032 オジサンと聖女さんは話し合う
「ごめん。なんか、上手く出来ない……」
倒れたルナーを抱きかかえ、宿へ戻ってきて早々。聖女さんが回復魔法を試みる。
だが、どれほど試しても回復魔法は一向に発動する気配がなかった。
「いいさ。気にすることじゃない」
「うん、でも、ごめん」
気まずそうな顔をして、聖女さんは部屋の隅へと腰を下ろした。
本当に気にして欲しくないのだが、部屋に満ちた落ち込んだ空気が嫌でも気を落とさせる。
ルナーはベッドの上に横たわり、目を閉じたまま浅い呼吸を繰り返している。
余程消耗しているのか、目を覚ます気配は今のところ無さそうだ。
タマはブルードラゴンが目覚めたときに話をしてみると言って、洞窟に残ったままだった。ドラゴンという生物は強く逞しい。俺の踵落とし程度なら、すぐにでも目覚めるだろう。
賑やかなタマも不在、聖女さんも気落ちして口を開かない。
室内はしんとした静寂に包まれていた。
「……聖女ってさぁ」
しばらくして、いつもよりもずっと静かな。それでいて、どこか不機嫌さを感じさせる聖女さんの声が聞こえた。
振り向いてみると、部屋の聖女さんは両手で膝を抱えて丸くなっていた。
顔は伏せられていて、その表情は読み取れない。
「命、狙われるもんなの?」
「……いや、本来であればこんな危険に巻き込まれることはないんだ」
「なら、どーしてその子は私のこと、こ……殺す、何て言うのさ」
「それは……すまん。ルナーに直接聞かないと、俺にも分からん」
言葉の端々に恐怖を滲ませる聖女さんに胸が痛む。
本来、聖女とは祈りの塔で平穏な日々を過ごすことが約束されている存在だ。異世界からの来訪者であり、この星に祈りを捧げてくれる大事な御方。
だからこそ、その身の安全を守ることは当たり前に行われてきたことだった。
しかし今の状況を見れば、そんな言葉も空しくなるばかりだ。
聖女さんが怒りを覚えるのも当然だろう。
「オジサン、何にも知らないんだ。……その子と同じ、……」
言葉の語尾は、最後まで声にならずに消えていった。
聖女さんが何を言おうとしたのかを尋ねるなんて、野暮な真似はしない。
ルナーという存在が現れた以上、もう黙っているつもりはない。
言おうとしたことを察し、こちらから語るべきが筋だろう。
「そう、ルナーと同じ魔物だよ」
言葉の端に、少しだけ観念したようなニュアンスが混じる。
自分の正体を、出来れば聖女さんには告げたくはなかったのかもしれない。
聖女さんは顔を埋めたまま微動だにしない。
続きを話せという、無言の催促と受け取った。
「母が魔物、父が人間でね。だから半分魔物、半分人間の半端者なんだ。そして、まぁ、もう察しているかもしれないが、このルナーの兄である魔王を討ったのは、俺だ」
色々あってねと付け足すと、聖女さんはようやく顔を上げ始めた。
ゆっくりとした動作で持ち上げられた顔がこちらを向く。
黒曜石の丸い瞳が、まるで半分の月の様にジトッと鋭く俺を睨みつける。
隠していたつもりは無いが、こんな素性を今日まで言わずにいたのだ。
怒りや不信感を抱かれても、当然だろう……。
「何歳?」
「へ?」
「だから、オジサン、いま何歳なの? おっかしいじゃん! 女王様が言ってたけど、魔王倒したってのは三十年前なんでしょ? じゃあもうオジサン、もっとオジサンじゃなきゃおかしいじゃん!」
えっ!? 気になるのそこなの!?
予想外の問いに、一瞬自分が幾つだったか分からなくなる。いや、実際幾つだったかな……? あんまり細かく数えたことないな……。
「えぇと……ビーチェと結婚した時が八十過ぎたくらいだったから……」
「百超えてんじゃん! オジサンじゃなくてジーサンッ!!」
「止めて! さすがにジーサン呼びは傷付く! というか、魔物は基本的に長生きだから百超えとかざらに居るからね!?」
寸でのところで口に出すのは止したが、見た目的には聖女さんと変わりのないルナーも百年近くは生きている。ついでに言えば、女王様も人間でありながら魔法で寿命と見た目を誤魔化して生きているのだ。
この世界、普通に年齢と見た目が嚙み合わないンだよ……。
「労わった方が良い?」
「結構です。……あのさ、自分で言ってなんだけど、他の要素に言及はしないのかい……?」
「いや、だってオジサンって魔物だろうな~って思ってたし。あの子のお兄さんが魔王で、魔王倒したのもおじさんだっての、流石にその子との会話で分かるし」
驚く要素がないよとばかりに肩を竦められて、思わず膝から崩れ落ちそうになる。
逆に、ちょっと覚悟固めていたこっちが恥ずかしくなるじゃないか……!
しかし、こうもあっさりと素性を受け入れてもらえることには驚きを隠せない。
戸惑いが顔に出ていたのか。聖女さんが俺の顔を見て吹き出す様に笑った。
「もーっ、オジサンって本当に面白いよね! はぁぁ……別にオジサンが魔物だからどうってことはないよ。言ったじゃん、信じるって。たださ」
「ルナーか?」
「うん。その子さ、オジサンとどういう関係だったの?」
「どうって……。それなりに仲良くしてたよ。良く俺に懐いてくれてね。魔王の妹だが、俺にとっても妹みたいな存在だった」
言って、遠い日の思い出が蘇る。
ルナーは遠征から戻った俺を、いつも笑顔で迎えてくれていた。
土産にちょっとしたアクセサリーを渡したときは、ひどく喜んでいたっけな。
確かあの時渡したのは、ルナーの髪と同じ色のペンダントだったか。
「なるほどね。大体分かったかも」
何がと聞き返す前に、聖女さんが動き出す。
立ち上がってどこへ行くのかと思えば、横たわるルナーの真横に座り込んだ。
おもむろにルナーの胸元へ手をかざし、再び回復魔法を使うべく聖女さんは目を閉じた。戸惑うばかりで二の句が継げない俺に、聖女さんは顔を見ずにやっぱり少し怒った様子で口を開く。
「オジサンはこの子のお兄さんを殺した。そしてこの子は、お兄さんを殺したオジサンをきっと恨んでいる。だけど言ってたよね。聖女を殺したら話だけは聞いてあげるって。だからさ、この子、オジサンと話しをする気はあるんだよ」
言われてハッとする。
聖女を殺すという言葉にばかり気を取られていたが、確かにルナーには対話をする意思があった……。
裏切者である俺はルナーに恨まれている。
そんな一方的な思い込みのせいで、視野が狭くなっていたことを自覚する。
「条件付きとはいえ、恨んでるはずの相手と話しするって相当なことだと思う。だから、この子から話、聞かないとね」
もちろん、殺される気なんてない! とハッキリ告げながら、聖女さんはその手に淡い光を宿していた。
やわく温かな光が、ルナーの体を包み込むのだった。