001 オジサンと聖女さん
「オジサンっ、もっと優しくしてぇ~!」
「人聞きの悪い事を言わんでおくれ……っと」
鬱蒼とした森の中。
聖女となったばかりの少女を、胸の前で横抱きにしてひた走る。
日もすっかり沈み、夜空を飾る星と月明かりだけが地を照らしていた。
風に煽られ、聖女さんの黒くて長い髪の毛がばさばさと乱れてしまう。
初対面にも関わらず体に触れているのは正直申し訳ないのだが、今は緊急事態なので許して欲しい。身の安全の確保を最優先とさせてもらう。
「良し。一旦降ろすぞ」
「う、うん」
動かしていた足を止め、その場に聖女さんを降ろす。
俺が身を屈めると、よれよれとした様子で聖女さんが地に立った。
まだお互いの名も知らぬまま、突然の魔物の襲撃から逃げ出して暫く。
状況の一切が分からないであろう聖女さんは、酷くおどおどとして不安げな顔をしていた。
俺としても一刻も早く状況を説明してやりたいのだが……。
「すまんが、その場でしゃがんでくれるかい?」
「えぇ? はぁ……」
渋々といった様子ではあるが、聖女さんは素直に俺の言葉に従ってくれた。
聖女さんが身を丸めたことを確認して、俺は腰にぶら下げた鞘から剣を抜いた。ごく一般的な長剣で、名のある代物というわけではないが、今日まで長いこと使ってきた愛着のある剣だ。
こいつで、しつこく跡をつけてきた魔物を片付ける。
「どうも。ちょっと待っててくれ。――すぐに終わらせる」
そう言い残し、軽く地面を一蹴りして前方へ躍り出る。
相手は下位種の魔物だ。剣に魔力を込める程でもないと判断する。
一際背の高い草木の前へ飛び寄り、草を刈り取る様に剣を振るった。
「グゲェッ!」
短い断末魔の悲鳴を上げたゴブリンの首が落ちた。
間髪入れずに垂直に跳ね、隣接する太い木の幹を強く蹴って斜めに飛ぶ。
直ぐ隣の木の上に、弓を構えたゴブリンがいた。
その視線は聖女さんに向いている。
弓に矢を番える前に袈裟切りにすべく、跳躍の勢いに身を任せて剣を振るう。
下から掬い上げるようにして、一息に一刀両断。
ゴブリンの手から弓矢が滑り落ちる。真っ二つに分かれたゴブリンの体が、音を立てて倒れる大木と一緒に地に落ちた。
重力に従い着地して、最後に草むらに向けて剣先を突き入れる。
「ギャッ」
隠れていたゴブリンの背中を突き刺して息の根を止めた。
よしよし。他に隠れている魔物はいなさそうだ。
これ以上の追手が無いことに一安心。
軽く剣を振って魔物の血を払い、剣を鞘へ納めた。
「いやー、すまん、すまん! これで大丈夫だ」
未だにしゃがみ込んだままの聖女さんの側へ歩み寄り、手を差し出す。
聖女さんは大きな目を更に丸くして、今にも泣きだしそうな顔で俺を見上げていた。しまった、早速怖がらせてしまったか……!?
弁明しようとする前に、聖女さんが震える唇で声を上げた。
「こ……っ」
「こ?」
「殺さないで~っ! 出来る範囲でなんでもするからぁ~!」
「わーっ! 誤解だ、誤解っ!」
恐怖に震える聖女さんを宥め、俺は君の味方だと必死の思いで説得する。
一頻り喚いて落ち着きを取り戻した聖女さんは、まだ少し俺を訝しみながらも立ち上がり、こちらの顔を見てくれた。
聖女さんを改めて見ると、随分若い少女であることが分かる。
肩を過ぎて伸びる艶やかな黒髪。ぱっちりとした瞳の色も同じ黒だ。
背は160センチ後半くらいか。全体的な肉付きも至って普通。(この評価に他意はない。微塵もない)
身に着けているのはあまり見かけない服だった。ボタンをはずして首元を緩めた真っ白なブラウスに、前が開きっぱなしの紺色の上着。やけにきっちり折り目の付いたスカートの丈は短く、すらりと伸びた足が健康的だ。
服装の異質さを覗けば、普通の少女にしか見えない。
だが、彼女は聖女である。
可哀そうに。こっちの世界の都合で呼び出された挙句、即こんなことに巻き込まれるとはなぁ……。
「ねぇ、一体全体何なの。説明求む!」
「勿論、俺の知る限りの説明をするよ。そうさな、ここじゃなんだ。すぐそこの俺の家まで行こう」
「えー。見知らぬオジサンの家に行くのはちょっとなぁ」
「他意は無いンでご安心を。君を守ることが、俺の仕事なんだ」
「仕事? んー……まぁ、いいか。オジサン、悪い人じゃなさそうだし」
「そりゃどうも」
いただいた悪い人ではない判定に、心の中でグッと拳を握って振り上げる。仕事柄、見た目にそこそこ気を使っていたのも功を奏したのかもしれない。
納得してくれた聖女さんを引き連れて、静けさを取り戻した森を進んでいく。
「そう言えば、自己紹介もまだだったか。俺はクラトス・クレセント。聖女護衛部隊隊長を務めている。よろしくな」
「私、小鳥遊桜。あ、桜が名前ね。高校二年。よろしく」
歩きながら互いの名前を告げ合った。
サクラか。良い響きじゃないか。コウコウというのが何かは分からんが。
今代の聖女さんを取り巻く環境は、今までとは明らかに違っている。
気を引き締めて聖女さんを守らねば。
――それが、『彼女』と交わした最後の約束でもあるのだから。
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