015 オジサンと侵入者
「ヒールっ! ヒーリング! リフレ―シュッ! あぁもうっ、チンカラほいっ!」
肩で息をしながら、聖女さんが呪文らしき何かを叫んでいる。
リビングルームから場を移し、普段女王様が使用している執務室に招かれた。壁一面に張られた大きな窓から日光が差し込み、室内を明るく照らしている。
執務室で祈りを捧げ終えてひと段落。まだ状況に変化もなく大丈夫そうだという事で、女王様から魔法の手ほどきを受けた聖女さんだったが……。
「ピカピカ―ッ! キラキラーッ! なんでよー! 何も起こらなーい!」
肩を落とした聖女さんがその場にぺたんと座り込んでしまった。結構本気で悔しがっているらしく、頭を抱えて唸っている。
魔法についてレクチャーしていた女王様も、まさかこうも上手くいかないとは思っていなかったようで、珍しく困った顔をしていた。
「聖女様に才能がないという訳ではないと思うのだけれど……」
「単純に魔力が不足しているとか?」
「それはあり得ないわ。むしろ、有り余っているくらいね」
魔法を使うには、空気中に漂う魔素を取り込み魔力に変換しなければならない。
魔素を取り込める量。そして取り込んだ魔素をどれくらい魔力に変換できるのかというのは、個人の生まれ持った素質によって大きく異なる。
女王様に言わせれば、聖女さんは魔素を取り込む力も変換できる力もとてつもなく強いというのだ。
そこはやはり流石の聖女様といったところなのだろうか。
「ごめんなさい。折角、女王様が教えてくれたのに、私コツも掴めなくて……」
しょぼくれた様子で立ち上がった聖女さんは、深々と女王様に頭を下げた。
そこまで気にしなくても大丈夫だと声を掛けても、聖女さんは浮かない顔をするばかり。
「気になさらないで。聖女様は元々、魔法の存在しない世界の方なんですから。私達とは感覚が違うのかもしれません」
「そうなのかなぁ……」
「そうデスヨォ! 聖女と言っても所詮人間なんデスカラァ、お気になさらず二ィ!」
「そうそう、所詮人間……え?」
突然混ざった、場違いなまでの陽気な声に背筋が粟立つ。
まさか。そう考えるよりも先に聖女さんと女王様を背に庇い、俺は剣を抜いていた。
「やァだナァ! ただお話に来たダケなの二ィ! そんな剣なんてェ~……」
さして広くもない室内にニュームーンの声だけが響く。周囲を見渡しても姿はどこにも見えない。
一気に高まった緊張感の中、剣の柄を握る手に力を込めた。瞬間。
「向けないでクダサイヨォ?」
まさしく目と鼻の距離にニュームーンが姿を現した。
視界一杯に映り込んだ、いやらしい笑みを浮かべた奴の顔に苛立ちが込み上げてくる。直前まで一切感じられなかった魔物特有のどす黒い魔力が、室内に一気に満ちていった。
「相も変わらずこそこそと……」
「ワタシの特技デスカラ! まァ、気配ゼロになる代わり二、魔力もゼロになッちャうワケですケドォ。こうして目的地マデ乗り込めれば、関係ありまセンネェ!」
けたけたと下品に笑いながらニュームーンが後ろへ下がり、俺から離れる。その視線は明らかに俺ではなく、背後の二人に向いていた。
「ザッハ王国アリアドネ女王陛下、そして新たなる星ノ贄たる聖女サマ。突然の訪問、失礼致しマス。ワタシの名前はニュームーン! 魔軍統率者代行などしておりマス。どうぞお見知りおきヲ!!」
仰々しくお辞儀をするが、そこに敬意は欠片も感じられない。
今すぐに斬ってしまいたかったが、そうもいかない。奴の声がした瞬間から、女王様が俺に待てと視線で指示を出していたのだった。現に女王様は今すぐにでも俺を跳ねのけて前に出たがっているように見える。流石に勘弁してくれ。
俺が意地でも前に通さないという事が伝わったのか、女王様は俺の後ろから声を張り上げた。
「前置きは結構。わざわざ此処まで来た貴方の目的は、魔王の心臓の欠片ですね」
「流石、女王陛下ァ! 話が早くて助かりマスヨォ! いやネ、ワタシも魔軍統率者代行でしテ、意外と忙しいのデスヨ」
唇で弧を描いたニュームーンが、女王様へ向けて手を差し出す。
「サッ、魔王様の心臓の欠片ヲこちら二! そしテェッ!」
ニュームーンのぎょろりとした目が聖女さんを捕らえる。
聖女さんの視界に奴が映り込まないよう、体を盾にして遮った。
「聖女サマもご一緒に来て頂けるト助かるのデスガ……如何デス?」
「じょーだんッ! 誰がアンタらなんかと行くもんか!」
「アチャーッ、手厳しイ! マァ、聖女サマは後で良いんデスケドネ。今の目的は欠片ですカラ、ソレさえ頂ければ引き上げマスヨォ。襲撃もナシ! 国民の皆様には危害を加えまセン! とォッても良い話だと思いまセンカ?」
奴に言葉の意味を問いたいが、女王様から放たれる圧に口を閉ざす。
「今、貴方の口にした内容。それは約束事ですか?」
「もっちロン! お約束致しマスヨォ、ハイィ!」
「分かりました。クラトス、侵入者を叩き出しなさい」
女王様の口から息をするように自然に吐き出された命令が、俺の体を突き動かす。
我慢していた分を吐き出すように、勢いをつけて地を蹴りニュームーンへ飛び掛かる。左手に剣を持ち替え、空いた右手でニュームーンの顔面を鷲掴んだ。
「女王陛下の命とあらば」
そのまま勢いを落とすことなく更に地を蹴り、ニュームーンごと窓ガラスをぶち破る――!
ニュームーンの体がぶつかり、窓ガラスは木っ端みじんに砕け散る。キラキラと陽光を浴びて輝くガラス片の中、外へ飛び出た俺とニュームーンの体は重力に従って落ちていく。
「ゴワー! 客に対してこの扱イ! 残虐非道デスヨーッ!」
「客だと思ってンのは、お前だけだ」
顔面を掴む指に力がこもる。メキッと骨がきしむ音がして、ニュームーンが耳障りな叫び声を上げた。
「ギャー! 顔面崩壊ッ!」
顔面と一緒に全身崩壊させるつもりで、右手に俺の全体重を乗せる。
迫る地面にぶん投げるように、ニュームーンを押し付けた!
衝突の衝撃が地を揺らす。
ドゴンッ! という衝撃音、そして抉れた地面の土がぱらぱらと舞う。
土煙の上がる中、俺はたまらずため息をついていた。
右手で鷲掴んでいたはずのニュームーンの姿がなくなっていたのだった。