第三話 13番目の魔女 (2) - その名に懸けて真実を述べよ -
名を得て血を得て、その本当の力を見せた薔薇の杖 アンブラシア。
家を一軒まるごと塵と瓦礫に還し、逃げるイザベラの脚を焼いた大規模魔法、魔女の鉄鎚。
勝敗は決した。
地を這い逃げる手を考える幸薬の魔女、その背中を踏みつける魔女殺しの魔女。
ノゾミは初めて人の背を踏んだ気がした、しかも弱っている人間を。
思った以上に良い気持ちはしない。
どんなに憎くても、弱っている人間をまだいたぶるのかと、良心の呵責が生じる。
もっと命乞いをして欲しかった、謝って欲しかった、または開き直って欲しかった。
そうすれば思いっきり感情をぶつけられるのに。
ただ黙って我慢されると、例え腹の中で何を考えているかわからなくても、許しを請われているような気がするではないか。
「一体なんなのよ、その薔薇は!」
ようやく口を開いたとおもったら、今は関係ないはずの話。
思わず溜息が出てしまう。
「主人は書き換わってるし、なんで杖になってんの、気味の悪い色だし、アンタ刺されててなんともないの? 異常よ。」
「……人は自分の知っている世界のことしか知らない。私は魔法に疎いし、呪いなんてまったくわからない。こんな薔薇があっても別におかしいとは思わない。」
空想の世界に生きるノゾミらしい、夢のある返事だった。
観念したのだろうか?
イザベラは這うのをやめた。大人しく背中を踏まれながらノゾミを睨みつけている。
「だいたいアンタ私の家を……あの家にあった薬でどれだけの人間が救われるかわかってるの?」
イザベラは戦いを始める前に投げた鞄を探す。木の根元にそれはあった。
良かった、しかし遠すぎる、手が届かない。
なによりもまずはこの窮地を脱しなければいけない。
魔法はまだ使える、しかし、今は勝てる気がしない、底知れぬ恐怖がある。
視界の隅でちらちらと薔薇の杖の触手が踊るように蠢いている、いつでも殺せるはずだ。
「だから知らないって。」
「知らないで済むことじゃないわ。アンタは今、結果論で言えば何千人という人間を見捨てることになったのよ。」
そんなこと知らないし、今更言われてもどうしようもないし、今はそれ関係ない。
苛立つノゾミは横腹を蹴る、何度も何度も蹴る。
「考えなさいよ。病に苦しむ人がいても、何もできずに指くわえてるしかできない自分の姿を。アンタも契約してるみたいだけど、アンタそれで魔女になったつもり?」
「そうよ。お前のような魔女を殺すための魔女になった。魔女を殺すための知識を得るためにダンダリオンと契約をした。魔女に悲しい思いをさせられる人が増えないように魔女を根絶やしにするために。」
(だから、今、その悲しい思いをする人が増えたって言ったのにわからないの? この姫は!!)
会話ができているのか怪しみながらもイザベラは考える。
さっきからこの姫は何かを待っている。殺すならさっさと殺せばいいのに、嬲るわけでもなく。
横腹は蹴られたが、実を言うと全然痛くなかった。
それなりに力を入れて蹴っていたようだが、所詮体を鍛えていないお姫様の蹴り。
マルパスの力で身体の一時的進化と脳内分泌物質の増加がまだ効果を発揮している今、何のダメージもなかった。
だから余計に煩わしい。
言いたいことがあるなら言えばいいのに。
本当に、本当に。
「ほんっとに、いつまでたっても子供ね。」
黙っていれば察してもらえる、気に入らなければ暴力を振るう、知らないと言えば済むと思っている、悲しければ八つ当たりをする。
イザベラ自身の18歳の時と比べても、話にならない幼稚さ。
甘やかされて、ちやほやされて、何の苦労もなく、夢の世界に浸り続ける、お姫様。
魔女を名乗ってよいわけがない。
また蹴られた。
「100年と言わず、ずっと眠っとけば良かったのよ。好きなんでしょ空想の世界が。ぎっ!?」
闇に焼かれた脚を蹴られ思わず声が出てしまった。
ここぞとばかり、ノゾミは脚を蹴り始める。
おもしろそうな玩具を見つけ、とびつく子供のように。
「このくそガキ……アンタを助けようとして薔薇に喰われた王妃も、指を失ったミハイルも、みんな哀れだわ。」
ノゾミの蹴りがぴたっと止まった。
「……お母さまは戦の最中に自刃したと、カナデに聞いた。お前は何を言ってるの。」
「それも知らないわけ? 一体何人がその薔薇に喰われたか知らないの? 腕や指を失ったり、血を吸われて絶命したり。アンタを助けようとした人はろくな目にあってないのよ?」
ノゾミはそんな話は聞いていなかった。
いや、7番目の魔女と侯爵家の跡取り息子のことはカナデから聞いていた。
顔も知らぬ婚約者の話も知らない。
「カナデが私に嘘をついたって言いたいの?」
「大方アンタが傷つくとでも思ったんでしょうね、カナデらしいわ。」
そもそも、とイザベラは地に伏せたまま語りだす。
イザベラは姫の17の生誕祭の折に、姫を呪ってやることを宣言して国を出た。
それから半年以上かけて、あの呪いの薔薇を生み出した。
そして姫の18の生誕祭の夜、姫の寝室に忍び込み、その胸元に薔薇の棘で小さな傷を創り、部屋にその真っ赤な薔薇を飾った。
薔薇が枯れるまで、その傷を目印に呪いが効力を発揮する仕組み。
破病のマルバスの力で、眠っていても身体が衰えないように脳内物質を継続的に変化・調整させる呪いをかけ。
悪意や害意を持つものが近寄れば、それを排除する命令を下し簡単な魔法を与えた。
そしてもしも、姫を本当に愛している人がいれば、呪いは退くように命じていた。
イザベラは国王陛下や王妃、カナデ、そしてミハイルが悲しむ姿は見たくはなかった、しかし踏みとどまることもできなかった。
だからあんな中途半端な可愛らしい呪いになってしまったのだとも思う。
月日が経ち、国王陛下がお隠れになったと噂を聞いてしまった。
まだ姫が目覚めたという噂も聞いていなかったのに、だ。
イザベラは焦った。予想していた展開と大きく異なる事態の推移に確かめずにはいられなかった。
かつて知ったる城、かつて知ったる姫の寝室。
その窓から這い出る薔薇の蔓。
そして姫の胸元に咲いた青紫の薔薇。
それからのイザベラは協力的だった。
すぐに解呪の方法をカナデに申し出た。
しかしその結果が侯爵家の跡取り息子の死であった。
あまり上品とは言い難い男だった、大方、愛と聞いてなにかやらかしそうになったのだろう。
多分、口づけくらいで良いはずなのにと、イザベラもまた独身であり、魔女である前に一人の乙女だった。
それでも人を殺してしまうほどの魔法を与えた覚えはなかった。
自分はいったいなんの種を撒いてしまったのか、原因の究明にとりかかる。
しかし事態は好転することなく、戦の最中、矢傷が原因で床に伏せた王妃はどうせ死ぬのならと姫の解呪を試みた。
姫は目覚めることなく、部屋を後にしようとした王妃は、その心臓を一突きされ全身の血を吸い上げられ命を落とした。
その後城が堕ち、国を離れたイザベラの元を何十人という”勇者”が訪れた。
その最後を見届けてきた。
半数は姫の眠る塔に入ることすらできず、命からがら逃げのび或いは命を落とした。
姫と対面できたものも城中の薔薇の根っこの大元が姫であると理解すると命を落とした。
未知との遭遇がもたらす恐怖が、勇者の心に悪意や害意、或いは嫌悪感もあっただろう、その心を惑わすには十分すぎる事実だった。
「薔薇があまりにもおかしいから、犠牲者を増やさないために引き留めもしたわ。解呪方法も曖昧な話し方はした。それでも私の知ることは全て話した。それが王妃やカナデの望みだったからね。」
「そもそもお前は牢屋に入れられたって……。」
「んなことなかったわよ。私の話が信じられないならダンダリオンに聞きなさいよ。」
<ダンダリオン。答えて。>
<…………。>
沈黙。
答えれない何かがあるのを知ってしまった。
でも私は悪くない。
そもそも呪いをかけたのは13番目なのだから。
うんともすんとも言わないノゾミに業を煮やしたイザベラが口を開く。
「叡智の悪魔ダンダリオン。その名に懸けて真実を述べよ。私とカナデが姫に話した内容は、どちらのほうが真実を多く含むか。」
「…………。」
ノゾミはダンダリオンの言葉を待つ。
カナデだと言って欲しい。
そんなノゾミに苛立つイザベラ、本当に何も知らないらしい。
「……アンタがダンダリオンに命じるのよ。契約してるのはアンタでしょ?」
<……ダンダリオン、答えて。>
<幸薬の魔女 イザベラの言葉の方が、真実を多く含む。>
歯をくいしばり、言い表せない感情を抑える。
聞きたくなかった。
なんとなくカナデの話はちぐはぐな感じはあった。
なんで本当のことを言ってくれなかったのだろう。
どっちにしたって根本的に悪いのは、13番目の魔女なのだから。
「大人気なかったのは私。だからやりすぎたとも思ったから協力もした。半分くらいは私のせいだったからね。でもね?」
何かに気づいたイザベラがねっとりと、楽し気な口調で話し出す。
<姫。耳を貸す必要はない。そんなことより早くやって次へ行こうじゃないか。そろそろお腹も空いてきただろう? あんまり鞄を置いておくと野生動物に持っていかれてしまうよ?>
「黙ってダンダリオン。」
イザベラの言葉を遮るように唐突にダンダリオンが饒舌になる。
その雑音を止めろと命じ、イザベラの言葉を待った。
「残り半分がアンタが誰からも愛されていなかったこと。そのさらに半分くらいは、私の命令を聞かないその薔薇のせいよ。なのにアンタったら寄生されてるのを許容して、信用しちゃって。ほんと可笑しいわ。」
ノゾミはアンブラシアを見て固まった。
お母さまですらも私を愛していなかった。
カナデは私に嘘をついていた。
悲しい。
もっとも自分の近くにいてくれたはずなのに、一体自分は彼女たちにとって何だったんだろう。
でももう半分は……!
ノゾミは地面に薔薇の杖を叩きつける。
あっけないほどに軽々と、杖がへし折れる。
花を掴み蔓を茎を触手を引きちぎる、細かく細かく。
イザベラは好機と見て脱出する。
土を手繰り自身の身体を吹き飛ばし鞄を回収。
そのまま風を掴む魔法で森の中へと低空侵入。
脚の治療など後回しだった、残る魔力をぎりぎりまで使ってとにかく距離を稼がなければ。
しかし、一瞬だけ振り向いた時、姫はまだ花弁をむしり取っていた。
場に残されたのは、何度もへし折られた茎、細かく引きちぎられた蔓と触手、そして一枚残らず念入りにむしられた花弁。
それを踏みにじり、蹴り飛ばして、ようやくノゾミは立ち上がる。
「ダンダリオン……お前は……。」
裏切らない?
聞くのが怖かった。
真実を求める問いを使って、もしも……そんなことになれば、もう自分がどうなるかわからなかった。
<姫。ボクはキミを裏切ったりしない。ボクは姫が大好きだからね。この名を懸けて嘘は言わない、誓おう。>
まるで考えを読まれているようだった。
けども、少しだけ、少しだけ安堵した。
<そして魔女カナデの悪魔の名を懸けてこれも真実だと誓おう。カナデはキミがなるべく傷つかないようにと、選んだ選択が虚を交えて話すことだった。どう話したものか半日くらい苦悩を極めていたよ。>
「そう……。他に隠してることはない?」
<いっぱいある! ボクは姫の虜だよ? いつだってキミのことを想っている! ゆえに星の数ほど隠し事はある! しかしどれも危急の要件ではない。ところで姫。イザベラは大陸中央の方へ向けて飛んでいったようだけど。どうするのかな?>
杖はもうない。
そもそも自分は空を飛ぶことすらまだできない、それでも、見逃すという選択肢はなかった。
どう考えても残り半分の、13番目の罪は支払ってもらうべきだ。
「……行くよ。」
陽は天頂にさしかかりつつある。
まだ進める、もう少し進もう。
せめてあの薔薇の見えない場所まで。