006 オジサンと女王陛下
「君が職務熱心な男であることは、女王陛下も存じている。もちろん僕もだ。今回の件も、この国を守るという強い意志があってのことだろう?」
大神官と呼ばれた女は客間に足を踏み入れると、隊長殿の側へ寄った。
大神官とは、王国における最高位の魔法使いのことを指す。王国の守護神、人類最強とまで言われる程の実力を持つ存在だ。国の戦力その全てを束ねているとも聞く。
柔らかな物腰に、整った顔立ち。
目の前の女は絵に描いたような理想の女性神官にしか見えない。それに大神官という国の最重要役職に就いているにしては、随分若いな。
「実際、僕は若造ですから」
「ン!?」
俺の顔を見て大神官が微笑む。
なんだ!? 今、心を読まれたのか……!?
動揺する俺をそのままに、大神官は隊長殿の肩を力強く叩いた。
「さぁ、兵隊長。君の誠意は十分に伝わっている。これ以上、御客人を困らせてはならないよ」
「はっ、ハイッ!!」
勢いよく立ち上がった隊長殿は、大神官に敬礼をするともう一度、聖女さんと俺に頭を下げてその場を後にした。最後まで慌ただしい男だったが、決して悪い男ではないのだろう。
ようやく場が落ち着きを取り戻し、空気が静まり返る。
「大変失礼いたしました。彼は真面目な男なんです」
「良く分かるよ。あぁ、失礼。良く分かります」
「結構ですよ。僕相手に取り繕う必要はありません」
「そうか。ならこのままで」
俺の返答に大神官がふっと余裕の笑みを浮かべる。
なんというか……やり辛い相手かもしれない。
「自己紹介が遅れました。僕はカイル・マティアス。この国の大神官を務めています」
「俺はクラトス・クレセント。祈りの塔の聖女護衛部隊隊長だ。で、そっちの娘さんが……」
「あっ、あたしっ、私っ、小鳥遊桜ですっ! 桜が名前! 他所の世界から来ました!」
どうした聖女さん。随分テンション高くない?
同性から見ても綺麗なお嬢さんっていうのは、良いもんなんだろうかねぇ。
「お二人の事は既に存じています。聖女様、よくぞ御無事で。危機に瀕していたというのにお迎えに上がれず、申し訳ございませんでした」
「いやそんなの気にしないで大丈夫ですっ! オジサンが助けてくれたし!」
「護衛隊長殿も、よくぞ聖女様をお守りくださいました」
「まぁ、それが仕事なんでね。そうだ、塔がどうなったかは伝わってきているのか? 残っていた司祭殿達が気掛かりだ」
「それに関しては、女王陛下から直々にお話があります。どうぞ僕について来て下さい」
大神官に促され、俺と聖女さんは後を追った。
立派な赤いカーペットの敷かれた、城の長い廊下を歩いていく。壁には歴代の王なのだろう。立派な肖像画が何枚も並べられていた。
「ねねっ、大神官サマってめっちゃ美人じゃない!? びっくりしちゃった~!」
隣を歩く聖女さんが小声で囁いてくる。
いや、それを俺に言ってどうするの?
「いや、まぁ、良かったねぇ」
「うん! やっぱり美人って良いよね。キラキラしてて推せる。あ、でもオジサンも推せるよ? すっごい面白い人だし」
「俺、面白枠なの……!?」
聖女さんが笑顔で頷いて親指を立ててくる。
この際だ。嫌われてるよりは良いとしておこう。
「こちらです」
そうこうしている間に、立派な両開きの扉の前で大神官の足が止まった。
豪華な装飾の施された扉は、異様なプレッシャーを放っている。この奥が玉座の間であり、この国の女王陛下が居るのだと思えば圧を感じるも当然の事だろう。
思わず見入る様に扉を見上げていると、扉の取っ手に手を掛けた大神官がこっちを向いた。その顔はどこか悪戯気に笑っているようにも見えた。
「プレッシャーなど感じる必要、貴方には無いのではありませんか?」
「……まぁね。なぁ、アンタ。さっきから随分と分かったような事を言うが、まさか心が読めるとか?」
「いえいえ。僕にそんな力はありませんよ。少し勘が良いだけです」
噓か誠か。いまいち掴み切れない様子に、成程と納得を覚えてしまう。この若さで大神官を名乗るだけの胆力は確かに備わっている様だ。
ごぅ、と重たい音を立てて扉が開かれる。いつの間にか口数の少なくなった聖女さんと並んで、玉座の間に踏み入れた。
「よくぞ参りました。歓迎しましょう」
扉が閉まると同時に、重圧感のある声が響き渡る。
真っすぐに引かれたカーペットの先に玉座が見えた。そこに腰を掛けた純白の法衣を身に纏った女性を目にした途端、俺は跪いていた。
「有難きお言葉、身に余る光栄です」
急に俺の雰囲気が変わったことに驚いたのか、聖女さんが目に見えて慌てだす。明らかに困った顔をした聖女さんは、俺の真似をしてその場に腰を下ろした。
女王陛下が腰を上げたのが空気の揺らぎで伝わってくる。その足が一歩踏み出されるたびに、厳かな空気に貫かれるような錯覚を覚えた。
静かな。けれども力強い足取りで、女王陛下は俺達の前に立った。
「面を上げなさい」
「はっ」
「はっ、はい!」
顔を上げれば間近に女王陛下の姿があった。
目が覚めるほどの純白。たっぷりとしたシルエットのローブは、縁に施された金の刺繍が目を引いた。首から下げた銀の十字架が胸元で揺れている。
少し釣り気味の目に、捕食者を思わせる強い黄金色の瞳。シミひとつない白磁の肌に、吊り上がった眉が王の凛々しさを物語る。一纏めにされた金糸の髪が、王冠の煌めきに負けない光を放っていた。
いやはや、相変わらず見た目の圧が強い女王様だ。
「ふふふふふっ……」
「はははははっ……」
女王様と俺。お互いに顔を見合わせ、つい笑ってしまう。
直前までの厳かな空気はすっかり消え失せて、変わりに奇妙な空気に満ちていく。先に空気の変化に耐え切れなくなったのは女王様の方だった。
「もーっ! クラちゃんったら畏まっちゃってやぁねぇ!」
女王様の凛々しい表情が一変して、なんとも締まりのないへらりとした笑みになる。よく見かける商店のおばちゃんみたいに、顔の近くに挙げた手をぶんっと一振りした。
つられてこちらの顔からも締りも失われてしまう。いやー、慣れない真面目な顔をし続けると疲れるしね。
俺はよいしょと立ち上がり、女王様に向き合った。
「そりゃあ、女王陛下への謁見なんだ。聖女さんの手前、しっかりしないとならんでしょう」
「あらっ、一応護衛兵としての自覚があるのね! びっくり!」
「これでももう十年目でね。そりゃ責任感持って務めてますよ」
「まぁ、あのクラちゃんがこんなに立派になっちゃって……」
ほろりと涙を流すふりをする女王様に苦笑してしまう。
いやいや、そんな成長を見守られた覚えはないんだが?
「え、えと……? え?」
目をぱちくりとさせて戸惑う聖女さんは、まだ座ったままだった。
手を差し出すと、素直に取って立ち上がる。
女王様と俺の顔を交互に見る聖女さんに、悪い大人の俺達はにやりと笑った。
「こちら女王陛下。古くからの知り合いでね」
「よろしくねっ、可愛らしい今代の聖女様!」
女王陛下の威厳なんてどこへやら。
キャッキャと喜ぶ女王様を前にして、聖女さんはただただ目を丸くするばかりだった。