035 オジサンと元気な弟子
「ルナー様ぁ! お迎えに来ましたっスっ!」
「声でかっ! うっさ!」
男の声はとにかくデカかった。
あまりのボリュームに聖女さんは不快感に顔をしかめ、両手で耳を覆い隠してしまっていた。
「ルナー様ぁっ!」
「うるさい。そんな大声出さなくても聞こえてるわ」
「はいっ!!」
無視することも出来ないほどの声量に、ルナーも嫌々と言った様子で反応を示す。
コイツ、視野が狭すぎて俺達のことが見えてないな?
真正面にいるにもかかわらず、俺と聖女さんに完全に気が付いてないとは……。
「相変わらず声がでかいな、タルフ」
「声の大きさが取柄っスから! ってオレの名前を呼ぶのは誰っス~!? って、師匠!?」
一人で会話を完結させながら、タルフと呼んだ男がようやく俺を見た。
前代魔王がまだ健在だった頃。勝手に俺に弟子入りしてきた時と何ら変わりがない様子に、少しだけ安堵してしまった。
「師匠ーッ! 生きてたんスね! 生きてたんなら連絡欲しかったっスよ~!」
水臭いじゃないかと泣き笑うタルフに違和感を覚える。
コイツ、もしかて三十年前のことを知らない……?
ちらりとルナーに視線を向けると、ルナーも呆れた様子で肩を竦めて見せた。
「いきなり魔王様が消えてしまうし、師匠も消えてしまったし。気が付けば三十年っスよ、三十年! で、今はオーガ様の指示でルナー様の護衛してるっス!」
「オーガの指示?」
「そっス! オーガ様は俺の第二の師匠っス。あんなに強ェ御方、後にも先にもいないっスよ! あっ、もちろん師匠もお強いっス! あれっ、てことは、後にも先にもいない強ェ御方がお二人……? どっちが後で先なんスかね!?」
「……久々に会ったお前が変わらない様子で、俺は嬉しいよ」
タルフという男は出会った時からこうなのである。
とにかく一人で賑やかで人懐っこい。基本的に攻撃的な性格の多い魔物の中では、珍しいと言える性格をしていた。
まだ俺が魔軍に所属していた頃。突然現れて弟子にしてくれ言ってきたのがタルフだ。最初の内は断っていたのだが、これがとんでもなくしつこい。昼夜問わずに押し掛けられ、折れる形で許可を出した経緯がある。
意外と剣の腕は悪くはなく、飲み込みも早かったからつい俺も楽しくなって色々と教えたものだ。
「いやぁ! 師匠こそ変わりなくて嬉しいっス! そんじゃルナー様と師匠、帰るっスよ!」
「嫌よ。帰らないわ」
「そっスよね! 帰らない……えー!? どうしてっスか!?」
タルフが引っくり返りそうになりながら、全身で驚きを露わにする。
コイツ、ルナーが置かれている状況すら分かってないな!?
「嫌だから。でも、クレセントを倒せたら、帰っても良いわ」
「分かったっス! 師匠、勝負っス!」
巻き込まれた……何となく、こうなるとは思っていたけれども!
ルナーさん? と、ルナーを見れば、腕を組んでふんと鼻を鳴らし、そっぽを向かれてしまった。仕方がない。ルナーとしても、本当に俺にこのまま付いていって良いのか悩む部分があるのだろう。
試されている。そう思うしかない。
「聖女さん、ルナーの後ろまで走ってくれ。巻き込んですまん」
「良いけど、後で説明してよねーっ!」
聖女さんが全速力で駆けて行くのを確認して、俺は、タルフに向き合った。
「師匠っ! 今日こそ負けないっス!」
この状況でも元気に笑うタルフの声に重なって、カチャンッと金属が擦れ合う音が響く。
タルフの両手にはそれぞれ短剣が握られている。そう、タルフは二本の剣を同時に扱う双剣士だ。一撃の重さは左程ではないとはいえ、素早い動きから繰り出される連続攻撃は中々に手強い。
俺の記憶の中に在るタルフは、まだまだ拙い剣士だった。
あれからどれだけ強くなったのか。少しばかり興味をそそられ、俺も剣を抜いた。
「かかって来い。久々に稽古、つけてやるよ」
「あざっス! いくっスー!」
言い終わる前に、タルフは短剣を逆手に握った右腕を振り上げた。
一歩後ろに下がり、顔面すれすれを走る刃の先端を交わす。
間髪入れずに今度は左手が真横に振り抜かれ、俺の脇腹に刃を突き刺そうとしてくる。これを刃先を下に立てた剣の側面で受けて弾く。
剣と剣がぶつかり合う、キンと甲高い音が響いた。
短剣が弾かれた反動を利用するように、タルフが片足を軸にして勢いよく体を回転させる。回転の勢いを乗せた右足が、ブンッと空気を割く音を立てて顔面に迫る!
咄嗟に上げた左腕で蹴りを防ぐと、タルフはひどく驚いた顔をしていた。
「なんでっスか! この蹴り、見せるの初めてっスよね!?」
「そりゃあ、その体勢から出るのなんて、回転斬りか回し蹴りくらいだからな」
「流石師匠っス! そんじゃ、これはどうっスか!」
痺れた腕を一度軽く振る間に、体勢を整えたタルフが剣を握った右拳を顔面へ向け突き出してきた。
後ろ足に体重を乗せ、一歩踏み込み強く拳を打つ。
勢いとリーチのあるパンチに思わず一歩後退る。
すると、距離が開くことを許さないとばかりに、タルフは前へ前へと詰めてきた。
幾度か拳が繰り出されると、突然、タルフの左側から圧を感じる。
タルフのぐっと後ろに下がっていた左胸が、爆ぜるように勢いよく前へ出る。その勢いに乗るようにして、短剣を固く握り込んだ左拳が振り抜かれた!
魔力を纏わせることで強化された拳の速度は尋常ではなく、瞬きの間に顔の側面に迫る。
直撃すればダメージは免れない。
俺は、左手に剣を持ち替えながら身を瞬時に屈める。
「ぬあっ! 避けられたっス!?」
肉を打つ音ではなく、ヒュンっと拳が風を裂く音にタルフが驚きの声を上げた。
右の拳をギチギチと骨が軋むほど強く握り締める。
地を踏みしめ、前に出した足に全体重を乗せながら握った拳を突き上げた!
拳はタルフの顎を下から打ち抜き、ゴッと鈍い音を立てる。
「ご、ぉ……っ」
声にならない呻きを上げて、タルフが一歩二歩と後退る。
思ったよりも良い感じに拳が入ってしまった……。
つい、本気で殴ってしまった……顎の骨、砕けてないかな……。
「お、お……うぉぉおー!! さすが師匠っス! めっっちゃ強ェー!!」
俺の心配を他所に、タルフは両腕を突き上げて歓声を上げた。
どうやら骨は砕けていないようで安心したが、コイツ、頑丈すぎやしないか……?
「いやー! オーガ様に体術も鍛えろって言われて鍛えて、折角だから剣と混ぜてみたんスけど、どうっスか!?」
にこにこと笑って、タルフは短剣を鞘に納めてしまった。
これはもう、戦い始めた理由も忘れてるな……。
単純な奴だがそこがタルフの良いところでもある。
俺もまた剣を鞘に納め、ふっとため息を一つ吐き出した。
「どっちも半端すぎる。発想は悪くないが、剣も拳も鍛えがまるで足りてない」
「だはーっ! オレもそう思ってたんスよねぇ。うっし! 帰って早速修業するっス!」
お前、ルナーのことすら放って帰るのか……!?
こちらとしては都合がいいのだが、流石にこのまま帰ってはオーガに殺されやしないか心配になってしまう。まぁ、オーガもコイツがこういう奴だと分かって使い走りにしてるのだとは思うが。
「はっ! でもルナー様を連れ帰れって言われてたっス! でも、師匠に勝てなかった……あぁ~! オレはどうすれば良いんスか~!?」
唐突に思い出したかのようにして、タルフは頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
もうこのまま置いて行ってもいいんじゃないかな?
聖女さん達に視線を向ければ、同じことを考えていたのか、聖女さんもルナーもタマも首を縦に振っていた。
という訳で、俺達は一人喚き続けるタルフを置いて、先へ進むのだった。
「はっ! そっか! オレが師匠に勝つまで挑み続ければ問題ないっスね! よーしっ、師匠! もっかい勝負っス! ……て、あれ? 師匠? あ~~!! 待てっスよ~っ!!」