013 聖女さんとオジサン
外の景色を遠くまで見渡せるバルコニーで夜風に吹かれる。
空には星空と綺麗な三日月が浮かんでいて、夜なのに随分と明るく感じられた。普段住んでる場所では絶対に見ることが出来ない夜空は写真映え間違いなしなんだけど、あいにく今はスマホもないしアップする場所もない。
こっちに来る前まではスマホ持ってたのに!
なんでなくなったのー!?
バルコニーの手すりに寄り掛かりながら、とんでもないことになっちゃったなと、自分の今の状況を振り返る。
異世界転移。
今でも正直ナニソレって感じだけど、現実なんだよねぇ……。
どーしてこんなことに私が巻き込まれてるんだろ。頭きちゃう!
でも、どーしようもないことなんて生きてれば沢山あるし、これもそのうちの一つなんだ。
(だからって異世界転移は流石にやりすぎだよ、神様さぁ……)
こっちへ来てたったの四日。
だというのにその濃密さと言ったら中々ないよ。
頭一杯大混乱。
それでも志乃さんという同じ境遇だった人に出会えたのは良かった。かなり前向きになれた気がする。
それに自分を助けてくれる人が居るというのは、とても有難いことだ。
とっても親切で優しい、女王様に大神官サマ。
出会って即、私を助けてくれためっちゃ強いオジサン。
優しそうな雰囲気なのに、なんかめちゃくちゃ強い。魔物を容赦なくぶった斬ってくの、ちょっとビビる。
因みにわりかし整った顔してて、イケオジに部類されると思う。
奥さんが亡くなってるって言ってたけど、今でも大事に思っているんだろうなってことは、この借りた上着の状態の良さが物語っている。いや本当に良かったのかな、こんな大切なもの借りて……。
多分、というか絶対にめっちゃ良い人。
大切な奥さんの形見を貸してくれて、私の事を本気で守ろうとしてくれている。
けれども、私はそんなオジサンのことを何も知らない。
あの変な魔物とオジサンの会話が私を不安にさせている。
わざと聞こえるようにしていたことは間違いなくて、それで不安になってるのはなんだかとってもイラっとくる。
本当は、オジサンのことを信じたい。
けれども私はオジサンの事を知らなさすぎる。
そしてオジサンもまた、私の事を知らなさすぎるんだ。
信じてもらうってことの第一歩は、知ってもらうってことだと私は思う。だから私はオジサンに私のことを知ってもらおうと思ったのだった。
「すまん、遅くなった。女王様と少し話しこんじまった」
「大丈夫ー。良い景色見てたら、あっという間だったよ」
その為に私はオジサンを呼び出した。
オジサンはゆったりとした仕草で私の隣に立つと、遠くを見てほぅと一息吐いていた。
「確かに。良い景色だなぁ」
「でしょ。でさ、オジサン。私、まだ自己紹介してなかった気がするから聞いてよ」
「え? コウコウのタカナシサクラさんでしょ? ちゃーんと覚えてるって」
「高校は学校の種類ね。自己紹介って、名前だけじゃ味気ないっしょ?」
そうかなぁとオジサンが首を傾げる。
そうだよと苦笑して、私は月を見上げながら自分の事を語ることにした。
「私、本当に聖女って柄じゃないんだよね。清楚とかそんな言葉からは遠いし、特技とか特にないし、ポジティブなのが取柄ってぐらい」
「ポジティブってのは大切なことだと思うな。それだけで前向きになれる場面が増える」
「まぁね。私の場合、前向きにならざるを得ないって感じだったんだけどね~」
笑うでもなく、苦しむでもなく。ごくごく普通の事として口にする。
こういう感覚、もう慣れちゃったんだろうなぁって思うよ。
「私が五歳の頃に両親死んじゃってさ。事故で。で、それ以降、親戚の叔母さんの家で世話になってんの。叔母さん、めちゃくちゃ良い人でさ。私の事、本当の子供みたいに扱ってくれんの」
オジサンは無言で私の話を聞いてくれている。
こんな子供の身の上話に付き合ってくれるの、やっぱり良い人なんだよなぁ。
「本当に優しい人だから、私も心配かけたくなくて叔母さんの前ではポジティブでいることにしたんだ。そーしてれば、叔母さんも安心してくれるかなって思ったし」
「その人は、よほど愛情深い方なんだろうな」
「そ。でもさぁ、私、そんな叔母さんの事を未だにお母さんって呼べないんだぁ……名前で呼んでんの。私だって、叔母さんのことは本当のお母さんのように思ってるよ。でも呼べない。親不孝だよねぇ。こんなんが聖女って、似合わなくない?」
話し終えてオジサンの顔をちらりと覗き見る。
オジサンは優しく笑んでくれて、不覚にも少しだけ泣きそうになってしまった。私を見守る叔母さんの優しい顔付きに、少し似ていたからだ。
「正直なところ、聖女の素質とか条件っていうのは解明されていないんだ。だからこの世界にこうして召喚された時点で、君は立派な聖女だよ」
「んー……、だとしても、聖女って志乃さんみたいな優しい人を指すんじゃないかなぁ」
「いやぁ、シノだって当時は君と似たようなものだったさ。それに、人の優しさに応えようとする意志がある君は、俺から見ればシノと変わらない優しい人だと思うよ」
「オジサン……。なに? もしかして私のこと、口説いてる!?」
「残念~。俺は妻一筋なんでね」
私の冗談に、オジサンは肩をすくめて応えてくれた。
冗談めかしているけれど、今でも奥さんのことが大好きなのは本当なんだなって分かった。
亡くなった人を今でも大切に思える人。私と同じだ。
だったら私はオジサンを信じられる。
魔物の言った言葉なんかよりも、目の前のオジサンを信じる。
私はオジサンの顔をまっすぐに見つめた。オジサンの瞳に映る私が真面目な顔をしているように、オジサンもまた真面目な顔をしている。
胸の中で何かがすとんと音を立てて嵌った気がした。納得できたのだと思う。
「オジサン……あーと、クラトスさんって呼んだ方が良い?」
「もうオジサン呼びで慣れたさ。構わんよ」
「じゃ、オジサン」
私はオジサンに向けて右手を差し出した。
「この世界で私が生き残る為には、オジサンの力がないと無理。だから私、オジサンを信じるよ」
オジサンは、魔物は嘘を吐く生き物だと言った。
「ああ。必ず君を守る。約束だ」
もしもオジサンが魔物だとしても、オジサンはオジサンだ。
少なくとも、奥さんのことを語るその言葉に嘘はない。
差し出した右手を握り返されて、私はへらりと笑ってしまった。
お互いに握った手の平の温かさが、やけに嬉しかった。