034 オジサンと乱入者
「ただいまニャ~」
まるで見計らったかのようなタイミングで、タマが外から戻ってきた。
ブルードラゴンの様子はどうだったかと聞くと、タマは尻尾を激しく振りだした。
「すぐ元気にニャッたニャ! ご主人に感謝してたニャ~」
「感謝? 頭を蹴ったのにか?」
随分奇妙なことだと首を傾げると、タマが握っていた手をこちらに差し出してきた。
一体なんだと、俺と聖女さんがタマの手を上から覗く。
ゆっくり開かれていく毛玉の手。
肉球に包まれるようにして握られていたものに、俺達は声にならない悲鳴を上げた。
「ノドに刺さってたの取れたって、喜んでたニャ」
タマが握っていた、ドラゴンの喉に刺さっていたという代物。
小指の爪程度の大きさの、深紅のガラス片……。
禍々しい気を放つこれは、女王様が首からぶら下げていたものと同等の、つまり魔王の魂の欠片――!
「あぁ。ドラゴンから回収してくれたのね。ありがとう」
驚きに固まっている俺達の横から、ルナーがひょいと手を出し欠片を摘まみ上げた。細く長い指先でくるくると欠片を回しながら、まじまじと欠片を眺め出す。
「私、これを取りにここへ来たの。はい」
欠片が俺の目の前に突き出される。
え、まさか俺に持っていろと言うのか……?
無言のまま突き出し続けるルナー。受け取るまで引っ込む気は無さそうなので、俺は恐る恐る手を出した。
手の平の上で欠片が転がる。
まるで重さを感じさせない欠片は、少しでも息を吹きかければ簡単に吹き飛んでしまいそうだった。
「お前が持っていた方が良いと思う。私、今は全然、戦えないから……」
「戦えないのに、欠片を取りに来たのか……?」
「うん。いずれあの女の手に渡るくらいなら、海の底にでも捨ててやろうかと思って」
その為に、残っている搾りかすの様な力を使いここまで来たのだと、ルナーは自虐的に笑った。
聞けば、ルナーには魔王の魂の欠片の気配が僅かながらに感じ取れるらしい。
複数感じる力の中でも、一番近いこの場所を選んで来た……とのことだ。
魔王復活最大の鍵である魂の欠片を手にして、複雑な思いが湧く。
「……それはただの欠片よ。兄様では無いわ」
まるで俺の胸中を見透かしたようなルナーの言葉に苦笑する。
この血濡れた深紅の欠片に呪われるのではないか。
そんな馬鹿げた幻想を一瞬でも抱いたことが恥ずかしい。
受け取った欠片をグッと握り締め、コートの内ポケットにしまい込む。
後で女王様みたいに、首からぶら下げられるように加工しよう。
「分かった。コイツは俺が預かる。が、必要があればしかるべき相手、場所へ預ける。いいな?」
「いいわ。あの女に利用されるくらいなら、人間の手に渡った方がマシよ」
ルナーが力強く頷いた。
奇しくもこれで、魔王復活に必要な鍵が手元に一通りそろってしまったことになる。
この状況を魔物側も決して見逃しはしないだろう。
……なんて、より厳しくなる状況を想像しているのは俺だけの様で、聖女さんとルナーはタマを抱きかかえて、肉球を押したりして遊びだしたのだから頭が痛い。
「肉球ぷにぷに~! やっぱ巨ネコじゃーん!」
「柔らかい……ふふ、えいえい」
「ニャー、肉球恥ずかしいニャー。でも、かわいい子に揉まれるニャら嬉しいニャー!」
だか、肉球の気持ちよさは良く分かる。
あの弾力、クセになるよな……!
翌朝。俺達は村を出ると、早速神殿へ向かって歩き出した。
旅に加わったルナーは、聖女さんが王都から持参した着替えの服に身を包んでいる。
ふわりとしたボリュームのある袖口に、肩の出るデザインの真っ白なトップス。胸元から腰までを覆う黒のコルセットが、ルナーの線の細さを強調する。
コルセットと同色の丈の短いスカートから、折れそうなほどに細い脚が覗く。真っ黒なタイツに覆われて、足のラインがハッキリと出ていた。
女の子なんだから、服を沢山持ってかないとねっ! と、旅行かなにかと勘違いしたノリで衣服を用意してくれた女王様に感謝しなければならない。
今度、土産のマンジュウでも持っていこう。(尚、旅の荷物一式は、何でも入る魔法のリュックをカイルから借りて収納している。使ってないから良いですよ~とあっさりと貸してくれたが、多分、とんでもない魔法アイテムだと思う)
「ねぇ、神殿まで後どれくらいかかるの?」
「この川を辿って行けば、そうだな……三日くらいで着くんじゃないか?」
「えー! おかしい! 司祭って人たちは、祈りの塔からすぐ神殿に避難したんでしょ?」
「司祭殿達は転移魔法が使えるんだよ。大方、塔の状況を最後まで見てから、全員で飛んで逃げたのだろうさ」
非常に便利な転移魔法だが、これもまたある程度の修練を必要とする術だ。
確か、一度行った場所であれば飛べるとかなんとか。
転移魔法の使えない俺に、昔、司祭殿が説明してくれた事を思い出す。
「なので、俺達は歩くしかないのであった」
「はー……、転移は無理でも早く浮遊魔法覚えよ」
このままだと足が浮腫むとぶつぶつ言いながら、聖女さんが前を歩く。
タマはふらふらと水辺に寄り魚影に向かって飛び込もうとするので、その度にルナーに首根っこを掴まれていた。
実に平和な旅の光景である。このまま何事もなく神殿に辿り着けるのなら、言うことはない。
が。そう上手くいくわけがないことも分かっていたさ……。
先を行く聖女さんが足を止めて、何やら遠くを見る仕草をしている。
どうしたのかと小走りで近寄り、聖女さんの真横に並んで前方を見やる。
目視できる距離ではあるが、そこそこ遠くで土煙が上がっている。
耳をすませば何やら地面を激しく叩くような音もする。
「何あれ……? てか、近付いて来てない?」
「ああ、確かに迫って来てるな」
土煙の中に黒い影が浮かび上がる。
走るのが得意な四足型の魔物コボルドやケルベロスの群れかと思ったが、違うらしい。上下に動きながら土煙を伴い近付く影は、あっという間に人の形だと認識できるほどに迫ってきた。
「ルナー様ぁーーっ!!」
大声でルナーの声を叫びながら駆け寄る人影に、俺は思わずあっと声を上げていた。
面倒な奴が来た。逃げよう。
そう思ったのも束の間に、奴はもう俺達の目の前に迫っていた。
鍛えられてはいるものの、細身の体に逆立った燃えるような赤い髪。
太い眉を吊り上げ、黒々とした大きな目を輝かせる男が土煙と共に現れた。