アーサー王子
侍女たちは日替わりでリリスに付き従い、彼女が必要とする本を探したり、飲み物を用意したりして支えていた。最初は内気で静かだったリリスも、侍女たちに気を許すにつれて、少しずつ言葉を交わすようになった。
3日目の夕暮れ時、5冊目の本の最後のページを閉じたリリスは、積み重ねた知識を整理しながら、軽くため息をついた。
「この世界の魔法は、一種の超能力のようなもの。それに科学知識と想像力が大きく関わっている…でも、それだけではないのよね」
彼女が読み取った限り、この世界の魔法は単純な力の操作ではなく、周囲のエネルギーや自然の法則を繊細に利用して形を成すものだという。
たとえば、炎の魔法を使うには、ただ火を想像するだけでなく、熱の移動や空気中の酸素濃度の調整など、物理的な知識も必要になる。さらに、魔法を操る力そのものには個々の魔力量が関わり、その最大値は生まれ持った素質や訓練で決まるとされていた。
「つまり、魔法って才能がすべてじゃなくて、学びと工夫次第で強くなれるのね」あお葉はそう独りごちたが、自分の魔力量が皆無であることを思い出し、顔をしかめた。
「でも、私には魔法そのものが使えないんじゃ、意味がないわね……」
ふと、レイヴンの一節が脳裏をよぎった。そこにはこう書かれていた――
「魔力量がなくとも、特殊な魔法具や術式を利用することで、擬似的に魔法を発現させる技術も存在します」
「擬似的に魔法を発現させる技術……」
あお葉はつぶやきながら、興味が湧いてきた。魔法具や術式について調べれば、自分にもできることがあるかもしれない。
侍女がそっとリリスに声をかけた。
「リリス様、お疲れではございませんか?そろそろお部屋にお戻りになられますか?」
リリスは少し微笑んで応えた。
「そうね、今日はここまでにしましょう。でも明日は、もっと具体的な魔法具について調べてみたいわ。手伝ってくれる?」
侍女は恭しく頭を下げた。「もちろんでございます、リリス様」
その夜、リリス=あお葉は初めて、魔法について自分でも何かできるかもしれないという小さな希望を抱きながら眠りについた。
今日のダンスレッスンは、リリスにとって特別なものだった。いつもは40歳の女性教師と二人きりで行う練習だが、この日は第一王子、アーサーが見学ではなく実際にダンスパートナーを務めると聞かされていた。驚きと緊張で手汗を拭いながら、リリスは教師の指示に従いながら足を動かしていた。
第一王子アーサー・アルセリオンは、凛々しい顔立ちと優雅な佇まいで知られ、王宮内外問わず絶大な信頼と尊敬を集める人物だった。彼が訪れた理由は、リリスの自殺騒ぎで延期されていた成人披露パーティーについて、日程や形式を確認するためだったが、ついでに彼女の体力回復の様子を見ようとダンスに参加したという。
「兄上様と踊るなんて、こんな機会、そうそうないわね…」
リリス=あお葉は心の中でそう思いながらも、視線は足元に釘付けだった。アーサーはその様子を見て、ほんの少し笑みを浮かべた。
「リリス、もっとリラックスして。ダンスは技術だけでなく、楽しむ心が大切だよ」
王子の一言に、リリスはぎこちなくも顔を上げた。彼の優しいまなざしに励まされ、なんとか自然なステップを踏むことができるようになった。
ダンスレッスンを終えると、教師は満足げに頷いた。
「リリス様、まだお体が本調子ではないにもかかわらず、素晴らしい進歩でございます。しかし、さすが第一王子、アーサー様のリードがあってこそのことでしょう」
教師の褒め言葉に、リリス=あお葉は少し居心地の悪い気分になりながらも、「ありがとうございます」とだけ返した。アーサーは「僕のリードなど不要だよ。リリスは自分で成長している」とフォローしてくれたが、教師は王子を持ち上げる態度を崩さなかった。
その後、アーサーとリリスは、成人披露パーティーについて軽く相談をした。いつ開催するべきか、どのような形式にするかについてはまだ決まらず、改めて王と話し合う必要があるという結論に至った。
リリス=あお葉は、兄妹間の距離感について改めて考えた。王宮内の王子や王女たちはそれぞれ忙しい生活を送り、日常的に顔を合わせることはほとんどない。食事も寝室横の居室で一人きりで取るのが当たり前であり、侍女や給仕が見守る中で淡々と食事を終えるのが常だった。
「疎遠だなんて思っていたけれど、こうして話してみると、兄上は意外と親身なんだわ……」
ダンスレッスンの帰り、あお葉はそんなことを考えていた。教師からの評価もあり、少しだけ自信がついた彼女の足取りは、いつもより軽やかだった。




