016 オジサンと女王様の覚悟
「危ナーイッ! 危うくペチャンコになるところデシタヨォ!」
おどけた顔をしたニュームーンが俺の前に立っている。
ニュームーンを見据えたまま立ち上がり、俺は剣を右手に持ち替えた。
練った魔力を握った柄から流し込み、刃に魔力を纏わせる。
「クレセントさァんからモ、女王陛下に口添えしてクダサイヨォ。絶対良い条件ジャないデスカ~」
一歩踏み込み、剣を素早く振るう。
刃が走り、確かにニュームーンの胴体を真っ二つにする。
「モォ~、この間と一緒じゃないデスカ~。弱くなったダケじャなくテェ、記憶力まで落ちちャいまシタァ~?」
返す刃でもう一撃、斜めに斬り上げる。
更に剣を返し、角度を付けて振り下ろす。
それを縦横無尽に繰り返し、剣の走った軌跡が網目の様に刻まれる。
最後に上段に構えた剣で、ニュームーンの脳天から足元まで一息に斬った。
魔力を纏った刃は、切れ味も斬撃の素早さも文字通り桁違いに上昇する。
奴を一瞬で細切れにしたと言っても過言ではない。
「アァァ……酷イ……。これはモウ……――交渉決裂デスネッ!!」
「ッ!」
斬り刻まれているにもかかわらず、けたたましい嗤い声を上げるニュームーンが爆ぜた。
肉片を縦横無尽に飛び散らかすが、それに実体はない。飛び散った筈の肉片は、一片たりとも俺にぶつからずに消えたのだった。
簡単な話だ。絶命させるには至らず逃げられたに過ぎない。
魔力を込めた剣で斬った以上、ある程度のダメージを与えたことは間違いない。
周囲を見渡すも、ニュームーンの気配はない。奴は逃げる事を優先する性質がある。だからこそ今は逃げたと見て問題はない筈だ。
剣を鞘に納めると、俺は急ぎ女王様と聖女さんの元へ戻るべく踵を返す。その瞬間。
「オジサン!!」
頭上から聖女さんの声が響き、頭を上げる。
俺は自分の目を疑った。
窓ガラスを失い枠組みだけになった四階の窓辺から、聖女さんが飛び降りて来ているのだから――!
「うぉぉお!?」
何してんのこの聖女さん――ッ!?
慌てて両腕を広げて、落ちてくる聖女さんを受け止める。
膝を曲げてしっかり地面を踏み、高所からの衝撃に備えた。
「ひぃぃいっ!」
「よぉッ……とっ!」
悲鳴と共に目の前に降ってきた聖女さんを抱きとめる。
衝撃を受け流す様に身を屈めるが、意外と衝撃は少ない。とにもかくにも安堵の息が出た。
「もっ、もぉー! 何してンの、聖女さん!」
「急がなきゃって思ったらついー! 怖かった~!」
「急ぐって何を?」
確かにのんびりとはしていられない状況だが、わざわざ飛び降りる程に急ぐことは無いだろうと訝しんでいると、頭上から声が降ってきた。
「クラちゃーん! 私も受け止めてね~!」
「ハァ~~!? 正気か!?」
「失礼ね! いくわよー!」
「来るなー!」
こちらの制止も聞かず、女王様も窓辺から飛び降りた! どうして!?
急いで聖女さんを下ろし、身構える。が、良く考えれば別に大丈夫なんじゃないか……?
一応、腕を伸ばして見たものの、案の定勢いがあるのは最初だけで、女王様はふわりとした動作で舞い降りてきた。
魔法使いとしても一流である彼女が、浮遊の魔法を使えないわけがないのだ。
つまり聖女さんを受け止めた時にやけに軽かった理由は、聖女さんにも浮遊の魔法が掛けられていたからなのだろう。
急に冷めて腕を引っ込めると、地上に降りた女王様から抗議の声が上がった。
「もうっ! 抱きとめてくれたっていいじゃないっ!」
「いや、必要ないだろ。というか、わざわざ飛び降りてくるなっての!」
「だって、階段を下りるよりも早いでしょう? 今は一刻を争うのだから」
急に女王様の顔付きが真面目になる。
ニュームーンが爆ぜたと同時に、敵本隊が進軍を開始したとの報せがカイルからもたらされたのだった。(後に、通話を可能とする魔道具での連絡を初めて目にした聖女さんが、「スマホじゃん!」と驚いていた事を聞かされた)
空はワイバーンを中心とした翼の生えた魔物が飛び回り、陸はゴブリンやスケルトンナイト、オークにトロールといった陸上型の魔物が群れを成して攻めてきているというのだ。
「今、この城内には多くの国民が避難しています。彼らの不安を拭い去る為に、彼らの傍らで結界を張り続けようと考えています」
成程、それで飛び降りた方が早かったのか。……いや、納得していいのか分からんな!
俺達は急ぎ、庭園を後にした。
城の一階は避難してきた一般人で溢れていた。
かなりの数の人々が各区域のシェルターに避難したとはいえ、城へ逃げ込んだ者も少なくはない。
特に襲撃を受けたシノの店周辺の住民は、そのほとんどがここに避難していると言っても過言では無かった。
誰もが皆一様に暗い顔をしているが、女王様が姿を現すと途端に顔付きが明るくなる。
「陛下! 女王陛下だ!」
「さっき上階で大きな音がしたから心配で……ご無事で何よりだわ……っ」
「女王さま~。お城のごはん美味しかったよ、ありがと!」
次々と投げ掛けられる言葉に女王様は微笑んで返していく。
民に慕われているとは聞いていたが、こうして目の当たりにすると感慨深いものがある。
「女王陛下っ、この国は、大丈夫なのでしょうか……」
まだ三つくらいの小さな子供を抱えた若い女性が、今にも泣きだしそうな顔で女王様の前に膝を着く。すると女王様はその場にかがみ、女性と目を合わせて優しく笑んだ。
「貴方の主人は魔導兵団所属でしたね」
「夫のことを、ご存知なのですか……?」
「もちろん。この国の為に命をかけて力を尽くしてくれる者の事は、その家族も含め覚えています。貴方の主人が命を懸けて守ろうとしてくれている貴女とその子、そしてこの国を、私も命を懸けて守ります。だからどうか安心して下さい」
女王様に肩を優しく触れられて、女性は嗚咽を上げて泣き出した。
女性の肩を優しく撫で、それから女王様が立ち上がる。ざわめきが嘘のように静まり返り、その場の全ての視線が女王様に注がれた。
俺と聖女様もまた自然と女王様を見つめている。その凛とした横顔に、思わず息をのんでいた。
「――私は、この国の王として国民に謝罪せねばなりません。このような事態を引き起こしたのは、今日まで魔物に対して様子を窺い続けた私の甘さが原因とも言えるでしょう。私に対する非難も糾弾も、全て受け入れます。しかし――」
女王様が一度言葉を区切り、周囲を見渡した。
まるでその場にいる一人一人の顔を確かめるようにな視線は力強い。
「今この時だけは、私を、この国を守る為に戦う者達を信じて欲しいのです」
一つの淀みもない言葉を前にして、誰もが言葉を失い聞きほれる。
一瞬の沈黙。
それからどっと歓声が上がったのはすぐのことだった。