第三話 13番目の魔女 (1) - 狂気の素に色恋沙汰あり -
「ふっん~。良い旅日和じゃない。」
森の中にぽつんとある一軒家。
晴れ晴れとしたお日様の元、二日ぶりくらいに家の主が外に出て伸びをしていた。
金色ショートボブ、碧眼、眼鏡の妙齢の女性。
長袖長衣の白いローブには飾り気が見当たらない、研究者という言葉が最も相応しい。
名は 幸薬の魔女 イザベラ。齢120。
契約している魔なるものは破病のマルパス。打克つ術を授ける不屈の悪魔。
腰にポーチ、片手に鞄。ずいぶん小さな荷物だが旅支度である。
施錠した後、家の周りの草木に魔法をかけて回る。
あまり人の立ち寄らない場所だが、獣の類は別だ。
家を離れるのならしっかりと撃退用の魔法を用意して離れないと帰ってきたら荒れ放題なんてこともなくはない。
イザベラはある筋からもたらされた薬物の解析と治療薬の研究をしていた。
半年ほどかかったがようやく治療薬のサンプルが数点できたところであり、とても上機嫌だ。
この薬を打たれたものを見た時はぞっとした。
手足を縛り自由を奪われた姿。
拘束を解けば救出され抜け出してきたはずの地獄へ戻ろうと歩き出す。
その目に生気はなく、言葉をかけても応じず、引き留めようとしても無視される。
救いがあるとすれば、彼女を阻もうとするものに対して何も行動を起こそうとしないため拘束は容易だったし、体力がなくなれば休眠し食事も普通に食べるということか。
何かに操られているような様子だった。
そんな薬が流通すればたまったものではないが、根本的な問題解決は難しいらしく、対処法となる治療薬の作成をしていた、というわけだ。
これから依頼主に手渡しにいくわけだ、が。
「ん?」
森の木々の間で何か動いた気がした。獣だろうか?
森の中に一人で住まい研究をしているイザベラは一通りなんだってできる。
もちろん害獣を追い払うくらい大したことではない、彼女は良い師に恵まれていた、その人物はとうにこの世を去っているが。
平たく言えば天才の部類なのだなんだって器用にこなすことができる。
しかし一つのことに特別優れているわけではない、それなりに優れているものを掛け合わせて相乗効果を生み出すタイプである。
森の中から人が出てきた。
浮浪者だろうか?
真っ黒なぼさぼさの髪、見覚えのあるローブ、胸元の花飾りがなんだか異質に見える。
かつてイザベラが仕えていた国の筆頭魔女、尊敬していたし母親のようにも思えた魔女カナデのローブに似ている。
だが彼女の髪はもっと短かったしもっと白が多かった。
弟子でもとったのだろうか? しばらく会っていないが元気だろうか。
その人物は突然顔を上げた。目が合った。
「ん? あ、姫じゃない。久しぶり。そっかそろそろ起きる頃だっけ。」
「やっと見つけた。13番目。」
姫は、ノゾミは胸元の薔薇を引き抜く。
身体からひきずりだされたかに見えたそれは青紫の薔薇の杖。
ノゾミの影から闇が立ち昇り奔流となってイザベラを凪ぐ。
あまりにも突然の攻撃にイザベラは避けきれず左腕を焼かれる。
闇が生命力を喰らい霧散させる、その過程は極度の低温にさらされたように冷たく熱く痛い。
「ぐっ!? アンタ。いきなり何すんのよ!!」
距離を取り、怒り睨みつけるイザベラ。焼かれた左腕をかばいながら膝をつく。
「よくも私にあんな呪いをかけてくれたわね? おかげで目が覚めたらなんにもなかったよ。お前に奪われた分、お前から奪ってやろうと思ってここまで来たんだ。」
狂気を顔に張り付けて、ノゾミはイザベラへと歩む。
「今更? 逆恨み?」
挑発するようなバカにするような、こちらも怒りの笑みを浮かべるイザベラ。
「お前にとっては100年前でも! 私にとっては1週間前のことだよっ!!」
ノゾミの怒号にイザベラが一瞬怯む。怒りの叫びはまだ続く。
「逆恨み? お前が一方的に仕掛けてきたことでしょっ!! 私に何か恨みがあったのなら今吐け。聞いてから殺す。」
イザベラは左腕を隠し治癒促進の魔法をかけている。
イザベラは天才的ではあるけども、スロースターターな一面がある。
今は時間稼ぎのために口を動かすべきと判断する、というか本当に昔のことすぎて思い出すのにしばし時間がかかった。
「アンタ。さてはカナデも殺したわね? そのローブはカナデのでしょ。」
「……カナデにそんなことしない。…………そのくらいわかるでしょ。」
目を逸らすノゾミ。
困った時の仕草だ、嘘はついていないと判断するイザベラ。
であればなるほど、カナデはもう死んでいたのかも知れない。
こんな時なのに2人とも思う所があって黙り込んでしまう。
先に顔を戻したのはノゾミだった。
イザベラもすぐに頭を切り替える。
「それは……ちょっとまって。えーと……。そうだ。アンタ、私に恋文の代筆を私に頼んでたでしょ。確かアレよ。そうアレよ。」
ノゾミはイザベラの言い出したことに顔を顰める。
一体そんなことの何が、と。
少し開いている距離を詰めることなく、杖は突きつけたまま、それで? と話の先を促す。
「中央北東にある小国、クレアシオンのミハイル王子よ。彼はねいつも手紙の中で速く姫に会いたいと言ってくれてたの。」
破病のマルバスと契約をしている脳の一部を活性化。脳内分泌物質増加、バランスを保ちながら全身の軟化と強化の一時的進化を開始。
「代筆してるとも知らず、私の言葉を美しいって、とても心に響くって。いつだって褒めてくれた。私も若かったからね。すっかりその気になってたのよ。私が彼と恋仲にあるって錯覚して。」
足元の草を千切りマルバスの力で構造変換。煙粉、眠り粉、痺れ粉の球を生成開始。
「2年くらい代筆をした頃に写真が同封されていたの、写真。知ってるでしょう? その時気づいたのよ、本気になってた自分に。」
魔力散布。周囲に魔法を仕込む。いつでも攻撃ができるように準備、小規模な魔法ばかりだけど数で攻める。
「それで気付いちゃったのよ。私は写真を送ることもできない、本当の名前も、代筆していることも明かすことはできない。ミハイルが恋をしていたのは姫ではなく私にだったのに。馬鹿馬鹿しかったわ。」
今できる左腕の治療は終わり。回復率は8割。消耗した生命力の回復に努める。
「師の元でずっと薬学の勉強をして、師がこの世をさった後はその口添えで宮付きの13番目の魔女として迎えられて、そこで見つけた初恋はこうして無残に散りましたとさ。」
自嘲気味に話しながらも反撃と逃走の用意を進めるイザベラ。それに対しノゾミはまったくの無反応。それが何と言わんばかりに冷たく見下ろし続けている。
「私にあんな惨めな思いをさせたのは、あんな悲しい思いをさせたのは、アンタよ姫。だから少し復讐してやったの。簡単に解けるはずの呪いで。なのに眠り切っちゃったんでしょう? 何もかもアンタが悪いわ。自業自得よ。それで復讐の復讐? 笑わせないで。」
イザベラは大事な治療薬のサンプルと研究資料と予備の材料を入れた鞄を安全そうな場所へ投げる、反撃開始だ。
眠りの粉の球をノゾミの足元に投げつける。
紫色の煙が立ち上る。
少し吸ったのかノゾミが一瞬ぐらつく、しかし風の魔法ですぐに煙を吹きとばす。
小賢しい。
続けて用意していた草葉の刃を飛ばす魔法を発動。
目に見える刃をノゾミは闇の奔流で喰い破る。
しかし多少のかすり傷を負う。
ノゾミは怯むことなく、防御に使った闇の奔流をそのままイザベラに向ける。
しかし全身の一時的進化の魔法により常人の倍以上の身体能力を得ていたイザベラはその足俊足を以て魔法を回避。
続けて煙の粉の球を投擲。
突風の魔法による対応を誘発させる狙い。
必要以上に強い風の魔法を使い煙を吹き飛ばす。
イザベラはその反応に合わせて土の魔法を発動しようとする、が。
まさかの不発。
ノゾミは反撃。
闇の刃の横凪ぎをイザベラはぎりぎり回避。
(土の魔法が発動しなかった。あの闇の魔法。想像以上にヤバイ。)
イザベラから見てノゾミの魔法はでたらめな威力を持っている。
噂でしか聞いたことはないが災いを冠する者に比肩しうるのではないかと、思わせるほどの危険性を有している。
回避はしているものの当たれば行動不可能になりそうな魔力の高さ。
さらにノゾミの闇がイザベラの魔法の発動を阻害している。
普通はそんなことありえない。
闇の力により肉をもつものや魂のもつ生命力が一時的に弱まり、魔法が上手く扱えない、それは一般的だ。
しかしノゾミの闇は完全に魔法の発動を阻害している。
見直せば闇の奔流が当たった場所は草花が生命力を失って枯れ、土も生命力を失い砂のようになっている。
「はぁー……。」
ノゾミは疲れたのか、攻撃がうまく当たらないことに苛立っているのかわからない。しかし、深い溜息一つだった。
(一体何がどうなってんのよ!)
普通あれだけの大きな魔法を連発すれば、魔力の源である生命力は大きく削れ消耗する。
なのに、溜息ひとつである。
イザベラの知るノゾミはこんな強力な魔法は使えないし、豊富な魔力も有していなかった。
となればからくりはあの杖か?
苛立っても冷静に分析し、イザベラは麻痺粉の球を投げつける。
さすがにノゾミは今度は吸わない。
しかし甘かった。
球が破裂し粉が舞うタイミングに合わせイザベラは風を操り粉塵をノゾミの顔にぶつける。
一部は目に入ったのか、粉塵はすぐに風で飛ばされるが両目を押さえるノゾミ。
その隙を逃さずイザベラは急接近。
片手でノゾミの杖を掴み、がらあきの腹部へ杖を握り込んだまま拳を奮う。
クリーンヒット。
ノゾミは杖を手放した上に、身体をくの字に曲げて軽々と数m飛んでいく。
その感触が生々しくてイザベラはぎょっとする。
内臓破裂くらいはありえる。
そんな感覚。
防御という概念があるか疑問に思えるほどあの身体は柔らかかった。
姫が戦闘訓練など受けているはずはない、ならばと近接戦闘を選び杖を奪った。
だが殺す気まではなかった。
「ちょっと。大丈夫? 生きて……」
「かえせ! それは、私のだ。」
地面に伏せたまま、先ほどよりは弱い闇が地を這いイザベラの足を掴む。
このくらいなら大したことはない、足首を焼かれながらも振り払って下がり距離を取る。
(いや、反撃できるのはおかしいでしょ!)
その短い思考の最中に、ノゾミから奪っていた薔薇の杖が突然震え、イザベラの手を弾きノゾミの手中に戻った。
(今の感覚。あれってもしかして?)
イザベラは思い当たる節があった。
自分が創った若気の至りの結晶。
人生で最初で最後と決め、ありったけの知識を注ぎ込んだ呪いの薔薇。
杖になってるし、話を聞く限りでは何か色々とおかしい、想定外の挙動をしてはいるが、それなら手はある。
ノゾミは杖を片手に、お腹を押さえているもののすでに立ち上がっていた。