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猫耳少女、犬耳少女

 柔らかなベッドの感触と、かすかに揺らめく薄明かりに包まれながら、リリスはゆっくりと目を開けた。天蓋付きの豪華なベッドの上、彼女は自室で目覚めたかのような錯覚に陥った。だが、よく見ればその部屋は見慣れたものではなかった。


 壁には美しい刺繍が施されたタペストリーが掛けられ、どっしりとした木製の家具が並んでいる。天井には魔法装置と思われる光源が設置され、ほのかに青白い光が部屋全体を包んでいた。


「ここは……どこ?」リリスはつぶやいた。


 自分の着衣に目を落とすと、それは確かに寝室にいたときのものと同じだった。リボンの結び目もそのままだ。「マーシャ?」少し声を張り上げて呼んでみたが、部屋からは何の応答もない。


 他の侍女たちの名前を次々と呼んでみたが、返事はなかった。辺りを見回すと、部屋の広さと装飾の豪華さが改めて目に入り、不安が募る。


「こんなところ、見たこともない。」

 リリスはベッドの縁に腰掛け、その柔らかさに気づいた。ふかふかの感触は心地よく、しばらくは現状を考える余裕さえ奪われてしまった。


 そのとき、軽いノック音が響いた。


 リリスが反応する間もなく、扉が静かに開かれる。部屋の中に入ってきたのは、10歳ほどの少女だった。猫耳がピンと立ち、ふわふわの尻尾が揺れている。メイド服に身を包み、両手には何も持っていない。


 その後ろには、犬耳を持つ長身の少女が続いて入ってきた。メイド服に似た衣装だが、腰には剣が携えられ、鋭い目つきで部屋の中を見回している。


 猫耳の少女が一歩前に出ると、リリスに向けて小さく頭を下げた。

「お目覚めですね、お嬢様」

 リリスは目を見開いたまま、言葉を失った。

 扉が静かに閉まると、猫耳の少女がもう一度丁寧に頭を下げ、明るい声で口を開いた。


「お目覚めですね、お嬢様。私はミィナ、嵐の主のおそばに仕える使い魔です」

 リリスは、目の前の少女を見つめながらも言葉を失ったままだった。ミィナと名乗ったその少女は、やや短めの茶色の髪が柔らかそうに揺れ、耳の付け根あたりには明るい茶色と少し濃いまだら模様が入り混じっている。ピンと立った猫耳が特徴的で、大きな琥珀色の瞳には親しみやすさが宿っていた。


「こちらはイルヴァ、私と一緒にお嬢様のお世話をする役目です」

 ミィナが軽く振り返ると、後ろに立っていた犬耳の少女が一歩前に出た。イルヴァと呼ばれた彼女は、長身でしっかりとした体つきをしており、静かに頭を下げる仕草には控えめな品格が漂っていた。耳は高く尖り、まっすぐと立っており、白い毛並みが眩しいほど美しかった。髪はセミロングで、艶やかな純白が風に揺れるような印象を与えている。


「イルヴァです。嵐の主の護衛を務めながら、ミィナの補佐もしています」

 イルヴァの声は低く穏やかで、まるで嵐の中で感じるわずかな静けさのようだった。


 リリスは言葉を選びながら、かすれた声で尋ねた。

「嵐の主……って?」


 ミィナは微笑みを浮かべ、軽く尾を揺らしながら言った。

「はい、嵐の主です。お嬢様をこちらにお招きしたお方。私たちのご主人様ですよ。」


 イルヴァが続けて淡々とした声で補足した。

「嵐の主は、この地の支配者であり、五王の一人。お嬢様がこちらにお越しになったのは、そのご意向です」

 リリスは、体の芯が冷たくなるような感覚に襲われた。その言葉の意味を完全に理解するには時間が必要だったが、彼女たちの表情や言葉に曖昧さはない。「五王の一人……嵐の魔王……?」リリスの呟きに、二人の使い魔は静かに頷いた。


 ミィナはリリスをじっと見つめると、親しみやすい笑顔を浮かべて尋ねた。

「お目覚めになられて、いかがですか? お身体の具合は……どこかお辛いところはありませんか?」


 リリスは一瞬迷ったが、状況が飲み込めないまま、軽く首を横に振った。

「特に問題は…ありません。でも、ここがどこなのかも、何が起こったのかも…」


 その言葉を遮るように、ミィナは柔らかく言った。

「よかったです。お身体に問題がないなら、安心いたしました」


 そう言うと、ミィナは部屋の隅にあるタンスに歩み寄り、扉を静かに開いた。そこから取り出したのは、黒い艶やかな布地で仕立てられたドレスだった。それは滑らかな光沢を放ち、見る者を引き込むような気品があった。


 ミィナがそのドレスを抱えて戻ってくると、リリスの目の前で丁寧に広げて見せた。

「お嬢様、これにお着替えいただけますか?こちらは嵐の主からご用意いただいたもので、お嬢様にとてもお似合いになるかと存じます」


 リリスはその手渡されたドレスを見つめながら、思わず言葉を失った。まるで意志を持っているかのように、布が柔らかく波打つように見える。触れることにすら躊躇してしまい、リリスは小さく声を絞り出した。

「これを……私が?」

 ミィナは軽く首を傾け、少し心配そうな表情でリリスの顔を覗き込んだ。

「お顔色がすぐれませんね…まだお疲れが残っていらっしゃるのでしょうか?それとも、まだご不安が?」


 その柔らかな声が逆にリリスの胸を締め付けた。これがただの親切心なのか、それとももっと別の意図が隠されているのか、判断がつかない。ドレスを見つめるリリスの手は、微かに震えていた。


 ミィナはリリスの表情をじっと観察し、ふっと微笑んだ。その瞬間、彼女の小さな手が光の粒子を纏い、優しくリリスの肩に触れる。


「お嬢様、少し失礼いたしますね。体力回復の魔法をおかけします」

 ミィナが静かに呟いた途端、温かな光がリリスの全身に広がった。その光は心地よい波のように体中を包み込み、リリスの緊張で硬くなっていた筋肉や、不安で重く感じていた心を和らげていく。

 リリスは、自然と深い息をつきながら呟いた。

「なんだか、心が安定してきたような気がする…」


 ミィナは満足げに頷き、手に持ったドレスを広げながら言った。

「よかったです。お嬢様に少しでも快適に過ごしていただくのが、私たちの務めですから。そして、このドレスについても、少しだけ説明させていただきますね」


 リリスはドレスから目を離せずにいると、ミィナが続けた。

「このドレスは特別な魔法素材でできております。ただの布ではございませんの。ご存知の鎧よりも遥かに軽く、それでいて、人間の鎧に匹敵する防御力がございます。これを着ていただければ、万が一の際にもお嬢様を守る力になるかと」


 ミィナの声は柔らかかったが、その言葉に込められた現実感に、リリスは僅かに身震いした。自分が守られる必要のある状況にいるという事実を、否応なく突きつけられる。

「お着替えのお手伝いもさせていただきますので、ご安心くださいませ」ミィナが軽やかに言いながら、ドレスをリリスの手元に近づける。


 リリスは、少し躊躇しながらも、その光沢のある黒い布地に手を伸ばした。その触り心地は驚くほど滑らかで、まるで体温に反応するかのように、暖かくなっていくように感じた。

「どうぞ、お嬢様。このドレスは貴女の新たな章を飾る装いでもございますから」ミィナの言葉は、どこか暗示めいていて、リリスの心に重く響いた。


 リリスは、ため息をつきながらもドレスを手に取り、その前後を確認しようとした。しかし、次の瞬間、驚きの声を上げる暇もなく、黒い艶やかな布がリリスの手からするすると滑り落ちるように動き出した。


「えっ…?」

 ドレスはまるで生きているかのようにリリスの体に巻きつき、瞬時に完璧な形で彼女を包み込んだ。その動きは優雅で自然だったが、思いもよらぬ出来事にリリスは呆然とするしかなかった。


「これが……魔法素材……?」リリスは、軽く腕を動かしてみる。黒い布は彼女の動きにしなやかに追随し、まるで自分の肌の一部のように馴染んでいた。


 ミィナが微笑みながら、軽く頭を下げた。「はい、お嬢様。このドレスは所持者の思念に反応し、最適な形で体を包み込むよう設計されております。お嬢様にぴったりお似合いですよ」

 リリスは胸の動悸を抑えながら、足元を見ると、靴も同じように魔法の力で装着されていた。装飾品までが自然に彼女の身に付いており、鏡を見るまでもなく、全身が完璧に整えられているのが分かる。


「落ち着かれましたか?」

 少し離れた位置でイルヴァが静かに尋ねた。

 リリスは小さく頷くが、その視線はまだ自分の身に纏ったドレスから離せない。


 イルヴァはリリスの様子を確認してから、毅然とした口調で言った。「それでは、お嬢様。準備が整いましたら、嵐の魔王様の元へご案内いたします」

「嵐の魔王……」リリスは、突然現実に引き戻されたように呟いた。その言葉の響きには恐ろしさと不思議な響きが混在していた。


「はい」イルヴァはそう答えると、長い脚で一歩前に出て、扉の方を振り返った。「どうぞ私についてきてください。ミィナも一緒に参ります」


 イルヴァが扉を軽く押し開けると、そこから見える廊下は、魔法の光に照らされていた。薄明かりが静かに揺れる中、彼女は先導するようにゆっくりと歩き出した。

 ミィナがリリスに寄り添い、小さな声で言った。「お嬢様、恐れる必要はございません。魔王様はお優しい方です」


 その言葉にわずかに安心しながらも、リリスの胸の中には未知の世界への不安が渦巻いていた。仕方なく足を動かし、二人の後に続くと、異界の世界への第一歩を踏み出すことになった。


「こちらでお待ちください」

 イルヴァが足を止め、リリスにそう告げると、重厚そうな大扉の前で振り返った。その扉は装飾が細やかで、中央には複雑な紋章が彫り込まれている。リリスはその紋章から不思議な力を感じ、無意識に息を呑む。


 一瞬の間をおいて、イルヴァは声を出すことも、ノックをすることもなく、静かに扉を開けた。その動作は自然で、まるで扉自体が彼女の意志に応えるかのようだった。あとで知ったことだが、ミィナとイルヴァは魔王と念話ができ、脳内で意思を伝え合っていたのだ。

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