059 オジサンの怒り
まるで地面に縫い付けられたように重たく、体が動かない……!
指先一本動かすだけでも難儀して、俺はたまらず舌打ちを溢していた。
「アーア、情けないデスネェ。地面に這いつくばっちゃっテ。元幹部の名が泣きマスネェ~」
「ガァッ!」
顔面が更に地面にめり込む。
肺を圧迫され鼻と口が地面に埋まり、途端に呼吸が苦しくなる……!
「サアッ! タルフさァん! 魔王様の魂の欠片をコチラニ!」
「だ……駄目っス! 俺っ、まだ師匠も、オーガ様も倒せてねェっス!」
「アァ! それは永久に無理デスカラネ! 諦めてクダサイ!」
「……は? いや、だって……これ使えば、勝てるってニュームーン様が言ったっスよね!? だから俺っ、二人を騙してでもこれを手に入れたっスよ……!?」
「イヤイヤッ! だって考えてみてクダサイヨォ! 下位種のアナタがどれほどの力を手にした所デ、ワタシと同レベルの魔物相手に敵うワケ無いでショウ?」
ニュームーンの嘲る言い草に、タルフが言葉を詰まらせる。
好き勝手言いやがって……ッ!
圧し掛かる重さに抗い頭を上げると、にやりと笑うニュームーンと目が合った。
「デモ、今なら簡単にクレセントさァんを殺せそうデスヨォ~? ヤっちゃいマス?」
「えっ……」
小さく声を漏らしたタルフが振り向く。
地面に張り付けられたままの俺と、青白い顔をしたタルフと目が合い、息を飲んだ。
「サァサァサァ! 今なら一突きで死んじゃいマスヨォ!! 殺したかったノデショウ!? アナタの師であり、目障りなクレセントヲ!!」
狂乱の笑みを浮かべたニュームーンがタルフに迫る。
「好き放題……言いやがって……ッ!」
早く起きなければと思うものの、地面と体が引きあう力は凄まじく、無理して体を起こせば骨が圧し折れそうになるほどだ。
どうにか両手を地面に付けて、腕を立てる。
どうにか上半身が持ち上がるが、ここから先が重たすぎる――!
「流石クレセントさァん。ワタシの術の中でそれだけ動けるナンテ。コレは早くしないと、起き上がっちゃいマスネェ」
「ク、ソ……ッ、タルフっ……そんな奴の言う事、聞くなッ……!」
「あ……俺、俺は……っ」
片手に短剣を手にしたまま、タルフは俺とニュームーンの顔を交互に見た。
「タルフ……ッ」
切羽詰まったタルフの様子に、つい声を上げてしまう。
何も刺されることを恐れての事ではない。
これ以上、あの野郎に利用されて欲しくない……その一心からだった。
しかし、これがタルフを追い詰めてしまった……。
タルフは剣を握ると、体を大きく震わせてニュームーンへ向き直った。
そして手にした剣を、ニュームーンへ振りかぶり――。
「あぁぁあぁぁああッ!!」
「アーア。だから言ったジャありまセンカァ。――敵うワケ無いデショウ?」
ひしゃげていく。
短剣を持つタルフの腕が、まるで見えない壁に圧し潰される様に。
「アァぁあッ、うぁぁあぁあっ!!」
「タルフッ!!」
どぼどぼとタルフの腕から大量の血が流れていく。
ひしゃげた腕は肉が捩じれて裂けて、白いものが覗いている。
ふらふらとしながらタルフが後退り、俺に躓く。
そのまま後ろに倒れるタルフの血が俺の頬に掛かり、何かが途切れる音がした。
「寝てる場合ジャありまセンヨォ~。次は足デスヨォ」
伸ばされたニュームーンの左腕が、ぼとりと落ちた。
「アレェ?」
立ち上がってから斬るまで、瞬きの間だった。
怒り、悲しみ、後悔。
様々な負の感情が胸の中で渦を巻き、体を突き動かしていた。
「ワァ! 流石クレセントさァん! 今の切れ味なら、魔王様の首も落ちッ」
喋らせてやるほど優しくはない。
血が滲むほどきつく握り込んだ拳が、ニュームーンの顔面にめり込んだ。
メキメキと骨が軋む音を立てさせながら、拳を振り抜く。
ニュームーンの体が宙に浮き、吹っ飛んだ。
闘技場の床をバウンドして転がっていくニュームーンを無感情に見据える。
あぁ、エクリプスを討つ前に、コイツを殺しておくべきだった――!
「殺す」
「お……恐ろしイィ……っ! でもォ……、終わりデスヨ、クレセントさァん……!」
ニュームーンが、斬り落としたはずの左腕を掲げた。
その手に握られた銀色のチェーンを見て愕然とする。
タルフがバスタード王から奪った、三つの魔王の魂の欠片……!
一気に間合いを詰めて斬りつける!
剣先がニュームーンの鼻先を掠める刹那、俺は殺気を感じて後ろに飛び退いた。
上空から急降下してきたレッドドラゴンの鋭く尖った巨大な爪が、俺の額を切り裂く。コイツ……ッ、ドラゴンも操っているのか!!
よく見ればレッドドラゴンは至る所から血を流し、体中に傷を幾つも付けていた。
巨大な翼はところどころに穴が開き、圧し折れた爪と牙が痛々しい。
オーガに相当痛めつけられたのだろう。
荒い息遣いと受けたダメージからもう動くことも辛い筈なのに、ニュームーンに操られ、その体を無理に動かしている……。
ニュームーンの背後でドォンと大きな衝突音が響き、土煙が大きく上がった。
オーガによってブルードラゴンが落とされたのだと、本能的に理解した。
「惜しィ~! マ、こんなの避けられると思ってマシタケド。それデハ、またお会い致しまショウ!」
「ふざけるな。逃げられるとでも思ってるのか?」
「思ってマスヨォ~。だってクレセントさァん、無意識では期待してるデショウ?」
「期待だと」
「えぇ、望んでいるのでショウ? ――魔王様の復活ヲ」
何を言ってるんだ、コイツは。
魔王の復活って、魔王はフルムーンなんだろう?
……いや、待て。
今まで何のけなしに復活と言ってきたが、良く考えればおかしくないか。
フルムーンが新たな魔王になるなら、それは再誕とでも言うべきだ。
なのに復活だと言っている。
……まさか。
「フッフッフ……。答え合わせは王都で行いまショウ! アッ、タルフさァんにお礼言っといてクダサイ! アナタのお陰で封じられていた欠片の在処が分かった、とネ! これで全部揃いマスッ! アッハハハハハハハッ!!」
「ッ!!」
剣でニュームーンの首を斬り落とすと同時に、ニュームーンの頭が吹き飛んだ。
ニュームーンの背後に現れた、オーガの握った拳が振り抜かれたのだった。
頭を失っても、尚もニュームーンの笑い声は消えない。
残された胴体も霞の様に消えてしまい、後には何も残らなかった。
何も。




