第一話 冬は始まる(4)
本来の目的である買い物を終えた私は、無言で我が家のドアを閉めた。一人暮らしの私に、ただいまを言う相手はいないし、お帰りと言ってくれる人間もいない。いないのだが――
「お帰りなさい」
部屋の中から声が聞こえた。清水はまだ帰る気がなさそうだ。
私は手だけで清水に答えながら、キッチンへと向かい、夕飯の支度を始める。
清水は視線を虚空に固定して、物思いに耽り始める。
私を手伝うという選択肢は彼女の中に存在しないのだろうか? ついついそんな事を考える。
非常にどうでもよかったので、思考を切り替えて、清水に質問する事にした。
「清水、いくつか質問しても構わんか?」
いきなり声をかけられた清水は一度、ビクッ! と体を震わせたが、小さな声で。
「……うん」
と答えた。
「高嶺とどうして結婚しない?」
「……あの人の事が信じられないから」
予想通りの答えに、私はあらかじめ用意しておいた言葉を発する。
「確かに高嶺の行動は、端から見ていても不愉快だが、奴の愛情は本物だ。少なくとも私にはそう見えるぞ?」
「……ううん、彼のせいじゃない。私が彼の事を信じられないの」
今度の答えは、予想外のものだった。
「……何故信じられないのだ?」
私の質問に清水は沈黙した。答えるべきか迷っているように見える。
「私には……秘密にしていることがあるから」
「……秘密? 人間誰でも隠している事はあるぞ?」
私の言葉に清水は首を振った。
「この秘密は誰にも話してはいけないものなの。だけどこれを隠したままで結婚する事は出来ないの……」
重苦しい雰囲気を纏って清水が俯く。私が思っていた以上に問題は根深そうだ。
「誰にも話してはいけない、か。絶対に誰にも漏らさないと誓っても駄目か?」
無言で頷かれる。
仕方ないため、どんな秘密なのか自分で考える事にする。
まず最初に浮かんだのは不妊症だった。だが、これは誰にも話せない秘密なのだろうか? 疑問が残ったので保留しておく。
次に浮かんだのは誰か別の人間の子供を妊娠してしまった、という事だった。清水の性格的には高嶺以外とするとは思えないが、この世にはレイプという唾棄すべきものが確かに存在する。それにこれならば確かに誰にも話せないだろう。だがこれも違う。
高嶺は数年前から求婚していた。ならば、その頃には妊娠していた事になるが清水のそんな姿を見た記憶は無い。
次の可能性について考えていると、不意に脳裏にひらめくものがあった。
昔、清水や高嶺、そして彼等の友人達が巻き込まれた事件。その時を堺に、清水の性格は大きく変わったらしい。
私は事件のあらましを聞いている。あの事件ならば、確かに人に話せない秘密が出来る――私はそう確信した。
「面倒な……」
清水に聞こえないように呟く。
どうすればいい? そう自問する。
答えは見つからない。さらに思考を続けてみる。だが答えは見つからず、焦りばかりが募る。
「む?」
思考に気を取られていたため、危うく火を通しすぎるところだった。
火を止めて器に移しだしたところで、手を止めた。バタバタという足音が聞こえたからだ。さらに続いて、勢いよくドアが開く音と、
「清水!」
高嶺の叫び声が聞こえた。
これ以上ないほどにベストなタイミングである。私が切り札をまだ見つけていない事を除けば、だが。
「清水、高嶺はこんなにもお前の事を心配しているが、それでも信じられないか?」
高嶺が殺気立った目で睨みつけてきたが、それは一瞬だけだった。おそらく、私の言葉と表情から、何故あのような事を言ったのか理解したのだろう。
「心配してくれるのは嬉しいわ。だけど私には……」
やはりこの程度では清水には届かない。
「隠している事があるから信じきれない、か?」
清水が今にも泣きそうな顔で頷く。
ここから先どうなるのかは、私にも分からない。
「秘密?」
高嶺の訝しげな声。
「…………」
清水は答えない。
清水が隠そうとしている以上、私から答えを言うつもりはない。ないが、ヒントぐらいは出させてもらう。
「誰にも話せないが話さなくては結婚出来ない秘密、だそうだ」