしまった。
「……ブルードラゴン、殺したのか?」
正面のオーガに尋ねる。
「否。傀儡に過ぎぬ竜など殺す価値無し」
「そうか……」
それしか言えず、俺は倒れたタルフの元へ向かう。
しかし肩をオーガに強く掴まれ、身動きが取れなくなってしまった。
何のつもりかと視線で問えば、オーガは一言「処する」とだけ告げる。
誰を。聞くまでも無い。
血の海に沈み、びくりともしないタルフをだ。
オーガの手を払い除けると、俺は静かに息を整え剣を構えた。
「殺るか、反逆者」
「……タルフは俺の弟子だ。殺すなら、俺を倒してからだ」
俺とオーガの間の空気が歪む。
殺気同士がぶつかり合い、禍々しい空気で満ちていく。
オーガを斬るなら文字通り、命を賭けなければならない。
剣と拳、どちらかが先に相手に届き、それで終わりだ。
じわりと額に滲む汗が頬を伝い、剣を握り直した瞬間。
「オジサンッ! そんなことしてる場合じゃないっしょ!?」
闘技場に響く聖女さんの怒りに満ちた声に、急激に意識が現実に引き摺り戻された。振り向けば、出入り口からこちらへ向かって駆けてくる聖女さんの姿があった。
「聖女さん……っ!」
構えを解いて聖女さんの元へ駆け寄る。
良かった、怪我一つない……!
怪我人の多さに狼狽えながらも聖女さんは闘技場の淵に立つと、祈る様に胸元で手を重ね合わせた。
「一人一人治療してたら間に合わないと思うからっ……! 全力出す!」
聖女さんの体から、淡い黄金の光がふわりと放たれていく。
聖女さんを起点にして光は広がり、闘技場全体を覆う。
傷付き倒れた者たちを包む光は、俺をも癒していた。
この光にオーガはダメージを受けているのではないだろうかと背後を見れば、憮然とした様子で仁王出している姿が目に付いた。
どうやら完全な回復魔法としての効果のみの様であり、王都で見せた攻撃性は鳴りを潜めている様子だ。
「う……ぉ、何だ……腕が、体が痛くねェ……!」
一番最初に体を起こしたのはバスタード王だった。
ドラゴンに焼かれた片腕は再生を始め、元の状態を取り戻していた。
これはバスタード王本人の回復力と相まっての、驚異的な回復と言えるだろう。
「オォ―! 流石だぜ、俺の嫁さん! 最強だぜーッ!」
ワッと声を上げて飛び跳ねながら、聖女さんにバスタード王が駆け寄ってくる。
聖女さんは意に介さず、真剣な顔で祈り続けていた。
次いでレッドドラゴンとブルードラゴンが体を動かす。
まずいな。この二体は未だに怒りが収まらないんじゃないのか……?
「ニャー。大丈夫ニャ、ご主人! ミィがちゃんとおはニャしするニャ!」
不安を読み取ったかのようなタイミングで響いた声に、俺は弾かれたように周囲を見渡した。
聖女さんの背後、薄暗い通路から白い毛を赤褐色に汚したタマが歩いてくる。
タマを見掛けた途端、俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
寄ってきたタマの顔色はすっかり元通りで、血色も良い。
足取りもしっかりしていて、聖女さんの回復魔法の効果を思い知る。
「タマ、もう動いて大丈夫なのか? 体、痛くないか?」
「大丈夫ニャ! 心配かけてごめんニャ……」
「あぁ、心配したんだぞ、本当に……!」
思わず涙がこぼれかけ、それを堪えながらわしわしとタマの頭を撫でまくる。
ニャアニャアと抗議の声が響くが、それでも気にせず俺はタマをいつも以上に撫でまわした。
タマとの付き合いも、もう十年近くになる。
気紛れな奴だが、一緒に聖女の護衛をして過ごしてきた仲間だ。
それに、俺を慕ってくれる友でもあるタマを亡くさずに済んで、本当に、良かった。
「良かったですね、クラトス様」
タマを撫でる俺の頭上にカイルの声が落ちてくる。
顔を上げれば、くすくすと微笑むカイルと目が合った。
「タマくんの無事は、全て聖女様のお陰です。聖女様の回復魔法、以前よりも精度と効力を増していますね」
「聖女さんなりに特訓していたからな。カイル、ありがとう。タマだけじゃなく、聖女さんとルナーまで守ってくれて……」
「聖女様をお守りするのは当然の行いです。……クラトス様、あれからどうなりましたか」
カイルに聞かれ、俺はカイルが離脱してからの出来事を話した。
ひどく痛ましい顔をして、カイルは闘技場に倒れるタルフに視線を向けた。
追従して視線を向け、思わず目を見開く。
タルフの頭が僅かに動いたのだ。
駆け出したのはほぼ無意識の事だった。
血の海に沈むタルフの真横でしゃがみ、タルフの後頭部に手を差し入れる。
軽く持ち上げると、タルフの瞼がゆるく開いた。
「タルフッ、おい、聞こえるか……!?」
薄っすら開いた目蓋の奥の瞳に俺が見えているのか分からない。
聖女さんの回復魔法の効果は届いている筈だ。
……だが、ニュームーンに破壊された左腕は修復されていなかった。
肉を、骨をさらけ出したままだった。
血の気を失ったタルフの唇が、僅かに震えた。
「……し、しょ、ごめん……ス」
「いいっ、喋るなっ、今、聖女さんを呼ぶ……!」
「おれ、師匠、に……置いてかれて……、だ、から……強く、……なって」
あぁ、そうだ。
魔王を討ったから、俺は魔軍の全てを置いて出て行ったんだ。
地位も、友も、弟子も、全てを。
「認めて、欲しかった……のに、おれ、いつの間にか……」
駆け寄ってきた聖女さんが、ヒッと引き攣る様な悲鳴を上げた。
これ程の惨状を見るのは初めてなのだろう。
しかし見るなとも言えずに黙っていると、聖女さんは青ざめた顔でしゃがみ込み、両手をタルフの胸元に添えた。
淡い光がタルフを包み込む。
……だが、遅かった。
「タマ、……ごめ、ん……オーガ、さま、も……」
「分かった。分かったよ……。すまない、タルフ。すまなかった……ッ」
へらりとタルフが笑んで、瞼が落ちる。
支えた頭の重たさに、圧し潰されてしまいたかった。




