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プロフィール

作者: 岸辺

名のある文学賞を受賞して晴れて小説家となった「私」は、それ以降思うようなヒット作を出せずに苦しんでいた。そうして、焦りを抱えながら訪れたいつもの喫茶店で偶然小説家志望の男性と出会ったことで、「私」の周りで奇妙な変化が起こり始める。

プロフィール


例年よりも暖かいという今年の冬。そんなことなどお構いなしに身体を突き刺す寒さの中、私は階段を上った。

都市から離れた閑静な住宅地に聳える商業ビルの、上下階を不動産屋とオフィスに挟まれた二階でひっそりと営業するチェーン店。

二年前から住み始めたアパートから徒歩五分、アルバイトをしているコンビニからも近い。

喫茶店に入ると同時に聞こえ始める心地の良い有線放送。薄暗い店内の各所に吊り下げられたランプから放たれるぼんやりとしたオレンジ色の照明。窓から差し込む銀色の光。その全てが丁度良い塩梅でマッチしており、隠れ家のような落ち着いた雰囲気を醸し出している。

気づけば、家よりもここで過ごす時間の方が多いような・・・

外向きに並べられたテーブルの一番端の席、いつもの定位置が空いていることに少し胸を弾ませながら、私はレジカウンターへと歩みを進めた。

「いらっしゃいませ」

いつもの彼女のよく通る声が聞こえた。

「こんにちは」

「いつものでよろしいですか?」

「はい」

目の前の彼女は頷くと、溌剌とした声でキッチンの方へ注文を通した。

「今日寒いですね、ホットじゃなくてよろしいんですか?」

「寒いですね、でもやはり私はアイスですかね」

「身体余計冷えちゃいません?」

「別にコーヒー一杯でそこまで変わりませんよ」

「そうですかねぇ?」

彼女は口元に微笑を讃えながら、首を傾げた。

そこで、他の店員によって淹れられたコーヒーがカウンターの前に置かれた。

「どうぞ、いつもありがとうございます」

丁寧に差し出されたコーヒーカップを取りながら、私は軽く頭を下げた。

「どうも」

五つ並んだ内の端の席に着くと、提げていた斜め掛けバッグを下ろし、首に巻いていたマフラーを脱いだ。

私はバッグの中から文庫本と年季の古くなったパソコンを取り出しながら、冷えた自分の身体が少し温まっていることに気づいた。

しかし私はパソコンを開くと、少し憂鬱になった。

何も浮かばない・・・文字数はここ二日間で数百字程度しか増えておらず、今後の展開も未だ決まっていない。

このままでは・・・

大学卒業後に投稿した小説が何の偶然か、名のある小説家の名前を冠した〇〇賞を受賞し、晴れて幼い頃から憧れだった文壇の仲間入りを果たした。本屋の一番目立つ棚には、話題の新人作家という文句と共に自分と作品の名前がデカデカと貼られ、これまで経験したことのないような恍惚な気持ちになったりした。卒業以降一度も会っていない同級生からは、何通も驚きと賞賛の声を伝える連絡が画面を埋め、調子のいい奴らだなんて半ば呆れかえってしまった時もあった。

そこまでは良かった。そこまでは・・・

しかし、それ以降は出す作品出す作品が中途半端な賞賛を受けるだけで徐々に本屋の隅に追いやられ、ネットでは[オワコン]と罵られるようになった。

返信が面倒になる程だった同級生からの小説の感想も一年以上も前から途切れ、自慢の息子だと周囲に自慢していた母からは、遠回しに別の職に就いた方がいいのではと仄めかされるようになった。

入賞のタイミングでこれまで生まれ育った故郷埼玉の実家を離れ、小説家として未来への期待と共に住み始めたあのアパートには、話題作になることの叶わなかった原稿が積み重なって山をつくり、日の当たらない二畳半の部屋をより陰鬱なものにしていた。次第に仕送りと入選賞金の切り崩しでは生活できなくなり、コンビニの夜勤で何とか食い繋ぎながら、隙間の時間で新作を描かざるを得なくなった。

そうして、デビュー作以降まともな作品を出せていない自分の現状に焦りを感じて何とか打開しようと励むのだが、それがかえって重圧となって筆が進まないのが、ここ半年の私の悩みの種だった。

そんな私にとって、この外界の理から遮断された喫茶店は、現実の不安や焦りから目を背けさせてくれる桃源郷のような存在だった。

目下に広がる大通りを歩く通行人を呆然と眺めながら、一口コーヒーを啜った。

閑静な住宅地に位置する土地柄のためか、この店の客は比較的穏やかな人が多かった。

基本的に客は老人が多く、漲る活力を持て余したような学生集団もいないため、この心地良い静寂が乱されることは滅多に無い。各々が自分の作業や趣味に黙々と打ち込み、他人に視線を向けることのないこの空間が、私にはかえって丁度良かった。

それに、この席からの眺望。目の前を横切る道路を両側から挟んだ街路。後三ヶ月もすれば、あの枯れた街路樹も花を咲かせ、辺り一面が桃色に染まるのだろう。

そして、道路を挟んだ向こうに見える小学校の校庭。あそこで遊び回る小学生や、街路を行き交う人をこの二階から眺めるのが好きだった。自分が上から眺めるだけで、下を歩く人々は視線を二階の自分に向けることなどないし、そもそも気づくことすらなく通り過ぎていく。変な期待や失望を孕んだ視線を向けられることもなく、自分だけが一方的な「傍観者」でいられるこの席が好きだった。

アルバイトの休憩に偶然ここに入ってからというもの、この店が提供する調和の取れた空間が気に入ってしまい、コンビニの夜勤が始まる二十時までこの席で本を読んだり、次の作品を描くのが、お決まりの流れになっていた。

そして、あの彼女・・・名札には山本と記されていた。

天真爛漫を絵に描いたような女性で、常に微笑んでいる

三ヶ月ほど前からこの店に勤め始めたようで、それ以降週に二、三日程見かける。

恐らく大学生なのだろう、この辺りでいうと・・・前の通りを少し行ったところに女子大があっただろうか・・・

別に恋愛感情を抱いているわけではない。

自分では到底彼女には見合わないだろうという諦観もあるが、水分の枯渇した砂漠の中にあるオアシスのようなあの笑顔が、私の体内に積もった不安や焦りを溶かしてくれるのだ。

この世に蔓延る悪とは一切無縁の場所に居る彼女との、コーヒーを待つ間に交わす一言二言の他愛のない会話が、ここ数ヶ月のちょっとした楽しみになっていた。

私は、もう一口コーヒーを啜った後、手洗いのために席を立った。

用を足し終えてトイレの扉を開けたところで、私は自分の席の横に客が座っていることに気づいた。

心の中で舌打ちしつつ席に戻ると、私は傍に置いていた文庫本を手に取った。

「すみません」

すぐ右から聞こえたその声に私は振り向くと、その声の主は確かに私を見ていた。

「それ、小説ですよね」

突如発されたその言葉に、最初私は何と答えていいか分からなかった。

「すみません、偶然そのパソコンの画面に目がいってしまいまして。お描きになっているそれ、小説ですよね」

「あ、そうですね、一応」

今の自分が小説家として名乗っていのか逡巡しながら、私は視線を落とした。

「やっぱりそうですよね、私も小説を描いているんですよ。まだ駆け出しで、アルバイトしながらなんですけど」

「えっ、そうなんですか。私も大学を卒業してから描き始めて、今はアルバイトの傍ら、ヒット作を目指して描き続けてます」

この時の私の笑顔は酷くぎこちなかったに違いない。

しかし目の前の彼は、それを気にも留めず続けた。

「ええー、私も全く同じですよ。大学卒業してから本格的に活動を始めて、プロの小説家を目指して日々研磨してるんですよ。すごいな〜、こんな偶然滅多にないですよ」

目の前の彼の声はかなり大きくなり、

「かなり境遇が似てますね」

「そうですよね、どんなジャンルの小説をお描きになっているんですか」

「一応純文学というジャンルなんですかね、一時は本屋に並んでたこともあるんですよ」

心の中に微かに残っていた小説家としてのプライドのせいか、私はこう口走っていた。

「本当ですか、作品名を伺っても」

「『或街での一週間』ってやつです。偶然それがあの○○賞を取ってデビューはできたんですけど、でもそれ以来当たりを出せてなくて・・・その日を食い凌ぐだけで精一杯です」

私はそう呟きながら視線を彼に向けた。

この時の彼の表情が妙に印象に残っているのだが、一瞬彼の浮かべていた笑みが消え、何とも形容し難い複雑な表情をしていた。

しかし、彼はすぐさま口元に微笑をつくりながら云った。

「えっ、あの作品ですか。私読んだことあります。とても面白くて印象に残ってますよ。まさか、正岡先生とこんな所でお会いできるとは・・・感無量です」

彼に要求された握手に控えめに応じた後、僭越だったが少し小説に関する質問にも答えた。

その後は小説やそれぞれのアルバイト、日々の暮らしぶりについて話し、陽が落ち始めた頃に、彼は律儀に礼をして店を出て行った。

私には小説について話せる友人がこれまで居なかったため、同じ境遇で切磋琢磨する同志との邂逅に少し浮き足立っていた。

私は目下を歩いていく彼の姿を目で追いながら、彼の出立ちを思い返した。

中性的な細い鼻と口に、一重の細い目。

眉毛の上で切りそろえた、きめ細やかな黒髪に隠れた白い肌は、売れない小説家の苦悩のようなものがまるで感じられなかった。

柔和で親しみやすい性格。

年齢はほぼ同じ、年上にも年下にも見えた。

兎に角私は、これまで体内に蓄積していたヘドロのような鬱憤を彼との会話を通して排出できた解放感が心地良かった。



ここからは、後日談として描くことになることを予めお詫びしたい。

かくいうこの私自身も未だ真実というものを掴み損ねているため、私の推測を交えた内容となってしまうことを重ねてお詫びする。


橋本洸平と名乗った彼とはその後、週に三日程喫茶店で会うようになった。

私はいつものようにあの席から街路を歩く人々を何となく眺めていると、その内の一人が突然顔を上げて私を見上げた。私は驚いて視線を手元に戻したが、あれは確かに彼だった。

大抵は私が既に店にいるところに彼が訪れてくることが多く、そういった時には彼はいつも私の隣、奥から二番目の席に座った。

たわいも無い身の上話をすることもあれば、二人して黙々と作業に耽ることもあった。

彼は過度に私の私的領域に土足で踏み込もうとせず、適度な距離感を維持できる聡明な人間だったし、私はそこが気に入っていた。

彼は私を先生と呼んだ。

一度彼に本名を聞かれたことがあった。しかし、自分でも何故そのような嘘をついてしまったのか分からないが、ペンネームが本名であると答えてしまった。

そのようにして、この喫茶店の端で彼と席を共にすることが二ヶ月程続いた。

しかし彼は、それ以降パッタリとこの喫茶店に現れなくなった。

若干寂しい気持ちもあったが、彼にも彼の生活があるのだと納得した。

それとほぼ同時期に、あの山本という女性店員がこの店を辞めた。

心の中にぽっかりと穴が空いたような喪失感が私の身を蝕み、これ程までの悲しみを感じることに私自身も少し驚いたのだが、彼女はここだけを[生活の場]としていたわけではないと思い返した。

それ以上に私を驚かせたことは、喫茶店の店員の私への態度の変化だった。

彼女以外の他の店員とも少し世間話を交わすくらいには面識があったのだが、彼女が辞めた時期から彼らの私に対する態度が段々と冷たくなった。

元は皆優しい性格で好感を抱いていたのだが、その頃から彼らは人間的な部分を見せなくなり、義務的な会話しかしなくなった。

終いには、彼らは敵意のような視線を私に対して向けるようになった。

私にはまるで心当たりがなく、この唐突な変化に静かに戸惑う他無かった。

それからさらに三週間が経った頃には、その敵意を孕んだ視線を客からも感じるようになった。

窓の外から景色を望んでいる時に、その窓に映った後ろの客が怪訝な眼差しで私を見ていることも何度かあった。

誓っていう。私自身は、この喫茶店にとって不利益になるような行為は一切していない。

しかし、私へ向けられる白い目は、日に日にその鋭さを増していった。

私はそのことに対して徐々に不満を感じ始めていたが、この喫茶店の他に時間を潰せる場所がこの辺りに無いことと、自分は何もしていないのに、という対抗意識によってあの店の利用を続けていた。

その日も私は昼頃からこの喫茶店に入ったのだが、そこで奇妙な体験をした。

二階の階段を上り、喫茶店の入り口の扉を開けた時。

店内にいた客や店員が皆一斉に私の方に顔を向けたのである。

私には一つも心当たりがなく、肩を窄めながらカウンターへと進んだ。

そこで抑揚のない言葉で商品を訊かれ、アイスコーヒーと答えると、その店員は半ば投げるようにコーヒーグラスを差し出した。私はそれを受け取ると、逃げるようにいつもの端の席に腰を下ろした。

私はパソコンを開いた。

インターネットでこの喫茶店について検索して、何か情報がないか調べるためである。

検索結果の一番上には、Googleの紹介ページがあった。この喫茶店の口コミページを開き、私は目を疑った。

「耳障りな声を発する茶髪の女性店員が辞めて過ごしやすくなった」

「店員の態度が終わっている、仕事中の態度とは思えない」

「余生を持て余した惚け老人ばかりがいつも居座っていて邪魔」

このような喫茶店への不満を綴った内容のコメントが、二ヶ月程前から一つのアカウントによって投稿されていた。

しかし、私が目を疑ったのはコメントの内容ではない。

これらのコメントを投稿したアカウントの名前が、石川直人。私の名前、本名だったからである。

私は頭を抱えた。私が投稿したものではない。このアカウントは私が使用しているものでもない。誰かが私になりすましているのである。

おまけに、そのアカウントのプロフィール写真には、私の旧友の誰かがSNSに投稿したであろう大学時代の私の写真が使われている。元々童顔と言われることが多く、髪型も変わっていないため、その写真の私は今の私と殆ど同じ容姿である。

私は恐る恐る店内の客を見渡した。

この中にいるのだろうか・・・。私になりすまして店の悪口を書いている人物が・・・

しかし、一体何の目的で・・・?

口コミには二ヶ月前のもの以前の投稿が無い。店側も気づいて削除を要請しているのだろうか。

あの一つ目のコメントを見るに、彼女が辞めてしまったのもこれが理由なのか・・・

しかし、このアカウントは日に日にコメントを行っており、店側とのいたちごっこになっているようだ。

一体誰が、何の目的でこんなことを・・・

私は正体のわからない犯人に今も見られているような異様な感覚に囚われ、思わず荷物を纏めて席を立った。

もうこの喫茶店には来られないなとぼんやり考えながら扉を押し開けた時、私は或る光景を思い出した。

私が二年前に◯◯賞を受賞したと言った時の、彼のあの酷く歪んだ表情。

私はアパートに戻ると、すぐさまパソコンで彼の名前を検索した。似た名前の芸能人に関する幾つもの記事やサイトの遥か下方に、或る小説投稿サイトを発見した。

「橋本洸平」というアカウントはそこで何作か小説を投稿していたが、半年前を最後に更新は途絶えていた。

◯◯賞投稿作品という説明と共に投稿された作品の総読数は、67回だった。


私は知らず知らずのうちに、彼のプライドを傷つけてしまっていたのだろうか。

























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