地球公転速度
「加崎くん」
「はいっ」
北埜原さんと話すのは二度目だった。
前回は俺からーー不可抗力でやむなくーー話しかけたわけだけれど、今回は彼女から。
しかも、わざわざクラスのちがう俺の席までやって来てーー。
クラス中がとつぜん静寂と謎の緊迫感につつまれたのを俺は鋭敏に察知していた。
「このあいだは、どうもありがとう」
「えっ? あ、いやーー具合、よくなったみたいだね。よかった」
月に声をかけられたスッポンは、感謝されてもひたすら平伏するしかないのだ。
「あのお薬ーー季節の変わり目に花粉と黄砂とインド洋近海の海温上昇と地球公転速度の微少な変動によって誘発されるところの体調不良に効く薬ーーだったかしら。とてもよく効いたわ」
俺の口からとっさに出たでまかせを、よくもまぁ正確に覚えているものだ。
さすがは、学年最優秀頭脳。おそるべし。
「いや、うん! ほんと! 元気になってよかったよー! わざわざ俺なんかに礼をいいに来るなんて、さすがは北埜原さん! でも、あのクスリはただのビタミン剤みたいなものだからー、気にしなくていいよ!」
「ビタミン剤……?」
「あ、いや、いまのはたとえ! 深い意味はないんだ! さて、そろそろ次の授業に行かないと」
容姿秀麗な北埜原さんと間近で話す行為は、俺のような消しゴムのカスのような存在にはあまりにもデンジャラスだ。
周囲からの針のような視線は、確実に俺のやわな精神力を削ってゆく。
「とにかく、元気そうでよかった! じゃ、急ぐのでこれで!」
俺は内心いたたまれない気分で、外面は最っ高の笑顔を浮かべ、不思議そうな顔をする北埜原さんを残して教室から旅立った。
校内を一周して、自分の席に戻ってきたときには、数学の授業に五分遅刻していた。