002 オジサンと聖女さん(2)
広いとは言えないが、それなりにしっかりした造りの丸太小屋。
それが俺の家である。
久しく帰っていなかったが、一時凌ぎするだけの備蓄食料はある。
台所に立ち陶器のマグカップに粉末状のチャを一匙。そこに湯を注ぎ、即席のチャを用意する。
椅子に座らせた聖女さんに差し出すと、少しばかり戸惑いながらも受け取ってくれた。
「これ、粉末茶?」
「おっ、知ってるのか。最近この世界で広まっててね。便利だよな」
粉末の入っていた袋を手に取り見せると、目を細めて不思議そうに袋とマグカップの中身を見比べた。それから恐る恐ると口を付け、ひどく驚いたような顔をした。
「マジでお茶じゃん。ちゃんと味も感じるし、温かさも感じる……夢じゃない……」
「そう、紛れもない現実ってやつさ」
今度はインスタントコーヒーの粉を俺専用のマグカップに入れて、湯を注ぐ。
このインスタントコーヒーも粉末状のチャも、元々はこの世界には無かったものだ。歴代の聖女様によってもたらされた知識と知恵。それらを参考にこの世界で再現した品々だ。そういったものがこの世界には多く存在している。
湯気の立つマグカップを手に、俺は聖女さんの対面の椅子に座った。
「いきなり怖い目に合わせてしまって、すまなかった」
「あ、うん。ビックリした。急に全身真緑のエイリアンみたいのに襲われるんだもん! ホラー映画とかに出て来そうなやつ! 何なのあれ?」
聖女さんの言葉は耳慣れない単語ばかりで難解だが、ゴブリンのことを言っていることは分かった。
非常に弱い魔物なのだが、異様なまでの数で群れをなして襲いに来たのだ。聖女さんが驚くのも無理はないだろう。
「あれは魔物のゴブリンだ。流石に数が多くて驚いたが、聖女さんに怪我がなくて良かったよ」
「魔物ってめっちゃファンタジーじゃん……。それとさ、その、聖女……ってなに?」
聖女さんが怪訝な顔をして尋ねてくる。
説明も何も受ける暇もなく、襲撃にあっちまったからなぁ……。
「そうさなぁ。どこから説明したもんか。まず、ここがどこか分かるかい?」
聖女さんは勢いよく首を横に振った。そりゃそうだ。
「ここはエンローバーと呼ばれる星だ。人と魔物とその他諸々が住む、自然豊かな星さ」
「やっぱり地球じゃない……。これ異世界転移ってやつ!? 漫画とか小説でよくある!?」
「そういうこったな。君はこっちの世界の聖女召喚の儀式により、星に祈りを捧げる聖女として呼び出されたんだ」
「私、聖女ってガラじゃないよ!?」
「聖女さんの選出基準は分からんが、何かしら適合するものがあったんだろうさ」
「勘弁してー! で、どうしてその聖女の私が、あんな魔物たちに襲われたの?」
聖女さんが前のめりになる。
表情がころころと変わる、随分と元気のいい聖女さんだ。話がしやすくて助かる。
「襲撃の理由は不明だ。近年、魔物の動きが活発になっていてな。こちらとしても警戒していたんだが……まさか塔に火を付けるとはな」
カップに口を付け、コーヒーを喉の奥に流し込む。
苦みが何時もより強く感じられたのは、後悔の念がそう感じさせるのだろう。
祈りの塔で行われた、聖女召喚の儀式。
祈りの塔とはその名の通り、聖女が祈りを捧げる為に用意された塔である。
そこで行われた儀式により、聖女の召喚は無事に成った。
しかしその直後に魔物による襲撃を受け、俺は聖女さんを抱えて逃げたというわけだ。
数ばかりが多い下位種の魔物の群れくらい、あっという間に倒せる。
だが、奴らは塔に火をつけやがった。
いたるところから火が上がり、聖女の身を守れと塔の責任者である司祭殿に強く言われては、逃げる他にない。
「聖女である君を守るためにも、この国の女王様の元へ行こうと思ってる」
「女王様? その人に会えば私、元の世界に帰れるの?」
「いや……ここよりは安全ってくらいだな。帰れるかは……すまん」
「あー、いい。いいよ。別にオジサンが悪いってワケじゃないって。むしろオジサンは私を助けてくれたんだから、感謝かな。ありがとう」
聖女さんが座ったまま頭を下げた。
どうやら礼儀正しい娘さんのようでホッと胸を撫で下ろす。
そして、彼女の中では俺の呼び名が『オジサン』で固定されつつあることに苦笑してしまう。まぁ、見た目が立派な三十代後半のオジサンである以上、何も間違いはないな。はい。
「今日はここに一泊して、明日、朝から向かおう。移動手段は俺に任せてくれ」
「分かんないことだらけだけど、そうするしかないんだよね。分かった」
深いため息を吐く聖女さんに申し訳ない気持ちが湧く。
本来なら司祭殿が懇切丁寧に聖女というものの説明をするんだが、その機会も奪われてしまっている。聖女さんはまさに右も左も分からん状態だ。だからこそ、俺が安全な場所までお連れしなければならない。
それにしてもだ。
異世界からの来訪者である以上、仕方がないんだが、ないんだが~。
「その恰好は目立ちすぎるなぁ」
「恰好? あぁ、制服? なに、この世界、制服ないの?」
「制服ってもんはあるけど、聖女さんの着てるような服は見たことないね」
「へぇ。じゃあ、パーカーある? こう、前を止められるゆるっとした上着。ブレザー脱いで羽織ればマシになりそう」
「了解。ちょっと待っててくれ」
席を立って寝室へ向かう。
ベッドが二台、その脇に置かれたタンスから女ものの上着を手に取った。
もう長いこと使われていないが、常に手入れをしているから新品の様にきれいだ。
(少し借りるな、ビーチェ)
亡き妻の名を心の中で呟く。
心の広い彼女のことだ。きっと、構わないと微笑んでくれるだろう。