014 オジサンと戦いの予感
夜明けの時間になっても空は暗い。
どうやら今日は天気が悪い様だ。雨音が地面を叩く音が鳴りやまない。
「……来るか」
まだ遠いが魔物の気配を感じて、俺は急ぎ聖女さんの部屋へ向かった。
聖女さん用にとあてがわれた部屋の戸をノックすると、暫くして眠そうな顔をした聖女さんが顔を見せる。魔物の気配がすると伝えると急に血相を変え、室内から勢いよく飛び出してきた。
「ど、どうすんのオジサン! 魔物、来てるの!?」
「落ち着いて。まだ遠い。とにかく、まずは女王様のところへ行こう」
「うん!」
しんと静まり返った城内に二人分の足音が響く。
聖女さんの部屋から女王様の居住スペースまではそう遠くはない。長く続く廊下を抜けて、螺旋状に伸びた大階段を上って三階から四階へ。中々に足腰が鍛えられそうな階段の最上段が見えて来たところで、聖女さんがあっと声を上げた。
最上段に女王様の姿があったのだ。
「お待ちしておりました。こちらへ」
女王陛下としての立ち振る舞いを見せる彼女を前にして襟を正す。
聖女さんと二人揃って、女王様の後に続いた。
朝食もまだでしょうと、リビングルームに通された俺達は席に着くなり次々と運ばれてくる食事に目を丸くして驚いた。
俺達の到着を待ち構えていた女王様が、状況に気が付いていないとは言い難い。つまりこれは余裕の表れそのものと言っても過言ではないだろう。
そうと分かれば遠慮なく頂くのみ。こんな豪華な朝食、いつ以来だろうか……。
「ねぇ……のんきに食べてていいの?」
「大丈夫さ。ほら、聖女さんも食べとけ食べとけ」
「いや食べるけど……」
隣で心配そうな顔をした聖女さんが、視線を俺から正面の女王様へ移す。
上座に座る女王様はにこにこと笑顔を浮かべている。女王様の表情を見て安心したのか、聖女さんは少し照れくさそうにいただきますと手を合わせた。
聖女さんが焼きたてのパンに手を伸ばし、頬張りだしたのを見届けて俺は女王様の顔を見た。
「思ったよりも余裕があるんだな」
「私に落ち着きがなければ、民に示しがつかないわ。それに、この国には最強の大神官がいるんですもの」
脇に控えていたメイドが、女王様の前に水晶玉を慣れた手つきで置いた。人の頭ほどの大きさがある水晶玉の側面に、女王様が手をかざす。
女王様の手の平がふわりと光り、水晶玉も淡く優しい光を発しだした。
水晶玉の内側に何か動くものが見える。次第に輪郭をはっきりとさせていくそれは、大神官カイルの横顔だと分かった。
「彼女に付けた妖精の目を借りて映し出しています」
水晶に映る映像からカイルは城の正門、その壁から突出した塔の最上部にいるのが分かる。
手にする杖の先端を正面、すなわち城下町の方向へ向けると、杖に付けられたクリスタルが急激な発光を始めた。
水晶玉越しに見ても目がくらむほどの強い光は大きく膨れ上がり、その眩しさに思わず魅入ってしまった次の瞬間。
光は一塊に収縮し、強烈な光線となって空を駆けた。
光線の走る一帯の雨が蒸発して、一面が白く染まる。
カイルが手にした杖を勢い良く振り抜く。光線も杖の軌道に従い、横へ動いた。
光線はあっという間に町の外壁あたりまで到達し、爆音を上げて弾け飛ぶ。
もくもくと上がる煙のカーテンの向こう側から、何かがぼたぼたと落ちていくのが見える。ズームされていく映像から、それがワイバーンの群れであることが分かった。
「お見事。強烈だな」
水晶玉の中で、平然とした様子で今度は真逆の方向に光線を発しようとしているカイルの姿を見て嘆息する。
「下位種の魔物であれば城に近寄ることすら出来ないでしょうね。も~! 本当に才能あふれる子なのよ、彼女!」
またしても商店のおばちゃんの様な仕草をしながら、女王様が上機嫌に笑う。
淡々と光線を発し、次々と魔物の群れを焼き落としていくカイルの姿を水晶玉越しに見れば、上機嫌になるのも納得だ。
「それにあれは偵察部隊に過ぎないわ。敵の本隊が来るにはまだ時間があります。聖女様、少しよろしいですか?」
「んぐっ、ひゃいっ、……大丈夫ですっ」
突然話を振られた聖女さんは、慌てて口の中の残りを水で流し込んでいた。
「聖女様には祈りを捧げていただきます。そしてその後にまだ時間に猶予があれば、魔法の使い方をお伝えしましょう」
「魔法、ですか?」
「えぇ、聖女様は回復魔法が使えると聞きました。そのお力を制御する為の知恵とコツを授けたいのです」
「コツでどうにかなるんですか!?」
「ええ! コツさえ掴めば意外と簡単よ~。聖女様お若いから、飲み込みもきっと早いに違いないわっ!」
「そこまで言われたらやらないワケにはいかないっしょ! 頑張りまーす!」
きゃっきゃと盛り上がる二人に苦笑しながら、俺は新たに注がれた熱いコーヒーを飲み干す。
確かにカイルの実力は折り紙付きだ。下位種の魔物の殲滅は彼女一人で十分だろう。
しかし、強い将が一人いただけでは戦には勝てない。
王都の守備を司るのは、騎士と兵士による混合部隊、そして魔法使いによる魔導兵団だ。彼らが弱いとは思えないが、それでも対処できるのは中位種の魔物が限界だろう。
ニュームーン、或いは奴に匹敵する実力者が本隊を率いてくるのは間違いない。
上位種は化け物揃いだ。相手にすればカイルですら無事では済まないだろう。
俺も前線に立てれば少しは力になれるかもしれないが、俺には聖女さんと女王様を守るという責務がある。
何か今のうちに立てられる対策はないものか。
「大丈夫よ、クラちゃん」
掛けられた女王様の言葉に意識が引き戻される。
いかんいかん。つい考え込んでしまった。
「この国を守る者達は皆強く逞しい。柔な鍛え方もしていませんからね。それに、いざとなれば私も戦線に出ます」
「いや、守られててくれ。女王様は前に出るもんじゃないだろ」
「王だからこそです。この国と民を護る為に戦うことこそが、私の本懐なのですから」
力強くそう言って、凛と胸を張る姿に神々しさを見る。
初めて出会った時は、まだまだ若いお嬢さんだったのになぁと感慨深さが湧いた。
「ちょっと、クラちゃん。今、余計なこと考えたんじゃないの?」
「いやいや。立派な女王陛下になったもんだなぁ~って思っただけ。ホント、あんなにちっこい娘さんがこんなに立派になって……」
「止めてー! もう! そういうクラちゃんは……あんまり変わらないわねぇ! でも、随分丸くなったと思うわ」
「そりゃね。ははっ、……止めよう。互いに傷に塩塗ってるだけだ」
「そうね……」
過去という物は、下手に思い出さないほうが良い時もあると肝に銘じておこう。